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僕の話は長い

端的に物事を伝えることが苦手である。
と言うより、言い訳になるが丁寧が故に長くなっていると、僕は信じて疑わない。

話が長い人に共通して言えるのは、
「自分に自信がない」
ということではないか、と分析した。
エビデンスは自分だけである。
よって説得力はない。

自信がないから話が冗長的になる。
例えば、相手の顔色をうかがっては、別の言い方に変えたパターンで話をしてみるとか、結論だけでは伝えられる力がないと思い、その事柄の経緯から話をする、などである。

ちなみに僕は、このどちらのパターンもやっているから、普通の人の倍の倍、時間がかかっていると思われる。

「な〜に〜!!やっちまったなぁ!
 男は黙って、粗塩!」
と言う面白いネタも流石に4回もやれば、面白さも薄れてくるものだろう。
1回で終わりにすれば良いものの、4回もやるから本来の実力が出しきれていない。
と言うより出しすぎてしまって、相手が溺れてしまっているのだ。

そして、That's 談が自分のライフワークになっている、と言う点についても、話が長い人の特徴としてあげられると考えている。

こちらもエビデンスは僕だけである。
説得力を持たせる気はもはや無いのだろう。

雑談好きはありとあらゆるネタを広げて広げて、そして広げることに定評がある。
ずっと展開しっぱなし、脱線お構いなし、寄り道バンザイである。

つまり、そもそも話を終わらせる気がないと言うことである。
だから、話が長い。
と言うよりも、退屈した「話長いよ!」と思われる。

どちらも話を長くする要因だが、決定的な違いがある。
それは話している本人が、
「相手が長話と感じていないか」を、
「自覚」できているかどうかである。
いや、厳密には、それを察する姿勢をとっているかどうかである。

ここまで考えてやっと辿り着いた。
とても長い道のりだった気がする。
どれくらい長いって、国道16号線くらい長い道のりだったと思う。

要は、相手の感じ方が重要で、
話の長短は自分ではなく相手が決めるもの。

冗長的説明であっても、雑談を展開しすぎても相手が心地よければそれでいいのだ。

僕の中で答えが出た。
僕の話は長いが、全てがそうではない。
相手の立場や考え方で変わることもある。

まとめていこう。

  • 冗長的に話をすることと雑談によって話が長くなることがある

  • ただ話の長短は相手が決めるものであって心地よい場合はその「長い」と感じるに至らない

  • 相手のことをどれだけ思いやれるのか、この考えが何よりも大切である

とても良いまとめができた、自画自賛したい。

最後に、今日僕は会社を辞めたが色々なことがありすぎて実感が湧かない。

一つ言い忘れた。
話が長い人の特徴に最後に何かを匂わす発言をして、そこからまた話を展開する手法を用いがち、と言うことである。

これもエビデンスは僕だ。
偉そうに語ったがまたいつも通り自分語りをしている。

この話はまだまだ続きそうだ。
僕は話が長い。

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