パソコンの人と呼ばれて
「パソコンの人なんだから」
おいおい何だこの雑な分類の仕方は。
妻の言うことにはいつも、何かを考えさせる様な言葉が含まれる。
今回で言えば「パソコンの人」だ。
妻はきっと、キーボードを見ずにタイピングができ、エンターキーをやや強目に叩く人をこの様な分類として呼んでいるのだろう。
僕は物心着く頃からパソコンに触れていた。
いや、ごめん嘘だ。そんなに前じゃない。
完全に物心はついていた。
中学生の時、パソコンのゲームにハマってからというもの、学校の成績を犠牲にパソコンの技術を身につけたのだ。
ただ身につけたのはタイピング速度と、チャットでのコミュニケーション能力だけだった。
ここで身につけたものを活かしたい、と思ったことは全くなかったが、いつのまにか推薦で大学は情報系の学科を専攻し、IT企業に入社していた。
確か、パソコンが操作できればきっとどこかで使い回しのきく人間になるだろう、そう言う安易な発想から進路を決めてしまった。
確かに、パソコンの「操作」については一般人と比べれば、少しばかり出来る事の幅が広いかもしれない。
ただ妻の言う「パソコンの人」とは、テレビの録画をしBlu-rayディスクに焼くことも、エアコンのリモコンが壊れた時の原因調査を頼まれることも、妻に似合いそうな髪型を探すのも、ドライヤーのコードのねじれを解消するのもパソコンの人の役割と定義されている。
俗に言う、エンジニアができることとしてはカウントしない様な作業が「パソコンの人」の定義の中に存分に含まれている。
それでいて、「わたし、Apple Watchほしい」と言いだしたものだから、正気の沙汰じゃない。
とは言うものの、プレゼントしてみることにした。
理由は、使えない機器を持つことで、僕を存分に頼らせ、僕の存在価値をアピールすることにあった。
Apple Watchの使い方は決して難しくはないが、妻レベルであれば機能の解説や設定は自分じゃできず、僕に頼ってくるに違いない、そう確信した上で、多少見下してやろうという邪な気持ちがあった。
ただこう言う時に毎回妻の勘はよく働く。
まったく操作方法を聞いてこないのだった。
なので、僕から状況を聴くことになってしまった。
「Apple Watch大丈夫?上手く使えてる?」
「余裕」
「本当に?使い方教えようか?」
「いや、困ってないからいい」
「あ…そうか、困ったら何でも言って」
このやりとりに、僕からのジンワリとした悲しみが漂っているのが、お分かりいただけるだろうか。
そんなこんなで、パソコンの人と呼ばれ色々な事をやってきたが、肝心な時、そして面白そうな時、決まって僕は相手にされない。
もしかしたら、パソコンの人と言うのは妻の中で、便利に使える小道具なのかもしれない。
そう考えながら夜道を歩いていたら、夜風で体が少し震えた。様な気がした。
あくまで夜風である。他意はない。
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