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学生起業 奮闘記 vol.1 これまでとこれから。

▶︎はじめに。

初めまして"中塚大貴"と申します。

私は大学2年生(2023年3月時点) で、4月から3年生になる予定でした。予定というのも、4月から大学を休み3ヶ月間、サンフランシスコ(シリコンバレー)に渡ります。

どこへ行くのか、向こうで何をするのかについてお話しさせていただくまえに、まずは大学入学から現在までのいきさつをお話しさせてください。

noteにしては長文かつ、拙い文章で読みづらい箇所もありますが、どうか最後までお付き合いください🙇


▶︎将来の夢

私自身、大学に入る前から起業に興味を持っており、そのきっかけとなったのが中学生時代に読んだイーロン・マスクの伝記でした。

これがその伝記

幼い頃は本はそれほど読まない子供でしたが、小学校の図書館で唯一のめり込んで読んでいたのが、"伝記"でした。当時はイーロン・マスクの伝記を繰り返し読んだのを覚えています。

読み終えた後、私は衝撃と憧れを抱き、起業家という仕事を志し、幼いながらに"死ぬまでに大きなことをして歴史に名を刻んで死にたい"と思うようになりました。

▶︎大学入学:起業にやっと没頭できる時間

大学に入学直後、まずは大学の松本起業ゼミに入り、事業アイディアを練り始めました。(松本ゼミでは、メンターの松本修平氏を講師に迎え、学内で起業家を志す学生に様々な支援を行っています)

ゼミの様子

▶︎"サバくる"の誕生

そのゼミの中で生まれた、私の初めての事業が「サバくる」です。

皆さんはサバイバルゲームをご存知でしょうか。サバイバルゲーム、通称サバゲーは、決められたエリアの中で、複数人の相手とエアガンを使い、撃ち合うというスリル満点の非日常的なスポーツです。

実はサバイバルゲームのプレイヤーの多くは、30代〜40代の世代が多く、その世代層は、ある程度の資金力があるため、次々と新しいエアガンや服、装備を買います。それを界隈では「軍拡」と呼びます。

サバゲーショップの店内

しかし、そうやって買い集めた装備のうち、実際に使われるのは一部で、他の装備たちは、押し入れの肥やしになっていることが多い現状です。

俗にいうFPSゲーム

一方で、近年FortniteVALORANTをはじめとするeスポーツゲームが若者の間で人気となり、実際にサバイバルゲームでも遊んでみたいと思う若者が増えています。

ですが、サバイバルゲームをするにしても、何から始めればいいのか分からない、資金力がない為、エアガンや装備を買えない、何から始めたらいいかわからないから怖い。などの声が自分の周りで多くありました。

そこで考えたのが、既存プレイヤーと新規プレイヤーを繋げて、装備情報をシェアリングできるプラットフォーム、"サバくる"でした。

参入障壁をなくしたいという思い

▶︎初めての成功体験

これはいける。自分の趣味でもあるため熱量も相当なものでした。

実際、大学1年生の10月から松本メンターに助けてもらいつつ、事業を練り、翌年の1月、関学内のビジネスコンテストにて優勝、立て続けに複数のビジネスコンテストで賞をいただきました。

  • 関西学院大学 学内ピッチコンテスト 最優勝 (2022年1月 大学1年)

  • KANSAI STUDENTS PITCH グランプリ出場 2022 (2022年1月 大学1年)

  • U-25 KANSAI PITCH CONTEST PARCO賞を受賞 (2022年2月 大学1年)

事業ピッチ動画はこちら。


▶︎初めての失敗体験

ある程度の露出を終え、いざ事業を本格的に始動しようと、一番熱量が高まっていた最中「ウクライナ侵攻」が勃発してしまいました。

「銃で撃ちあう」ということが、社会情勢やイメージ的にも向かい風だったこと。「周りから一度ピボットする方がいいんじゃない」という声。

もちろん私も、なんとかこの向かい風を追い風にできないか2ヶ月ほど本気で苦しみ、様々なメンターの方と議論を繰り返しました。

模索中のブレスト

ですが、最終的に私はバッターボックスで、バットを振る勇気が出ずに、事業のピボットを選択しました。正直、自分の事業を信じきれなかったのです。これが初めての「挫折」大学2年生の春のことでした。

▶︎暗中模索の大学2年

事業の展開を諦めたとはいえ、ウクライナ情勢が落ち着いたら、いつでもすぐに動けるように、株式会社HoLinkを設立していました。

そういう訳もあり、大変嬉しいことに2年生から松本ゼミのゼミ長や関西学院大学からトークセッションのお誘いをいただくことも。

ですが、本心は「僕なんかが何を偉そうに。。」とトラクションも何も成し遂げることができていない自分が評価されることに焦りと不安を抱えていました。

実際、学生同士での起業に関心のある学生との交流会などで、"自己紹介が辛かった"ですし、今も辛いです。自分を偽り、過去のビジコンの栄光を語り、法人を設立しているだけで驚かれたりと。。

海外はわかりませんが、正直なところ、国内でのビジコンは星の数ほどあるわけですし、ある程度のクオリティのものを作り上げ、テンプレに当てはめ、熱のあるピッチができれば、何かしらの賞は取れると"私は"感じています。それほど、”起業とビジコンは違う”ということを痛感した時期でもありました。

▶︎1つのMeet up と ブロックチェーンとの出会い

その後、他の事業を模索し続けましたが、ピンと来るものがなく、暗い低迷期に入りました。この期間にも、大学は私を突き放すことなく、程よい距離感で見守ってくださっていたことには、感謝してもしきれません。

そんな大学2年の5月のGWの期間に、サバくるのピッチで審査員をしてくださっていたTHE SEED の廣澤さんが、東京にて勉強イベントを開催すると聞き、藁にもすがる思いで、そのイベントのためだけに大阪から東京の表参道に赴きました。その名も「Web3 meetup」

そこでは、gumiの國光さんやWILの久保田さん、F venturesの両角さんなど、今では考えられないほどの超豪華なゲストの方々が来ていらしており、当時の私は何も分からないなりにも、とにかく1番前の席で話を聞いていました。

表参道のオフィスの一室

ブロックチェーンのカタカナ用語ばかりで、実際話していることの1割もわかっていなかった気がします笑。

ですが、そこで話されていたブロックチェーン技術の魅力に私は取り憑かれ、帰阪後、ブロックチェーンの勉強を始めました。

サバくるが失敗した原因の一つは、自分のメモリ不足(知識や経験)があると自覚していたこともあり、分からないなりにも、本やインターネット、Twitterを駆使してインプットをし続けました。

▶︎真田会長との出会い

ブロックチェーンをインプットする毎日、そんな折、関西学院大学にて関学出身の上場企業の社長が週替わりで講義してくださるというミニIVSのような講義があり、そこでKLab(株)会長,(株)BLOCKSMITH&Co.の真田社長と出会いました。

神授業

真田会長は、講義の中で「これまでにないトークンエコノミクスで新しいブロックチェーンゲームを作り、世界を取る」という宣言をされました。その姿は、例えるならワンピースのルフィのようで、そのカリスマ性や決意に感銘を受けました。

講義直後、真田会長に飛び込みで長期でのインターンを嘆願し、それを真田会長はその場で「おぉ、ええよ、おいでおいで!」とチャーミングな笑みで承諾してくださったのを覚えています。

その時はまだ、2022年の6月でBLOCKSMITH&Co.の社員がまだ4人の頃だったと思います。見ず知らずの迷走坊主を拾っていただいたこの御恩は忘れません。

そうして私は、インプットしたブロックチェーンについてアウトプットする場を得ました。

▶︎やはり自分は起業が好きだ

しばらくは、ブロックチェーンについて学び続けていましたが、やはり心の奥底では、このブロックチェーン技術をものにして、何か歴史に名を刻むようなイノベーションを起こしたいと常に思っていました。

実際、寝ることを忘れるほど事業を模索して壁打ちして、また模索してという一連の事業が楽しくてたまりませんでしたし、サバくるの時に我を忘れて取り組んだ体験をもう一度経験したいと思っていました。

自宅のホワイトボード

▶︎初めて大人の凄さを知る

ところが、BLOCKSMITH&Co.に入ったことで、そこにいる自分よりも、もっと素敵なアイデアの種とビジネススキルを持っている大人の凄さを目の当たりにし、自分自身がなんてちっぽけな存在なんだと痛感する機会を得ました。

これはインターンを学生のうちにする一つのメリットだと思います。

そして、私は大きな起業の成功の前には小さな起業の成功があるべきだと考え、まずは小さくてもいいので1円を稼ぐためのビジネスを、なんでもいいのでひと回しすることにしたのです。

大学2年の11月ごろからスモールビジネスを検討し始め、松本メンターと話す中で、小さくすぐに利益が出るアフィリエイト活用した、ボランティアサークルの資金調達を支援するポイントバックサイトの運営を決め、準備を3月1日まで行なっていました。その時点では、システムの構築まで完成し、営業するのみの状態でした。

サークル運営資金を"カンパ" するサービス

一旦、ここで現時点の状態を軽く総括しておきます。

  1. 関西学院大学  法学部政治学科 2年

  2. HoLink株式会社 代表 (サバくる⇨カンパち準備中)

  3. ブロックチェーン企業でインターン中

  4. 松本ゼミ ゼミ長

▶︎いざシリコンバレーへ

ところが、大学2年の冬、3月2日から6日間、神戸市主催のプログラムで、シリコンバレー研修に参加しました。

「自分が迷走状態にあること」
「就職か起業かを決めるラストチャンスの時期であること」が
参加理由でした。

自分自身が何者で、何をしたいのかをはっきりさせるために、これも藁をも縋る思いで人生に化学反応をおこすために参加しました

▶︎失敗。でも起業家精神は再熱🔥

シリコンバレー研修では、面白い出会いもありました。たまたま同じチームで知り合った同世代の起業家を志す女性Nさん。

Nさんとは「ビジコンは簡単に勝てるが、実際にお金を稼げていないという虚しさ」や「ネットワーキングばかりするだけで、エビ天ぷらでいう"衣”ばかり付けるのではなく、"実"の部分を大きくしたい」など、これまでの境遇がとても似ていました。

かつ、Nさんが実際にやろうとしていた事業内容が、私が元々Web3ハッカソンに提出しようとしてやめた資料と100%一致しており、あまりにも偶然すぎたことから、お互い「一緒にやろう」という流れになりました。

Nさんには既にチームメンバーがおり、そのメンバーともシリコンバレー中に面談し、チームに入れてもらいたいと話し、検討してもらっていました。

結果的には、日本のチームとの方向性の微妙なズレや、スピード感の違いなどから、残念ながら私がチームに入ることはありませんでしたが、6日間という短い間で、プロジェクトを磨くべく、事業内容のピッチ資料を徹夜で作成したり、様々なSFの起業家の方々に壁打ちしていただくなどした経験は、プロジェクトの内容とは関係なく、なぜ起業家を目指しているのか、私の起業家としての意義を再確認する機会となりました

▶︎一期一会

事業の壁打ちしてもらうべく、最終日にサンフランシスコ市内でGenerative AIとKnowledge Shareのプロダクトを作られているGlaspの中屋敷さんとお会いした際のこと。

Instagramが生まれた公園をバックに

中屋敷さんと交流ののち、サンフランシスコの日本人起業家が住むテックハウスをご紹介いただき、そのテックハウスにいる起業家たちと熱くイノベーションについて語りあう中で、自分の中でモヤモヤしていたものが見えてきました。

テックハウスには、世界を革新したい覚悟を持った起業家が集まり、日々切磋琢磨し合いながらお互いのビジョンを語り合いながら、日々プロダクトを作り上げていました。

テックハウスの起業家(初対面)

▶︎原点回帰

テックハウスには"世界を変えるプロダクトを作り、歴史に名を刻むことを志す人が集まる"

そう、自分が幼い頃にイーロン・マスクの伝記を読んで心に決めたこと。
"死ぬまでに大きなことをして歴史に名を刻んで死にたい"

その瞬間、ここが自分が求めていた場所であると確信し、もう一度サンフランシスコに戻ってきたいと思うようになりました。もちろんSFにいる起業家は口先だけはないし、辛いことの方が多いのは承知の上。

自分の原点の再確認、それに加えもう一つ自分の中で得たものがあります。それは「死ぬまでに何か爪痕を残して死にたい」の意味。
その爪痕が"ビジョンの達成"であると言うこと。

世界をこうしたいと言うビジョンを変えずに掲げ、そのビジョンに対してさまざまなプロダクトを作っては壊しを繰り返し、ビジョンの達成に向けて取り組む。

自分自身ビジョンを明確に定義せずにここまでやってきたことで、「自分のビジョンはなんなのか」「このテックハウスに入りたいが、わざわざシリコンバレーに来る必要があるのか」
と考えながら、興奮状態で帰路につきました。

2023,07,15追記
ビジョンベースでの事業案の考え方は、このあとサンフランシスコに滞在して、変わりました。20歳の若造が、これまでの人生経験から考えたビジョンで事業案を作ってしまうと、逆にそのビジョンに縛られて苦しめられることをこの後痛感します。(あくまでも私の場合です)


▶︎ビジョンの確立

「自分が1番欲しいものを作る」起業家の中屋敷さんの言葉です。

起業家は自分の信じること(ビジョンや世界線)を貫き通し、たとえサービスが変わったとしてもビジョンは変えない。

投資家になんと言われようとも、自分の言葉を理解してくれる投資家に出会えるまで信じてプロダクトを作り続ける。その上で顧客、自分が感じるペインの大きさを重視していくべき。もちろん、俯瞰的な視点も必要ですが。

▶︎シリコンバレーに行く意義

これについては、プロジェクトを問わず、テックハウスという覚悟を決めた仲間たちのいる環境で事業を練ること自体が、自分にとって、1番サンフランシスコに行く理由です。あの環境では、自分の夢を恥ずかしがることなく、100%ピュアに話すことができました。

本田圭佑さんも夢実現の近道は「環境にこだわれ」と👆

▶︎終わりに

以上、長い長い自己紹介でした。

最後になりましたが、このような起業を考えることのできる環境を提供してくれた両親、パートナー、関学、神戸市さんをはじめとするここまで自分を支えてくださった関係者の皆さんに、感謝申し上げます。

まだまだこれからの未熟者ですが、肩書きで飾らない、本当の自分になるべくアメリカ、日本で必死に努力を重ねる所存です。応援よろしくお願いします。

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