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辛さの量=幸せの量

私が体験した体験談です。

小さい頃から私の両親は仲が悪く、いつも喧嘩ばかりでした。

だから私は、「家族みんなで笑って、夕飯を食べる事」が一番の幸せでした。

仲の悪い両親が仲良くいてくれること、それが一番の願いでした。

でも、仲が良くなることはありませんでした。

その原因はお金でした。

いつも母は父に、「生活費が足りない」と言っていました。

父は「お金がない」が口癖でした。

だから母は、実家に行っては、お金をもらっていました。

祖父母は、何かと私達家族の為にお金を援助してくれました。

私は、「父は立派な人だから、いつか必ずお金持ちになって、母を幸せにしてくれる」といつも信じていました。

そして私が社会人になり就職した時、父が私に言いました。

「働いてでた給料で家にお金を入れて支えてくれ」

器の小さかった私は、この言葉を受け止めれずに、心がもやもやしました。

暫くして、妹が大学に行くことが決まりました。

しかし入学金が父は出せませんでした。

だから私が妹の入学金を出しました。

私の中で何かが壊れてしまいました。

パパっ子だった私は、完全に父を嫌いになってました。

このことは母は知らなかったのですが、

母が突然別居すると言い出しました。

実家に帰ると言い出しました。

いつもの私なら、二人の間に入って、仲をとりもっていたのに、この時は母の意見を聞いてしまいました。

荷物をまとめて、母の実家に行き、父は一人になりました。

すると暫くして祖父が父と母を離婚させるべく弁護士を雇いました。

その弁護士が、父が何故いつもお金がないのか調べました。

その理由が判明しました。

株でした。

私は、信じられませんでした。

父はそんな人ではない。

父は、いつも世の為人の為に働く人でした。

だから、人の為にした事なんだと。

そして、何より、育ててもらった父を責めることなど、娘の私にはありません。

もちろん、母にもです。

すると、暫くして、祖父が父の給料を差し押さえ、父は生活が困難になっていきました。

私は、ご飯が喉に通らない日々が続きました。

父が苦しんでいるのに、私はご飯を美味しく食べる事なんて出来ませんでした。

会社の帰りに、何度も死にたいと思ってしまいました。

そしてある日、祖父に言いました。

「父の差し押さえをやめてほしい。」

父は、お金がなくてストレスで血を吐いたりしていました。

でも、祖父も娘が可愛かったんだと思います。

聞いてくれませんでした。

でも父には優しい友達がいました。

お金のない父にただで食事やお皿を提供してくれ、

父は精神的に元気になっていきました。

そして私は母に、泣きながら「帰ろう」と言いました。

子ども思いの母は、父を思い悲しむ娘の為に実家を出る事を

決断してくれました。

そして、父の元へ帰り、母は父ともう一度頑張っていく事を決めました。

丁度、父に他県の仕事が舞い込んできたこともあり、母と父は他県へ、

私は一人暮らしをすることに。

暫くして、付き合って5年する彼と、私は結婚することになりました。

今でも、この時の事を思い出すと、私があの時母と一緒に実家に帰らなければ父を苦しめずに済んだと思います。

私が父を苦しめたんだと。

そして、文章に書いてしまえばアッと言う間ですが、

当時の私にとっては本当に壮絶で苦しい日々でした。

でも、この苦しみがあったから、主人と結婚できたんだと思います。

幸せを手に入れるには、苦しみを乗り越えなきゃいけないんじゃないかなと思うんです。

それは、苦しみを乗り越えた時初めて、幸せを受け入れる器が出来るんじゃないかって思うんです。

苦しい時が起きてるときは、先が見えなくて暗闇を歩いている感覚でお先真っ暗です。

でも、必ずあきらめずにその道を歩いていれば、暗いトンネルは抜けれます。

トンネルの長さは、多分人それぞれ違うだろうし、トンネルを走って抜けれる人、歩いて抜けれる人、たまにトンネルの中で寝ちゃう人もいると思います。

私は、途中で寝ちゃう人です!笑

でも、必ず、明るい未来はあるんです。

しかも、トンネル内の暗闇で苦しんだ期間が長い人ほど、明るい未来の長さも長いです。

私は、必ず苦しみの量=幸せの量は同じだと思います。

だから、苦しい期間は、どんとこいや!です!

私以上に苦しい体験をしてる人、沢山いらっしゃると思うし、今回の体験を苦しい体験といって紹介するのは、本当におこがましいです。すみません。

でも、同じ地球に生きている誰か一人の役に立てれば嬉しいです。

次回は、主人と結婚するまでの壮絶エピソードを紹介したいです。



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