見出し画像

『鬼滅の刃』からはじめる哲学ー鬼っていう奴が鬼なんだ編ー

「鬼」は西洋でいえば「悪魔」。善悪でいえば悪、ダークサイドだ。
しかし、鬼=悪と決めつけるのは哲学的にはよろしくない。
「鬼」という差別用語はやめて、「スーパーマン」と呼んでみよう。
『スーパーマン滅の刃』としてこの物語を再解釈してみよう。

※この記事は『鬼滅の刃』全23巻の内容を含んでいます。ネタバレに注意してください。

スーパーマンの主な特徴

「鬼は老いない。食うために金も必要ない。病気にならない。死なない。何も失わない」(上弦の陸 堕姫)

つまり、アンチエイジング、脱貧困、無病息災、不死、ノーコスト。まさにスーパーだ。あとは身体能力も高いし、努力すればすごい術も使える。

一方で、本人たちが感じるデメリットはこんなところだろう。
・ボスのパワハラがひどすぎる
・日の光で死んじゃう
・鬼狩りが殺しにくる

そして大事なのは、スーパーマンは人間であるということ。ボス含め、全て人間の変異種なのだ。
鬼殺隊の目的は、スーパーマンを殺して人を守ることだ。大切な人を殺された彼らには、復讐心と、大切な人を守るという大義がある。この気持ちはわかるし、人間がスーパーマンを「悪しき」鬼と呼び、全滅させようとするのは当然だ。

ではスーパーマン(鬼)の立場になってみよう

スーパーマンは人を食わずにはいられない。人間が牛や豚や鳥を食べるのと同じで、生きるために人間を食べる。おいしいとか栄養があるとか、食べ物に色好みがあるのも人間と一緒。ほとんどのスーパーマンにとって、食事は楽しい。
最初は元同類の人間を殺すことに抵抗があるかもしれないが、そのうち何も感じなくなる。これを共食いと呼ぶのかは不明。
人を喰うことについては、人間とスーパーマンの間に明らかな対立がある。
というよりも、本質的な対立はここにしかないのではないか、というのが私の感想である。

スーパーマンの中には、自らの意思でスーパーマンになる者もいる。
つまり、人間の立場でもスーパーマンの生き方には魅力があるし、正義もあるのだ。
上弦のスーパーマン達はその魅力を語ってスカウトする。
「スーパーマンにならない意味ってあるの?」と問いただす。
しかし柱達の対応は冷ややかだ。
炭治郎のリアクションは特にひどい。あんな優しい男が、
「何だと? お前、お前はもう黙れ」と鬼みたいな顔でいう。怖い。

価値観の対立

スーパーマンにならない人間側の理屈として、人間の弱さ、脆弱さ(vulnerability)の肯定が語られる。

「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」(煉獄杏寿郎)
「我らは人として生き、人として死ぬことを矜持としている」(悲鳴嶼行冥)

老いや死こそが人間を人間たらしめる、という価値観である。

もちろんこれは立派な価値観だ。
そして「悪しき」鬼の理屈に対する人間(善、正義)の理屈として、読者も無反省に肯定したくなってしまうだろう。
でもちょっと待ってほしい。
人間にとって鬼は人を殺す悪であり、だからこそ鬼になりたくないというのはわかる。
だがそれと上の価値観は必ずしも結びつかない。

もしスーパーマンが人を喰わなかったら、と考えてみよう。
スーパーマンのスーパーな能力を得るのに、人を喰う必要がないとしたらどうだろう。
というのも、人を喰わない善いスーパーマン(禰󠄀豆子、珠世、愈史郎)もいるからだ。

漫画を読んでいくにつれ、どんどんコミュニケーションができるようになる禰󠄀豆子に対して、「もう、これでよくない?」と私は思ってしまった。
スーパーな能力をもち、人も喰わず、会話もできて、ついでに日の光も克服したら、なにか問題はあるだろうか?
問題があるとしたら、上記のセリフにある人間としての美しさや矜持がないことだ。
つまり禰󠄀豆子を人間に戻す理由は、「人間になって老いて死ぬため」なのだ。

画像1

現代人は鬼になろうとしていないか?

生物として、スーパーマンから人間になることは明らかな退化だ。
そして現実の人間は、アンチエイジングや無病息災、救命のための医療を求め、貧困や危機から脱するための技術、経済、社会を求めている。
あれ、本当に自然な生老病死を美しい矜持だと思ってる?

老いと死を避けようとする人間に、人を喰わないスーパーマンを否定する理屈はあるだろうか?
その生き方が悪くないことは、愈史郎が示しているのではないか。

スーパーマンの価値観が間違っていると言いたい人間の気持ちはわかるが、
人殺しという対立点を除いてもなお人間の価値観を擁護するのは、人間の弱さを「善」にしたいからなのではないか。弱さは善、強さは悪という不自然な道徳である。間違いとは言わないが。
その一方で人間は弱さを克服しようとして技術を進化させる。人は「誰かのために強くなれる」し、人を守るために強くなることを望む。技術もまた、人を守るために獲得した人間の強さだ。
人を強くするための技術は、人間の儚さと逆行する。
スーパーマンを否定する人間が、スーパーマンになろうとしている。

弱くていいのか、強くなりたいのか、どっちなんだろう?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?