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“イヤミス”は一過性のブームか?――芦沢央『罪の余白』の感想・レビュー

芦沢央『罪の余白』を読んだ。

芦沢央の作品は、これまで『許されようとは思いません』『悪いものが、来ませんように』、この2作品読んだことがあったのですが、そのときは、面白いけど、これを「素晴らしい!」と絶賛するのは、どこか抵抗があった。

しかし、本作は、面白かった。
夢中になって最後まで一気に読み終えた。

「芦沢央、面白い」と素直に思った。

今まで私は強がっていたただけではないか。
芦沢央の作品を絶賛するって、どこか幼いんじゃないか、と。

だから距離をとって、「もし学生のときに読んでいたら、とてもハマっていただろうな」なんていう、言い訳のようなことを言って、素直に認められず、強がっていたのではないか。

そう思ってしまうほど、本作は、面白かった。

『罪の余白』を読んだ感想

芦沢央『罪の余白』
芦沢央『罪の余白』

“イヤミス”なんていう言葉があるけど、そんなふうに括ってはいけないように思った。

確かに、嫌な気分にはなった。

例えば、父親(安藤)が、ベタの殺し合いを見つめるシーンがあるのだけど、これが絶妙に嫌な気分にさせる。わざわざこんなの差し込まなくてもいいのに、と突っ込みたくなるほど。
それまで“良いお父さん”のイメージだったのが、変わっていく。見たくない姿に変わっていく。憎悪に蝕まれていく様がとても不快。

「“イヤミス”なんていう一過性のブームで括ってはいけない」
そう思ったのは、この不快な感じは、例えば30年後に読んでもきっと不快だろうな、と思ったからだ。
それは『許されようとは思いません』、『悪いものが、来ませんように』も同様。

嫌な気分にさせる作風というか、その技術というか、これは一過性ブームではなく、きちんと評価されるべきだろう。文筆力がなくては不可能な技術である。人の心をしっかり動かしている。


とはいえ、「もうちょっとこうしてほしかったな」という、気になる部分もあった。

咲という人物。
「こんな女子高生、滅多にいないでしょ」と思うほど、強烈なキャラクターなのだが、こんな人物が生まれるには、家庭環境が大きく影響していると考えるのが自然だろう。

しかし、家族、家庭環境という背景がほとんど描かれていない(なんなら、お母さんはごくごく普通の人)。
なので、「突然変異的に生まれたサイコパス」のような存在となってしまっている。
まぁ、それならそれでいいのだけど、家庭環境がどうなっているのかほとんど書かれていないのは、違和感があった。

小沢早苗という人物に関しても、「そこまでロボットのような、無機質な性格である必要はあるのかな」と思ってしまった。
小説を書くにあたって、登場人物に引きがあるキャラクターを与えるために用意した設定――そんなふうに見えてしまった、正直。作者側の意図が露骨に見えてしまうと、冷めてしまう。


と、このように気になる点もいくつかあったけど、
それと小説が面白いかどうかは、私個人としては、ほとんど無関係である。

「細かいことは気にするな」、である。

細かいことを気にすると、ほとんどの小説は楽しめないだろう。
ミステリー作品なら尚の事。

「細かい部分に引っかからないこと」、これは小説を楽しむコツ、小説を楽しめる人の才能だと思う。

小説の面白さは“大局”にある。

大局でみたときに、この『罪の余白』は大変面白かった。

次の展開がどうなるか、ワクワクさせるって、もうそれだけでじゅうぶんです。すごいです。

以上、『罪の余白』を読んで思ったことでした。

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