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成し遂げなければ幸せにはなれないのか?

今日は休み。

ソファで寝転がって、ぼーっと、幸せとは何かを考える。

幸せだとか、そんなもん、考えることすら恥ずかしい。
恥ずかしい大人になったものだと思う。

おいしいものを食べたら“幸せ”である。
うつくしい景色をみたら“幸せ”である。
家族と楽しい時間を過ごすのが“幸せ”である。
好きな映画や音楽で満たされるのが“幸せ”である。

……これら、いずれも“幸せ”である。

幸せとは、“感じるもの”である。

身近なもの、たとえそれが退屈なものであっても、それを私がどのように“感じる”か。

私が、その身近で退屈なもの、
ありふれた日常を幸せだと感じること、それが幸せである。

そのような感性を、持っていたいものだと思う。

しかし、それで、私たちは満たされるのだろうか。

本当に? 満たされるのでしょうか。

私はときどき、以下のようなことを思う。

何かを成し遂げたい。
しかし、何も成し遂げていない自分。
このままでは駄目だ、行動を起こしたい。
努力したい、達成したい、成功したい。
成し遂げなければ、幸せにはなれないのではないか?

私はときどき、そんなことを考え、
『このままじゃいけない』と何度も反省し、何度も私に失望する。

誰か、納得させてほしい。

「『成し遂げなければ幸せはなれない』って? そんなの幸せじゃないよ」

って、そう言って、私を納得させてほしい。

幸せとは感じるものだ、
ありふれた日常を、幸せだと感じることだ、
その感性を持っているか否かだ。
遠くにはない、身近なところ、日常にこそ幸せはある。

確かにそうだ、そんなのは分かっている。頭では分かっているのだ。

しかし、だからといって、

私が、今のままの私でいいのかと。

何かを成さないといけない、いや、成さなくても、何かに取り組まないといけないんじゃないか。

このままでいいと思える、私自身を納得させる理由にはならない。

***

私は未熟なのかもしれない。

こじらせてしまった、本当に。

私はまだ人生に、何かがあるのだと、
私はまだ私自身に、何かができるのだと、期待している。

正解はない。皆がそうであるように、誰しも考え、生きている。

成し遂げなければ幸せにはなれないのか。

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