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映画•川っぺりムコリッタを観て生と死を想う

川っぺりムコリッタの映画をやっと見た
気がついたときには映画が終わっていて
興味を持つと原作を知りたくなる私は読んで
映画も見終わってしまったかのように安心してしまう。
だからあの冬、こんな夜更けにバナナかよ
を観に行く前に原作を読んでしまって
映画をリアルに見落としてしまった。
私にはこんなところがある。

今は『川っぺりムコリッタ』の話し。

主人公の背景

主人公は松山ケンイチさんの山田。
山田は、4才の時に両親に離婚され
高校生の時に2万円渡されて母親からは
これでお前との関係は終わりだよと告げられた
過去を持っている。
だからか心にポッカリ穴が空いているようで
孤独に生きて犯罪者と知り合い
自分も犯罪を犯してしまって前科を持つ身になってしまった。

そんな山田が出所して犯罪を犯してしまった人に寄り添う塩辛工場の社長(緒方直人さん)に誘われて塩辛工場で働いている。ひたすら塩辛にするためのイカをさばいていくのが彼の仕事。
その同僚中島に(江口ノリコさん)。
社長は、山田にアタマで考えるんじゃない
手を動かして毎日を生きていくんだと背中をそっと押してくれる。
江口ノリコさんは作業の隣で食品工場の白いキャップ、マスク、白いユニフォーム(春馬ファンには日本製の春馬くんの格好を見慣れて?いるので懐かしささえある)姿で目だけで演技されていてセリフがひと言もないのだ。

個性的なアパートの住人

社長は山田の住まいに地方の川っぺりに立つ
築50年の平家アパートを紹介する。
大家の南さん(満島ひかりさん!)がアパートにも住んでいる
南さんはガンで5年前にご主人に先立たれて
縄跳びを宙にぐるぐる回しながら宇宙人と交信しているという女の子を一人で育てている。
南さんも妊婦を見るとなぜか蹴りたくなって
しまうというやばいひと。(蹴りはしないとは言っているけど)

アパートには個性豊かな人たちが暮らしていて
お隣が島田さん(ムロツヨシさん)
島田さんが変わっている。
山田がはじめてアパートでお風呂をたてると
いきなり訪問してきて給湯器が壊れて銭湯だと420円もかかるからお風呂に入れさせてと風呂桶を抱えてくる。
以来山田がご飯を炊くと自分のお茶碗とお箸を持参で「山田さんはご飯を上手く炊く才能がある」と言いながらやってくるようになって
誰かとご飯食べるほうが美味しいでしょと
お風呂に入り風呂上がりのビールを冷蔵庫を開けて勝手に飲み、山田の炊いたご飯をおかわりまでして食品工場で作った社長が持たせてくれた塩辛をおかずにふたりでご飯を食べるようになるのだ。
島田も悪気は全くない様子で食生活がご飯と塩辛だけじゃ野菜が足らないでしょとアパート前の
平地を開墾して作った自給自足するための野菜をゴロゴロと山田に届けてくれる。
季節は夏だからきゅうりトマト、茄子。

他の隣人はお墓を売る営業をしている
吉岡秀隆さん。小さな自分の息子と一軒ずつ
飛び込んで「いつ亡くなっても安心なようにお墓を用意しましょう。心を込めて安心価格でご用意させていただきます」とコトー先生の
あの口調で訪問していくのだ。

孤独死した父親のこと

マイペースな島田に翻弄されながら
4才で別れた父親が孤独死をしたので
遺骨を引き取りに来てくださいという連絡で訪ねた市役所職員に(柄本佑さん)父親の遺骨を
渡される。
父親には何の記憶もなく音信不通だった父親の遺骨を引き取ることに戸惑う山田。
残された遺品の中のガラケーの最後の通信先を
知りたくなった山田は公衆電話から電話をかけてみる。その電話先は「いのちの電話」
その職員さんが声だけの出演の薬師丸ひろ子さん。
薬師丸ひろ子さんの声が優しくて
「あの世はあるんでしょうか?」
という問いにこれは私の個人的な意見なんですがと前置きをしたうえで
「私は子供の時に宙にふわふわ浮く金魚のようなものを見たんです。それは空に向かって泳いでいてふっと消えたんですけど、大人になって
きっとあれはひとの魂であの世に向かっていったんだって確信しているんです」と答えてくれる。

父親の残された最後の通信先がいのちの電話であったことに戸惑う山田は、職員さんを訪ねて
父は自殺だったのですか?と尋ねるのだ。
職員さんは父親の住んでいたアパートを
彼と訪ねてベランダには植物を育てていて
部屋はきちんと片づいて丁寧に暮らしていたこと。亡くなった父親のそばには牛乳とコップが置かれていておそらく風呂上がりであっただろうと伝えてくれる。
実は山田には風呂上がりに腰に手を当てて
牛乳を飲む習慣があって
その時にはじめて自分の父だと実感するのだ。

私の思うこと

映画の原作監督は荻上直子さん
私が大好きな映画を撮られた『かもめ食堂』の
監督さんだった。
荻野さんの監督作品をたくさん観たわけではないけれど彼女の撮る映画は食べ物の印象が鮮烈だ
かもめ食堂では主人公の握るおにぎり。
川っぺりムコリッタでも山田の必ず炊き立てのご飯。釜の蓋を開けた瞬間のモアッと広がる
白い湯気。塩辛。島田の作るきゅうり
トマト。そのご飯を食べている音。
お味噌汁を飲む音。もぎたてきゅうりを齧って
咀嚼する音。トマトの果汁がしたたる様子。
夏を彩る日差し。汗。蝉の鳴く声。川を流れる水の音。
映像が夏を伝えてくれる。食物の持つ色、音が生きている。そして生きていくことは
ただ毎日それを繰り返して
一日一日過ごしていくことだと伝えてくれる。

映画のテーマは生と死。
意識しているかどうかわからないが
死を隣合わせに私たちはただ過ごす。
心に開いた穴を抱えながら
優しい隣り会えた人たちに関わりながら
支えあって生を生きている。

その先に死があったとしても
そのカタチが人それぞれでどのようなもので
あったとしてもそれはきっと安らかな死だ。

終わりに

映画の終わりに川っぺりで
父親の遺骨を新聞紙の上で粉にしている
山田は隣で粉になった骨にさわる大家の南さんに気持ち悪くないですか?と尋ねる
南さんは怖くないよ、だって元はみんな人間でしょう?お父さんのお葬式をしてあげましょうよと言う。

アパートに住む個性豊かな隣人たちが一列になって川のそばを歩いていく
友人になった島田の幼なじみのお坊さんを
先頭に続く山田が黒いスーツを着て
粉になったお父さんを川のそばで撒いていく。
その様はまるでパレードのようだった。

ふと藤井風くんの『花』のミュージックビデオの、一列になって踊って消えていった映像が甦る。

ただ 食べて寝て
あたまで考えず手を動かして前に進む。

ムコリッタ(牟呼栗多)とは、仏教における時間の単位のひとつで、1日(24時間)の1/30、48分を意味する言葉。

なのだそうです。

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