実家の障子を張り替えたら、生き方について考えることになった。

いつの頃からか、実家の障子が破れたままになっている期間が長くなった。

そのうちにまともな修復もされなくなり、ガムテープや、白い紙で穴を塞ぐだけの応急処置で済まされるようになった。

僕はそれがなんとなく悲しかった。


少なくとも10年はそのままになってしまった障子

僕の実家は典型的な農家の家で、広い土間を入口に、畳の部屋が続いていく純和風の建物だ。
正確な建築年は分からないが、今年で90になる祖母が嫁に来たときには建っていたらしいので築70年以上は間違い無い。

古民家、と言えば聞こえは良い。ただ一歩間違えはボロ屋敷にもなりかねない。そんな建物だ。

伝統的な日本建築には障子が欠かせない。我が家もその例に漏れず、仏間と納戸を除くほとんどの部屋が障子で仕切られている。
だから直されないままの障子たちは嫌でも目に入り、それは家自体の老朽化を象徴しているように思えた。

農業を営む家族は日々の作業に追われ、障子を直す時間など無い。最後の砦だった祖母は認知症が進んでしまい、今では応急処置すらしなくなってしまった。

僕は帰省するたびに汚れた障子を見ては、やるせない気持ちになっていた。

なら。
自分で直してみようか?

ふとそんなことを思った。
少し前にサザエさんで障子を直すシーンがあった。あれは別に専門の業者に頼まなくても直せるものなのは分かる。

僕はすぐにスマホを手に取り、「障子 張り替え」と検索した。

少しだけ春の足音が聞こえる2月の午前中、僕はホームセンターで道具を買い揃えた。
障子紙、障子用のり、はけ、障子カット定規。
どれもこれも日常生活では使わないもの。障子を張り替えようと思わなければ、存在すら知らなかったものだってある。

実家に帰り、さっそく作業にとりかかった。

まずは古い障子紙を剥がす。これがものすごく手間取った。紙が障子の枠の部分に残ってしまい、それらを全て綺麗に拭き取らなければならなかったのだ。濡れ雑巾で丁寧に紙を拭き取る。これだけで30分以上の時間がかかっていた。


作業途中の様子

ようやく全ての紙を拭き取ると障子紙の貼り付けに入る。これも慎重な作業だ。障子紙の位置を合わせ、端をテープで固定する。のり付けが甘いと紙がしっかりと貼れないため、枠にたっぷりと塗りつける。

シワにならないよう気をつけながら、紙を伸ばし貼っていく。
ただ障子紙は最初から障子のサイズに合った大きさになっているわけでは無い。ここで障子紙をカするための定規を使い、はみ出た部分はカットする。

最後に障子紙の張りを良くするために霧吹きで水を吹き付ければ完成だ。


どうにかこうにか綺麗になった障子

ここまで1時間以上かかった。シワや緩みなど所々に粗は目立つがそれでも綺麗になった障子を眺めるのは気持ちが良い。 

ただ。
これで直ったのは一枚だけ。

我が家には十数枚の障子がある。そのたった一枚を直しただけだ。

どうやら「障子剥がし剤」という障子紙をスムーズに剥がせる道具もあるようだが、それを使っても今の僕では4、50分はかかってしまうだろう。

全部直そうと思ったら本当に日が暮れてしまう。


父親に昔は誰が直していたのか聞いてみた。
すると意外なことに、祖母はほぼ自分では直さず業者に頼むことが多かったそうだ。
全て自分で直していたのは、父の祖母、つまり僕の曾祖母の時代までだという。

この頃、実家は貧しかったらしい。祖父は道楽人であまり農作業には積極的では無く、曾祖父母や祖母がなんとか畑を守っていたが、お金にはあまりなっていなかったそうだ。

ふと考える。
それでも障子紙を張り替える時間の余裕はあったんだな、と。

今の実家はビニールハウスで大々的に農業をしている。季節外れの野菜を高価格で出荷し、そのおかげで自分自身貧しさを感じること無く育った。

だがその代わり日々の管理作業は多く、日中のんびり家の中のことを気にする余裕は無い。それがもっともはっきり現れたのが障子だったのだ。

これは別に我が家の農業に限った話では無い。
社会人だってそうだ。
平日の日中は朝から夕方まで働き、週末に休みをとるという規則正しいけれど融通の効かない生活。

数少ない休日にわざわざ何時間もかけて障子を直そうとする人がどれだけいるだろうか。

安定した生活を否定することはできないし、その恩恵の大きさは身に沁みるほどよく分かっているつもりだ。  

それでも、本来手の届く範囲にすら気にかける余裕が無くなってしまうような生活にも疑問を覚える。

少なくとも自分の家の障子は、自分で直せる。
そんな時間と気持ちに余裕のある生活がしたいものだとしみじみ感じた。

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