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シン・ゴジラ脚本論…大きな嘘を掲げる、珠玉の完成度

先日7月29日は、シン・ゴジラ公開から7周年の日でしたね。


2016年7月29日、朝イチで映画館に駆け込みました

↑これは、割と初見に近い時期での感想でした。
圧倒されていたのが、文面に出ていますね。

改めて、シン・ゴジラの何が凄かったか

思えば、私が脚本を学び始めたのもこの年、2016年でした。最初は原稿用紙に手書きで短編を書いたのを覚えています。柱の立て方は~、ト書きは3マス空けて~、など、基本的な事を頭に入れていた時期です。その時教わっていた所で言われた事ですが、「台詞はなるべく短く」、というのがありました。初心者の頃に説明癖を付けるのは良くない、と「一行縛り」で書けとまで言われていたのです。事実これで台詞について考えるようになり、いかに一言でキャラを表現するか…に頭を使っているのは今でもそうです。とても実のある縛りだったな、と思いますが、そんな時期だったからこそこのシン・ゴジラを観て衝撃を受けたのでした。

「全員、長台詞で喋りまくりやん…!」

という衝撃です。というかこれはもう庵野監督独自のもので、他の監督は誰もやらない演出だと思います。

大量の台詞の中でも、重要ワードはしっかり引き立っています

観客がついて来れるかどうかなどお構いなしに、登場人物全員がマシンガンのように喋りまくる。これは後のウルトラマンや仮面ライダーでも同様の部分がありますが、最も顕著なのはやはりゴジラだと思います。そもそも人物の数からして常軌を逸した映画でありますから。
ですが、こんな言葉の洪水のような作品でありながら、基本災害もの、パニックものの流れなので「それが面白い」訳です。監督の書いたホンに「これ3時間超えるよ」とダメ出しがあったそうですが、「いえ、二時間で大丈夫です」と本人が言い切ったそうなので、このマシンガントークは最初から想定されていたんでしょうね。

とにかく、会話シーン、場面転換にインパクトのある作品でした。

そして、シン・ゴジラの優れたところ


TV放送で最も視聴率が高かったシーンは、やはりここだそうです

「映画&脚本の基本を無視している、だがそれが良かった」のように結果論で評論される事が多いこのシン・ゴジラですが、私はそう思っていません。この映画は、脚本としても実に基本に忠実でハイクオリティであるという印象を持っています。

その基本とは、「大きな嘘を吐くために、小さな嘘を吐かない」という事です。これは脚本の基礎技術の部分で学ぶ、心構えに近いものですね。

たとえばミステリーものですが、現実にトリックを駆使した連続殺人などは起きないでしょう。探偵が活躍する為の舞台装置であり、リアルとは思えません。ですがトリック自体が身近なものを使っていたり、ニュースでも見かける殺し方であったりするから、観客は「実際に可能なトリック」だと認識し、謎解きを楽しめる訳です。これが魔法での犯行なら、白けるだけです。
ゴジラ映画、もとい怪獣映画は、まず怪獣というのが「大きな嘘」として存在します。

…はい、ここで、「シン・ゴジラは政治家、法律、自衛隊の描写がリアルだったから優れていた」という論法に続くとご想像されましたか。
それもありますが、シン・ゴジラのリアルはそこではありません。
「巨大不明生物と相対した、人間たちのリアクション」です。

矢口は、ゴジラへの怒りをぶつけたりはしません
状況に対し、常に真摯な政治家です


登場人物たちが、皆「死」を感じています。直接描写はなくとも、「死」を聞いて、見ています。1954年の初代ゴジラとこのシンにあって、他のゴジラ映画にないものです。現実にあんな生物が表れたら、全ての人が等しく「死」を感じて当然だと思いませんか。少なくとも幼少期からウルトラマン好きで、怪獣襲来の夢をよく見た私はそうです、「生き残れるの?死んじゃうの?」頭の中は常にこれです。「死」を感じている人間達が織りなすドラマだからこそ、シン・ゴジラは大ヒットしたのだと確信しています。そこに、「嘘」がないからです。

この観点で見れば、他のゴジラ映画は「ゴジラ」という大きな嘘を吐きながら、小さな嘘も吐きまくりです。人間達がゴジラを怖がっていないし、平成のシリーズだとゴジラと交信する女性まで現れる始末。一体どこに感情移入すれば良いのでしょう。他の怪獣とケンカするゴジラをただ見るだけの傍観者にしかなれていない登場人物が「戦いは終わった…でもゴジラはまたやってくる」などと宣って、どうやって感動しろと言うのでしょう。

シン・ゴジラのラスト、ヤシオリ作戦など冷静に見ればかなり無理のある作戦です。そもそも血液凝固剤がギリギリの量しか用意出来ていなかったのに、建機小隊第一波が吹き飛ばされた後即座に第二、第三が向かって何の影響もなかったように続きを投与しているのがなんともご都合主義だと、私は感じました。しかしそれも、ここまで積み重ねてきた描写によって、命懸けでゴジラに向かうポンプ車の姿に感動出来た訳です。この合間に例の電車爆弾などもあり、もはやリアリティとか、どうでも良くなってたりする訳ですが(笑)。

何気にこれも初代オマージュ、しかも豪快なアレンジ版です

映画に携わる人々が、シン・ゴジラから何を得たか

そして約三ヶ月後、新しい国産ゴジラ映画がやってきます。
時代設定など、意欲的な姿勢は伺えますが未だ未知数です。
すでに7年経ちましたが、いまだ日本映画界はこの作品の衝撃、また完成度を越えられていません。それはもはや、シン・ゴジラがただ一度、不意打ちによって爪痕を遺したのではなく純粋に完成度の高い映画として世間を驚かせたことの証左だと思っています。

もう数年経てば、シン・ゴジラを観て映画界を志した人達の作品もお目見えするかもしれません。ひとまずは、直系の新作であるゴジラがどういう作品になっているか、お手並み拝見といったところですね。

この人もメフィラスやショッカーと戦う、歴戦の猛者になりましたね
実は自衛隊にいた、ウルトラマン(笑)

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