見出し画像

そのもやっとの底は、、、悔しいだったり?


言葉が相手に届かない時や
上から遮られた感じになった時に
自分が相手に届く言葉を発せられなかった

と思うようにしている。
どうしても届かない相手はいる
自分の言葉を変えれば届けられることもある
そっとおいてくるだけができてないんだろなー。

不思議とその時言葉を届けられなかった相手が発する言葉が
なかなか素直に受け入れられない時がある。
なにかきっと大事なこと言ってるんだなと認識してる時もある。
受け取るも受け取らないのも相手の自由だということは忘れない。

が、もーやもーやは残る時があって
内観したら、
時と場合によるけど
これはおそらく『悔しい』なのだ。

何が?
自分の意見をないがしろにされた感?
→しょうがないね、意見は違うんだから
ただ、強いていうなら意見が違った時にお互い否定はせんくていいね

あとは、悔しいって感情に
なんとなくナチュラルに蓋をしてたのかもしれんなと気づきまして、

この『悔しい』はどうしよかと思ったんだけど、
パワーとして使えるじゃない!
と気づいた。
悔しいを原動力にするのだ

なんなら悔しいってことは
それが自分もやりたかったり何かこだわりを持ってることだったりするわけでしょ
じゃあ、やりたいことやこだわりが見つかったやーん
よかったやーんって!
冷静になってそのこだわりいらんなとか別にやりたいわけでないなと気づいたら

その悔しいの感情もシュッと消せるかもしれないな。
しーらない!
と。

と、メモ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?