人生
久方ぶりのこのサイトでの投稿であります。
こんばんは、岡崎モユルです。
自分の人生の是非をこれまでにネタとして小説にしてきた訳なのですが、ようやくたどり着いた吉報により、やっと報われたという実感を経て感無量な時を過ごせています。
大げさな話はさておき、これまで色々あったなあ、と振り返ってみては少しながら涙ぐんでしまうのは、自身過剰すぎる反応ではない事は何より自分が分かりすぎている。
頑張っている者はだれかが見ている、だからこそ必ず報われるというのはよく聞く話。だからこそこれまで頑張っていたのだが、これもまた然り。正直者は馬鹿を見る、他、無理を言えば道理が引っ込むという話により、随分苦しめられてきたこれまでであった。
しかししかし、ようやくそのような事とは別に自分の頑張りが認められた出来事が最近に在り、これからの生きる糧として大いなる力が魂に注ぎ込まれた。
本当にありがたい話である。
というよりもまさかというよりもやはり。これまで魂をふさぎ込んでいた壁らしきものが決壊してしまったらしく、見る景色や聞こえてくるものが全く違うのである。
私は従来、小説を書くのは然り、小説の取材の為日本各地を色々と旅をしつつ、その軌跡を写真に収め、アルバムを作成するという趣味や、作詞作曲、演劇鑑賞、脚本制作、アドバイザーなどと様々な事に首を突っ込んでいたサブカルミーハー男であった。はずが、いつしかその全てをやれなくなってしまった時期を経て今日まで至っていた。
その時期は正しく八方ふさがりであり、何が正しいのか間違っているのかさえもどうでもいいと思っていた時期。
こう言ってしまうとあれなのだが、本当に生きている心地がしないくらい自分がなんなのかさえもわからなかった。
しかし今は違う。
目の前に刺す光は日に日に大きさを増し、世界は広く、何よりも心地よい。今この大都会で生きているという実感がようやく湧いてきた。
ならばこの暗黒の10年を取り戻すべく、自身思いつく限り行動してみようと拳を握る今日。
とても幸せである。
書き続けてきて未だ閉ざされている自身の小説の未来を創造したい。まだまだ文章表現の勉強の為、小説、映画、現実ドラマ。過去に、そして最近誘われた劇団に遊びに行く。神社の宮主様との論争をしに、これまで行きたかった神社への参拝(迷惑はかけない程度に)やりたい事は山ほどある。
ようやくそれを実行に移せる活力が湧いてきたアラフォー秋の今日この頃である。
ここへと文面をぶつけられるようになったのも、自身の心が正常に機能しだした表れだと、安心しつつ雨音を聞きながらpcに向かっている。
どこまで私の文章を閲覧してくれている方がいるのかは分からないが、応援してくれたら幸いである。
現在支えてくれている方々に心からの敬意と感謝を胸にこれからの人生を邁進していこうと思う。
これからもご指導、ご鞭撻を心からお願い申し上げ奉り候。
2020、9,26、 岡崎モユル
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