分かる話、分からない話。

 現代の闇。それは人の心だと思う。こう考えていても取り留めのない事だからやめておいた方がいいと、真黒なブラウン管の自分か言う。何より分かる話の方が少ない様な気がする現代の中、分かろうとしようと耳を傾けるがやはり首を傾けてしまう話ばかり。多分それは情報の話だけでは無く、日常の中でもありすぎるというのはもう皆が気づいているだろう。そう、現代は教育のせいか、情報過多のせいなのか、ベクトルが違いすぎて価値観が違いすぎ、それもまた個性と認められている妙な世の中になっている。誰もかれも人のせい。自分にベクトルも向けられず、平和平和と言いながら妙に他人との距離だけを気にして生きている現実。分かる話ではあるが、情緒にかけるその心情だけが溢れかえるこの世界をどう肯定していくべきなのか。嘘をつき続ける人。嘘をつきたくない人。嘘がつけない人。ばれるのに嘘をつく人。それを聞いていない人。来ている振りだけをしている人。真に受ける人。全て考えてどちらも分かるしやはり分からない気もする。分かりたい気もするし分かりたくないような気もする。そんな曖昧な世界に僕たちは生きている。が、多分皆が皆今を生きる事に精いっぱいで、そこまで深刻には考えていないのだろう。それが今を生きる為に課せられる試練なのか、そんな事サボテンに水をやり続けているような生活をしている人には、死ぬ前に問われても惚けた顔をするだけ。何も分からずままだと思う。切実ながら人としての何かが失われている今。このまま眠りにつき、明日が来ると当たり前の様な日常が自分達に課せてくる。自分だけはコートの襟を立てて生きていきたいと切に思う。しかしまだ眠りは来ず、今日もこうして自分の想いを綴るだけ。やがて未来が無情にも自分に諭してくる。後ろ振りむいてみなよと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?