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古今叙事大和本紀 第一章 吉備国の果てまで 5 完結

 畦道を歩いていると、腹が減っている事に気がついた岳は、ようやく先ほどまでいた村で施された包みの事を思い出し、麻で縛られた封を解き、何かの葉で包ませている囲いを、徐に剥ぎ取ると、お結びの上に一枚の手紙が乗せられていた。
「え?何々?料理の説明とか書いてる紙なのかな?何か洒落てるわねっ!」
 天鈿女の声が聞こえてきて、とりあえず手紙を手に取り、読んでみるとこう記されていた。

『その見た目麗しき君の姿にあいげっちゅう。この料理はそんな君にうぉあいにー。これからの君に幸ある事を願い賜いし、そして最後の言葉を捧ぐ。
 じゅてーむ、じゅてーむ。    長』

 岳には書いている内容が全く理解できないのだが、天鈿女はどうやら分かっているらしく、大笑いしながら腹を抱えてのたうちまわっていた。
「あーはっはっはっはっ!!!何があいげっちゅうよっ!ホント、男って、馬鹿ねっ!!!」
 見苦しいほどのテンションの上がり方に不穏に思った岳は、粛々ながら天鈿女に聞いてみた。
「あめたんよ…。この文章は、一体どういう意味なんのじゃ?」
 相変わらず笑い転げながら、可笑しいのか苦しいのか分からない声を上げた。
「あーはっはっはっは。つか、子供は知らなくていいわ。それよりもこの人、ホントに意味分かってんのかしら。天孫かぶれの言葉使っちゃってっ!あーっはっはっはっは!!」
 その言葉に岳は息を吐きながら頭を項垂れるしかできなかった。
 それよりも否応なく腹が減っている。全てを忘れ去るように、握り飯を頬張り、力任せに噛んだ。
 やがて天鈿女の笑い声も止み、岳の腹も満たされて、先を急ごうとその場を立ち、天を仰いだ。
 晴れ晴れしい空が岳に広がりを見せ、それを遮るように鳥の群れが遥か向こうに黄昏ていた。まるで自分と同じであると岳は思った。
 路を進ませていると、不意に大気の薫りが変わったような気がして、ここが吉備の果てなのだと直観した。周りを見渡してみると、我が家の近所に咲く華や茂る木々とは全く違う植物が存在している。
 現、遠くにいるのだ。
 しばらく路を進ませていると、段々と路が広がりを見せてきて、右には広遠で煌びやかな海、左には悠然と覆い茂る森と、そして目の前には遥かなる大地が這いつくばるように広がっていた。
 そのど真ん中に赤い甲冑を纏わせ、腕を組み、背を向けた完全武装の大男が何故か突っ立っているのが見えた。こんな晴れた昼下がりの長閑な風景には似つかわしくないと岳は思いながらすたすたと歩いていた。
「あの男、何?なんか危ないわね…。」
 心の中に居るにもかかわらず何故かひそひそ声で言う天鈿女。
 聞こえる筈もないではないかと突っ込みを入れたくなったが、珍しく意見が一致している事に岳は気持ちを密かに揺さぶらせながら歩いていた。
 そしてその男の横を通り過ぎようとした矢先、目の前に一閃の光と共に、槍の刃先が岳の鼻筋を捉え、瞬時に身をたじろかせた。
 何が起こったのか分からないまま、その男の方へ視線を向けると、端正な髭を蓄えただけの顔の中に冷たい光を放つ視線に岳の身体は硬直した。
「貴公…。物の怪の類であるのか…?貴公より人外な力が漲っておるぞ…。」
「え……?。我が名は岳津彦。吉備の者也。人外とは心外であるぞっっ!!。」
 放った言葉が、自身の魂に光を宿らせた。
 よくよく考えてみると、この見知らぬ大男に何故こんな物騒な物を突き付けられ、命の危険を晒されなければならないのか全くもって訳が分からない。
 そんな描写の中で、相も変わらず自身に槍を向けている男が静々と呟くように言った。
「我が名は彦五十狭芹彦。この吉備を守護せしむる者也。何やらざわめく気配を感じ、吉備へと急ぎ舞いってきたが、早々に人外なる者に出くわすとは…。」
 彦五十狭芹彦と申した男は、天を仰ぎ見ながら何故か涙を浮かべていた。
 しばらくそう佇んでいると、突如睨むような目つきで岳を凝視して、大地を揺るがすような声で叫んだ。
「この国の平安の為…。大王の為…。汝の首、今貰い受けるっっっ!!!」
 その仰々しい言葉に岳は目を見開いた。
 大きな影に爛々と光る眼光。降り注がれようとする槍の刃先。斜光。悠然たる景色。そして我が身。
 岳は覚悟した。終わった…。ここで尽きてしまうのか。弥生にも逢えぬままで…。

「アンタっ、何やってんのっっっ!!!!」

 岳から発せられた叫び声に思わず彦五十狭芹彦は躊躇し、振り下ろされた槍を押し留めようと、懸命に翻し、後ろへと飛んでいった。
 見事な後ろ回り受け身を決め、立ち上がり、岳津彦の方を望み見ると、そこには男ではなく、よく知る女の姿が朧気ながら映し出されていた。
「あ………、貴女は…。」
「そうよ、私よ…。」
 確実に男の姿ではあるのだが、その身に重ねるように天鈿女の姿が浮かんでいた。
 それに、彦五十狭芹彦は驚愕せざるを得なかった。
「何故貴女が…、このような童に…。某には見当もつかぬ…。」
「そう、貴方には分からないわ…。」
「何故そのように意地の悪い事を申されるのじゃ…。」
 その言葉に長い睫毛を瞬かせながら明後日の方角を見つめる天鈿女。その姿を必死の形相で問い詰める彦五十狭芹彦。
「私は今、この男と旅をしてるの。ちゃん出張届は出してるんだから文句言われる筋合いはないわ。」
 この切り捨てるような言葉に、透かさず突っ込む。
「いやいやいや…。決して文句ではござらぬ。何故かを問うておるのでござる。」
「何で貴方に言わなきゃなんないの?」
 笑顔を浮かべて言う天鈿女の顔を不可思議な表情でぼんやりと見つめた。
「いやいやいやいや、どう見てもこの有り様、尋常ではござらぬぞ。何か訳が有るとお見受け致すが如何に…。」
「もう…。しょうがないわね…。実は、かくかくしかじか、まるまるうまうま…。」
「なんとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」
 彦五十狭芹彦の声が天にこだました。
「かくしか…まうるまとは…。そのような事があったとは…。この麗しき大和が……、あの天皇が………、そんな出来事が…………。我には信じられぬ。」
「アンタ、ホント分かってるの…?」
 涙をはらはらと零しながら、その言葉を切り返すように叫んだ。
「分かり過ぎておるわっ!!己が想い人の為に…。何と気高き御仁であるか…。」
「あ、ホントに分かってんのね。ならいいけど…。でっ?」
 天鈿女の悪戯っぽい問いかけに、彦五十狭芹彦は流れていた涙を瞬時に止めて、戸惑いもせず、気高さ起ちしきる髭面であるが凛とした表情を浮かばせて返した。
「我もお供仕らんっ!」
「えっ!?何でそうなんのっ!!??」
 呆れた声の天鈿女をよそに、誇らしげな声と態度が全てから伝わってくる。熱い、暑い、篤い。そして、真夏のように鬱陶しい…。
「上司であろうとも女には変わりござらぬ。そして、童…。道中、危険が降り注がない訳がありますまい。」
「うん。狭野尊が辿った路を歩むから心配ないわ。」
 誇らしげな声に噛みつくような言葉が被さる。
「何を申しておるのじゃっ!先生が歩まれて最早千歳が流れておるのじゃっ!何が起きても不思議ではござらぬっ!!やはり某がお供仕ろうぞっ!!!」
 その言葉に訝しげな視線を浮かべて女神は言った。
「もうっ!!勝手にしなさいっ!!」

 こうして、熱いだけの、篤い漢が仲間に加わり、一応道中に華を飾っていくのであった。さてさて、物語の途中、どうなることやら…。
 こうご期待遊ばせ。

 吉備国の果てまで 5 おしまい   第二章 明石の怪物に続く

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