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「進化思考」のモヤモヤポイントまとめ➡︎修正記事アップしました

【2022.07.02追記】

6/26(日)の日本デザイン学会第69回春季研究発表大会にて発表された松井実先生・伊藤潤先生の「『進化思考』批判」に、なんと僕の名前を謝辞に掲載頂きました…!😳😳😳

1年前にこのnoteで書いた同書評を、スライドで引用頂き、僭越ながら梗概にもコメントさせて頂きました。梗概やスライドも下記リンクから見ることが出来ます。


いろいろ書こうとしたらちょっと分量多くて追記の範疇超えそうだったので新しく記事にしておきました。良かったらこちらも是非💁


【2021.08.02 追記】
表題の件で批評記事をアップしていましたが、著者本人と意見をやり取りさせて頂く機会がありました。その結果、私が著者の意図と異なる解釈してるところもある事がわかったので、当記事の公開を一旦停止して別記事を書き直しました。
ここをリンクして頂いた方もいらっしゃいますし、記録としてこの記事も残しておきますが、本記事を読まれた方は是非下記もお読み頂ければ幸いです。



※以下は2021.07.18に私が書いた記事です。修正記事では著者と直接やり取りをした後ということもあったため、好意的な解釈を試みていますが、以下の元記事は「進化思考」を読んだすぐ後の外部との接触前に書いており、外部のノイズがないものになっているため、素直な1読者としての感想や意見が読めるかと思います。


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太刀川英輔 著「進化思考ーー生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」」を読んだところ、進化という現象を分析して構築した思考体系ではなく、モヤモヤ感が多くの箇所に残る内容でした。

数年前(2018年でした)に「進化思考」についての何かの記事を読んだときにモヤモヤしたのでその気持ちをTwitterに投稿したところ、なんと太刀川さんご本人からリプライを頂け、意見を交わしたことがありました。数年前なので特にここで取り上げるつもりはないですが、そんな事もあったのでその後が気になっており、本書購入に至った次第です。以下、自己分析も含めて記録に残したいと思います。

私自身はプロダクトデザイナーであり生物学の研究者ではありませんが、生物や進化の事は非常に好きでそれなりに知識を蓄えてきたため、デザインの観点と生物学の観点の両方の視点を持って批評したいと思います。


「進化思考」とは何か


まず本書で書かれている進化思考とは何なのでしょうか。

私たちは道具の発明を通して、擬似的な「進化」を達成してきた。そこには必ず、私たちの本質的な願いが込められている。

小さいものを見たいから目を進化させるために顕微鏡を。寒さをしのぎたいから皮膚を進化させるために服を。速く移動したいから足を進化させるために乗り物を。子孫に残したいから記憶力を進化させるために本を…。

40億年にわたり変異と適応を繰り返してきた生物や自然を学ぶことで、創造性の本質を見出し、体系化したのが『進化思考』である。

太刀川英輔「進化思考」(2021)説明文より抜粋


生物学に明るい人ならこの時点であっ…(察し)となると思います。なぜならここに書かれているのはラマルキズムである用不用説や定向進化説で、それらは何十年も前から生物学の中では基本的に否定されているものだからです。生物は欲求で進化しない。
私もこれを見た瞬間「うーん…」と言いようのない思いに捉われましたが、読まないと分からないし批評もできないと思い全編読んでみました。結果、こんなタイトルの批評エントリを書いてしまってるけど…

と言いつつも批判に終始するだけではなく、より良い方向になるよう有益な批評にしたいと思うので、以下、私が全編を読んでみて感じたポイントと、改善案も交えつつ書いていきたいと思います。
(あくまで内容に対する批判であり個人への批判ではありません)



批判1: そもそも生物進化と創造性には何も関連はない


生物は進化するために思考を行いません。
欲求で進化しません。
したがって、思考活動である創造行為は、生物進化と何も関連がありません。

というのが現代の生物学から立脚して考えたときの結論になります。

現代生物学の主流であるネオダーウィニズムは自然選択説が基幹ですが、それはつまるところ1000種類の遺伝子を残して1つでも次世代環境に適応すればその種(遺伝子)が維持されていく…という数打ちゃ当たる的な戦法であり、思考活動は除外された機械的な学説です。故に説明が付きやすく、指示されてきたものです。ここについては本書でもp271-276で進化論の変遷を明記してくれています。

wikipedia 「ダーウィニズム」より抜粋
ここに遺伝学の要素を加えたものがネオダーウィニズム=総合説と呼ばれます。


しかし、進化思考とは創造性と絡めるというその特性上、どうしても進化に目的を持たせてしまうものとなります。主流であるダーウィニズムではなく、ラマルキズムを強めに支持するスタンスとならざるを得ません。ここが生物学の観点ではまずモヤモヤするポイント。

以下続く批評も、著者が「進化と創造は似ている」という姿勢なのに対し、私は「進化と創造は関連がない」という姿勢を持っているので交わるところが少ないです。



批判2: 進化についての分析が表層のみで浅い


私は「進化思考」を読む前は、てっきりネオダーウィニズムの自然選択説や中立進化説などを徹底的に分析して、要素抽出してから、アイデアの発想法に活かせるものをピックアップする、というスタンスを取るものとばかり思っていました。客観的事実から類推していくパターン。そういうものならとてもワクワクしながら読めたでしょう。

しかし蓋を開けたら全くの逆。著者の考えが先ににあり、それに肉付けできそうな生物の形質の事例を持ってきてるだけです。「2章 変異」が特にそう。


「進化思考」はアイデア発想法としては偶発性を生み出すという行為のパターン化が出来るのでそれはいいんですが、特に進化と絡めなくても成り立ちます。この章で大事なのはデザイン対象「x」について多様なアイデアを出すために、設定をいろいろ変えてあげるということ。本では「生物進化の事例」と「人工物の事例」を並べて紹介し自説の補強に使おうとしてますが、実際これは「人工物事例」だけで十分説明できていると思います。

「生物進化事例」については、ただあてはまりそうな事例を列挙しただけ。現生生物の形質から似ているものを集めただけ。分子生物学のようなミクロレベルの観点ものはなく、外観の形質表現であるマクロレベルのみ。サイズと力の関係性の考慮もなく、古生物のような数百万〜数千万年レベルの進化の過程の話もない。中立説や遺伝的浮動にも触れられていない。

それだけで進化から学んだと言うのはあまりに不十分で、ただ表層だけを見て「似てるよね!」と言っているだけなのです。それだけで進化の名を冠するべきではない。現代生物の形質という「個」だけではなく、38億年前から遡って系統進化や分類の流れといった「群」や「時間」からのマクロ視点の分析と、分子生物学といった「個の内部階層」からのミクロ視点の分析をすべきでしょう。

外観が似てる「個」のような例だけならいっぱいあります。でも形質はただの結果。デザインの上ではその過程に着目するのが重要だと思います。進化から学ぶと言いつつも「個」の事例しか持ち出していないことに、分析の浅さと疑問を強く抱いてしまいました。ここは深く、客観的に、構成していってほしかった…


「アイデアの発想法なんだから別に学術的な正しさを求めなくてもいいんじゃないの?」と言われそうですし、自分もあまりこだわり過ぎるべきじゃないのかもと自問したりしましたが、やはり答えはNO。進化という名を使うならば、進化という事象に対しては徹底的に真摯になるべきだと思います。そうできないなら使うべきじゃないのです。それをしないのは不誠実だとすら思います。進化という事象に対しても、この本の読者に対しても。
なぜなら…


批判3: 進化について間違った認識を植え付ける危険性が極めて高い

危険なのはこのためです。
「進化思考」は現在の進化の学説を曲解させてしまうことが大きな問題です。

『進化思考の挑戦は、創造が自然発生するプロセスを解き明かし…(p276)』とありますが、批判1で指摘したように、創造には目的が必ずセットで付いてきます。しかし進化に目的を見出すのはラマルキズムに起点する学説(用不用説、定向進化説)であり、現代の生物学では基本的に否定されています。
そのため、多くの読者に対して、進化について間違った認識を植え付ける危険性が極めて高いです。間違った事実をあたかも正しいかのように植え付ける事は、科学が培ってきたことに対する反逆でしかありません。私が最も心配しているのはこの点です。


進化思考の方法論の肉付けになるよう、わずかな事例だけをピックアップしている故に、全体が示されず、部分のみを見せてそれが正しいように思わせるという非科学的なやり方になっています。木を見て森を見ずになっているというか…



私が更に怖れているのは、著者が「進化思考」自体を企業や官公庁向けワークショップなどで、既にかなり広め始めていることです。デザイン、生物学、どちらも深い造詣がある人はそんなに多くないので、熱意のある講義を受けると疑念も抱かず受け入れてしまうでしょう。進化思考のキモは「アイデア発想を半自動化する方法」なので、非常に学びを体感しやすい。知的快感を得やすい。それが逆に仇となり、進化の本質を誤認したまま広まっていきやすくなる。これは深刻な問題だと思うのです。間違った認識を広めているわけなので。結果的に、生物学に対する冒涜にまでなってしまっているのではないでしょうか。
私の気にし過ぎである事を祈りますが…



と、以上は本書のスタンスにおける批判でした。
以下からは内容の部分的な批判に入ります。



批判4: 進化の概念に「愛」や「欲求」などの主観概念を入れてはいけない

本書には、ダーウィニズムにおいて忌避すべきはずの主観的な概念が多々見られます。p292〜296「欲求の系統樹」は特に顕著な例。

ではもし生物が進化に呼応して、本能的な欲求を進化させたのだとしたら、人間だけでなく他の生物種との間にも同じ欲求が自然発生していることになる。そうすると、ヒトの欲求も、他の生物と進化図のうえでの共通性を見つけられるかもしれない。その考え方を応用すれば、生物と私たちの共感を高めることに用いられるのではないか。

ー前掲書 p293より抜粋

もうどこから突っ込んでいいのか混乱する怪文ですが…

「生物は欲求で進化しない」ことがダーウィニズムの前提なのでまず最初の仮定からおかしい事がわかります。

例えばクジャクのオスはモテたいという欲求から派手な羽根に進化したのではありません。派手な羽根を持つ形質の個体のほうが生殖に有利に動いたので、その形質が遺伝子プールの中で多くの比率を占め、遺伝されてきたのです。そこに個体の欲求が介在する余地はありません。

目に見える結果としては同じなので混同しやすく、また欲求を理由にしたほうがわかりやすい説明になるので誤解を生みやすいのですが、アプローチは全く異なるのです。

また「他生物種との間にも同じ欲求が自然発生している事になる」というのも根拠がない。著者はp353で“環世界”の概念を説明していますがそれとは全く逆の発言となります。欲求について十把一絡げにこのように論じてしまうのは人間中心の考えであり環世界の観点からは逸脱したものです。

環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。 環境世界とも訳される。 すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。 ... 動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。

wikipedia「環世界」説明文より抜粋


このような基本的な進化の構造についてほぼ言及することなく、自説を積極的に出していることから、著者にとって進化とは、方法論に使うための道具程度の認識しかないのかな…と思ってしまいました。

…というのは生物学的な立場から見た意見ですが、デザイナーの立場から見ると評価は変わってきます。「デザイン対象における欲求の系統樹」を描いてみる事は、思いがけない有意義な発見に繋げることができたり、関係性整理できたりする良い手法になるからです。なので生物や進化の事例を出さないほうがすんなり受け入れらます。

全編を読んで思いましたが「進化」をわざわざ持ち出さなくても本書のエッセンスは問題なく説明ができます。著者はちゃんと人工物の事例を出してしっかりと説明してくれているので。
ただ、そこに全く別の原理で動いている「生物の進化の事例」も一緒に持ち込んでしまったので、妙な混乱を引き起こしてしまっているのだと思います。



批判5: 生物進化事例の引用がむりやり過ぎる

上記の通りなので、まあ察せるのですが…
主観で「これ似てると思う!」という「個」の事例を持ってきてるので、無理矢理というかこじ付けレベルの事例を持ってきてしまっています。もう事例を出すのが目的になってしまってる感あります。下記はその例。

●p164「分離」
トカゲの尻尾が切れることや、内臓が役割別に複数の臓器で分かれていることを事例に上げているが、人工物における分離の例が王冠(不純物なく分離できるか)、ジッパー(分離境界面上での開口部)となっており、もはや全く何の関連もない。こんなの例示する意味がない。それっぽい雰囲気を出すために生物の事例を使うべきでない。

●p143「転移」
外来種のイチイヅタ(工業排水の拡散による侵略的外来種)を事例に取りあげているが、進化をテーマにしているのに外来種が何故入るのか理解できない。百歩譲って繁殖に成功した事例として挙げるならわかるが、それは進化での事例ではない。外来種は人為なのだから。
更に言えばその事例は「転移」などではない。生物進化における転移は遺伝子や塩基配列の分野で使用するのであって、著者が主張しているのは「住み場所を変えてみる」という生態的地位の変更なので使用する言葉が不適切です。

●p114「擬態」
擬態する生物はごまんといるので事例には困らないでしょう。ただここで挙げられている生物と人工物の組み合わせは「鳥=飛行機」「ゴボウの実=面ファスナー」という“模倣”の組み合わせです。
擬態とは違い過ぎて混乱したり誤認させる可能性すらあります。

※なお模倣は決して悪いことではなく、バイオミメティクスというれっきとした素晴らしい研究分野です。上記の組み合わせを挙げるのならここにも触れておくべきだったでしょう。

●p345「共生」、p349「群れ」
共生の項ではミーアキャットの群れの子育て事例を、「群れ」の項ではカクレクマノミの共生事例を出しています。ここは逆でありミスかと。校正で発見出来なかったのでしょうか。


という具合でほぼ全ての項について、生物進化事例は余計なものになってしまっていると感じました。人工物の事例も併記して説明してくれているので、それで十分説明がつきます。生物進化事例があることで説明に疑問が浮かぶものが多いため、逆に勿体ないと思います。


良い点: アイデア発想法は秀逸

全編を読んで私が感じた本書のエッセンスは、
「アイデア発想と洗練過程の半自動化」でした。
「アイデア発想=変異」、「アイデア洗練=適応」にそれぞれ呼応します。デザイン業務の上でこれらは非常に大切な過程ですが、とても大変。著者はそれを1〜50からなる「進化ワーク」と命名したワークショップの一群とし、半自動化してくれるシステムを本書で紹介してくれています。これ自体はとても優れた思考システムだと思います。


あるデザイン対象xをこの進化ワークという方程式に代入すると、x1、x2、x3…xnまで案が増殖し(2章「変異」)、それらが環境で適応するかの検証を様々な視点から行う(3章「適応」)ことで淘汰圧をかけてアイデアを洗練されていくのは、確かに自然選択説の流れに似ています。
なのでこのシステムのみを見ると、確かにダーウィニズムに似ていると言えるでしょう。

生物学の視点でみると突っ込みどころ満載な本書なのですが、デザイナーの視点でみるとここは良い点です。何かを判断する際には自分の美意識など主観にも左右されがちなものですが、自分の価値観の判断なので当たり外れもある。客観に基づく選択圧をかけやすいこのシステムは、それを防いでくれると思います。実際、私自身も何かの際に使ってみたいとも思っています。


それだけに批判1〜5で指摘したところがあるのがとても惜しいです。なぜ、著者は欲求や愛を進化概念と合わせて論じてしまったのか?
ラマルキズムの視点で話すのか?
生物進化事例を表層的に引用してしまったのか?



どうしてこうなった


なぜこんな事になってしまったのか…?批判はしましたが私はは太刀川英輔氏というデザイナーの行ってきた取り組みを尊敬しています。特に東日本大震災の際にすぐさま立ち上げて多くの人に立ったであろう情報プラットフォームのOLIVEや、その後の東京防災の書籍への展開など、領域に捉われず常に「人の為(利他)」を意識した取り組みをされている事にあります。

そんな著者がどうして?と何度も思いながら読んでいると、なんとなく掴めてきたのは著者自身が「生物の魅力に惚れ込んでいる」
「デザインに生物の何かを活かした独自の方法論を作りたいと強く思っていた」
という事が原因なんじゃないかなと思います。

例えば3章の未来予測の部分では「進化思考が世界中に広まった100年後の未来」を恥じらいつつも披露してますし、最後の謝辞の部分では自分の学説が完成したよという関係者やご家族への感謝が結構長く書かれていることから、その傾向が推察できます。
500ページを越える大作としたのもその為でしょう(内容としては余分なものを除けば半分くらいにダイエット出来るのかなと思います)


ここから察するに、「進化思考」で私が感じたモヤモヤの発生原因は、著者があまりにも個人の思いが強すぎて、客観性を見失ってしまった、盲目的になったからなんじゃないかと考えています。

若干40歳にして数々の世界的デザイン賞を総なめにしている著者だからこそ、自身の豊富な経験や実績に裏打ちされてしまい、他分野の専門家の意見を取り込めていなかったからなんじゃないかと考えています。



「進化思考」はこれからどう扱うべきか

以上のようなモヤモヤポイントが多数あるため、ここからどのように改善をしていくべきか。主に2つのやり方があると思います。

①「進化」という名前を使わない

短期的解決方法。これが一番すんなりと受け入れられやすいでしょう。別に「○○思考」と短くしなくとも、「アイデア発想の半自動化思考システム」とかの仮称でも全然良いのではないでしょうか。

②現段階を「進化思考1.0」とし、進化思考自体を進化させていく

長期的解決方法。こちらのほうが著者としては進めていきたい方向かもしれません。
現段階の進化思考は「進化ワーク」自体は自然選択的な流れに沿っているものの、根底に流れる思想はラマルキズムであり19世紀の進化論です。
そこで批判2で挙げた「群」「時間」「個の内部階層」の分析を元に(専門家とも意見交換しながら)論を組み上げていけば、ダーウィニズム→ネオダーウィニズムの思想に則った、最新学説に基づく進化思考が自然と出来あがってくるのではないでしょうか。
かなり気の遠い作業にはなると思いますが、それこそ想像も及ばなかった創造を生み出せるかもしれません。面白そう…


さいごに

進化というのは甘い蜜です。生物はみんな大好きだし、我々の好奇心に対して魅力を放ち続けてくれる対象です。
だからこそ、真摯に向き合う姿勢が大切だと強く思います。量子論でノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏の言葉を貼って、本エントリの締めとしたいと思います。

京都市青少年科学センターの色紙より。観察と検証こそが科学の根幹ですね。

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