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ジョン・ケージがYouTubeでASMRをやったら

「4分33秒」という無音の音楽を作曲した
アメリカのロサンゼルス生まれの、ジョン・ケージ。

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彼の音楽はとにかく、「唯一無二」です。

彼を知る人も知らない人も
まず下の特徴をまとめたので、見てみて下さい。

箇条書きで分かるジョン・ケージ!
【生い立ち・性格・趣味は?】
◆お父さんが発明家。
◆音楽を学んだけど和声センスがゼロ。(自覚あり)
◆哲学も、美術も大好き。
◆とくにキノコ大好き。
◆拾ってきたキノコで料理をすることも好き。

【音楽家としては?】
◆すべての音は平等だ。
◆音楽は作曲者の意図や思想を伝えるものじゃない。
◆音楽、音は全て新鮮であるべき。
(キノコも新鮮なうちがおいしい)
◆どんなことも好き嫌いをしない。
◆意見され批判されて変化する自分を気にしない。
◆すべてに心を開く。
◆自然の無作為さ、偶然さと調和したい。

箇条書きでまとめてみたけど、やっぱよくわからない人。(笑)

でも、もし…


ジョン・ケージが現代に生きていて
YouTubeを発見して
チャンネルを作成して(ジョン・ケージチャンネル的な)
…そうしたらまず何をするのだろうと考えてみた。


多分だけど、きっと「ASMR」をやるのではないか…?
ASMR=Autonomous Sensory Meridian Response


そこで!!!
独断と偏見でジョン・ケージの「ASMR」を考えてみました。
(ジョン・ケージの理解につながると思っています。)


【ASMR】無音

これは外せないですよね。
彼の作曲した「4分33秒」が有名で、代表的です。


無音で「ASMR」って意味が分からない!!
と、批判が来ること間違いなしですね。
だって、耳障りのいい音も何にもないんですから。


けど、きっと彼はそんな批判を受け止めて
全てを自分のものとしてしまうでしょう。


「無音はいや?じゃぁ、周りの音も聞いてごらん?」
「どう?まだ、無音かな?」


【ASMR】放置

流石に無音ではないとはいえ
目的もなく放置してそれを動画にするなんて…


流石にクレイジーすぎるだろ!!
誰でも作れるよ、そんなの。


きっと、彼はありとあらゆる場所で音を撮るでしょう。


家、トイレ、キッチン、森、海辺…
頭の上、手の上、胸の上、心臓の上…

きっと、撮ってみたい音がありすぎてキリがないでしょう。


「ほら、僕の心臓の音も心地の良い音だろう?」
「僕は1回撮りにこだわる。
機械の使い方も、よくわからないんだけど。」
「それでいいんだ。
そうすることで、自然で偶然な音になる。」


【ASMR】キノコ

彼はとにかくキノコオタクなんです。
きっと、キノコを使ったASMRも撮ることでしょう。

例えば…
キノコとキノコをこする音。
キノコを落ち葉沢山の地面に落としたときの音。
キノコをちぎった時の音。
キノコを炒めている時の音。
キノコを食べている時の音。

これはたぶん普通に「ASMR」になりそうですね。(笑)

「どんな姿のキノコも好き嫌いしない。
猛毒キノコ以外はね。」


【ASMR】ホームレスと大富豪の声

ホームレスと大富豪はあくまでも例です。
きっと彼は、ギャップの大きい何かを撮ると思います。


世界も、国同士も、男女も…
人間同士も、動物も、音と音も…
全てがみんな自然に存在しているという時点で
全てが平等なのです。


「動画で、ホームレスと大富豪の言っていることは平等かな?」
「平等じゃないかもしれないね。」
「けど、≪音≫としては平等だよ。どうかな?」


【ASMR】戦争の音

まがまがしい戦時下の音をASMRにしたら
不快に感じる人もいるでしょうが、彼はお構いなし。


ありとあらゆる悲鳴、銃声、血の飛ぶ音など…
聞こえる音を漏らすことなく、ASMRとして撮ると思います。


それはなぜなのか。
人というのは「快いものしか受け入れない」
彼はそう思っており、そのことを拒んだ張本人だからです。


「戦争で聞こえる音はたしかに
不快で恐怖かもしれない。」
「けどよく聞いてみてほしい。
これはただの音なんだよ。」
「君がこれを戦争の音のASMRだと
思ったことについては
それは君が判断したことだ。」


ASMR】「ジョン・ケージという人間」の音

ジョン・ケージが目指したのは
「人生を肯定すること」でした。

人というのは知らず知らずに判断をする生き物です。
自分の価値観や、狭量な世界観を物差しにして、判断しまくる。
1日に何万回も人は判断をして生きているようです。
その「判断のものさし」は、物凄く小さいのです。

その行為が、いかにその人にとって損なことであるのか
ジョン・ケージにはわかっていたようです。

音楽についても「好き」「嫌い」と、知らず知らずに
自分のよく分からない「ものさし」で測っているのです。

「好き」「美しい」と思う音楽の何がいったいそう思わせるのか、それについて考えてみれば、わかることです。

それを考えることで、人々が「あ…」と、悟ることになるとも、彼は確信を持っていたようです。

「なんで、好きなんだろう?」

結局、何が好きにさせているのか、曖昧であることに気づきます。完璧な裏付けのもとに存在する、「好き」「美しい」がない、ということに。

ジョン・ケージは好き嫌いをすることを拒みました。
全てを受け入れ、自身の芸術の妨げにならぬようにしていました。

そのような音や芸術は、「自然(nature)」を手本にしていたと言います。


【ASMR】「ジョン・ケージという人間」の音
の概要欄にはきっとこんなことが書いてあるのではないでしょうか。


「偶然で、無秩序で、平等で、
心を開け放ったような
そんな音を集めた、ASMRです。」






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