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サンタクロースより速く、音速で走りぬけて皆に届く”おくりもの”

題名に惹かれて、こちらの本を読了しました。
(※以下感想文のネタバレはありません。)


サンタクロースの正体を知りたい方へ
おススメの本です!

感謝をはぐくむ土壌

たった今、私がこの生活を日々続けて享受出来ているのは何故なのだろうかと、真剣に考えてみよう。
まずは、私を生んでくれた親類の系譜に感謝しなければいけないのは間違いない。なぜならば、その親類の脈々と受けつかれてきた「愛」がなければ、私という存在は無かったからだ。「過去」の系譜に感謝しよう。それは、細かく明瞭にわかっている必要はない。自分自身の想像力に委託してしまおう。
次に、私の周囲に存在する人間にも感謝すべきである。私の取り留めもなかった日常を、これほどまでに彩ってくれている友人に感謝するのである。また、その友人から何を教わったか、想像力を働かせてほしい。私はこれまで、たくさんの事実や思い出を友人とともに作ってきた。その記憶に、私は生かされている。少なくとも、私が生きるうえで役に立っていることは明白だ。しかし、そのことについて、相手が同じように思っているかどうかは、わからない。ただ、想像してみると、私は確かに、その記憶に生かされている。そう、感謝することが出来る。
仕事に対しても、感謝することが出来るかもしれない。厳しかった就職活動で、どうにか勝ち得た内定。行きたい会社、行きたくはなかった会社、人によって様々な分岐があったと思う。けれども、人のために役に立つ結果を自身で感じることができ、それを金銭に還元されるという事実には、心底感謝すべきではないか、と。
様々なことに感謝すること。これはいわゆる私自身の「知性」に働きかけること他ならない。今置かれている自分の状況や、その状況における情報、そしてその総体を理解していることは、自分が感謝できる土壌に身を置けているという事実である。数多く経験してきた自分の常識が、自分の「知性」となり、過去の事実に向けて感謝が出来るのである。
その「感謝という種」を自身の土壌に蒔くことが出来始めたとき、初めて差出人不明の「贈与(=おくりもの)という花」をはぐくむことが出来る。それはそれは、素晴らしくきれいな花である。

音速で走りぬける”おくりもの”

感謝すべき相手がいないことは、とても寂しいことだ。感謝すべき人がいないということは、私は誰からも必要とされていないんじゃないか、どうしようもない人生を歩んできてしまったのではないかと、こびりついて離れない考えが頭の中を巡ってしまう。そして、そう思い込んでしまうことで、自分の殻に閉じこもり、微動だに出来ない人も多いのではないか。また、自暴自棄になって、私自身を終わらせてしまう人もいるのではないか。そう思うと、とても悲しく思う。
しかし、人は今を生きている限り、感謝すべき贈与を多く受けている。しかも、その贈与の恩恵は無意識に、沢山、今この瞬間も、あなたという人間に向けて、健気に注がれている。果たしてそれを想像できる人間はどのくらいいるのだろう。
今あなたの周りの世界を真剣に注視してほしい。あなたの周りにはいったい何があるだろうか。すべての物に対してフォーカスを当てて、順番に想像してみてほしい。「これは何なのか?」と、再度自分に問いただすのである。それを続けると見えてくる、「音速で走りぬける”おくりもの”」に気づくことが出来るかもしれない。
無味な資本主義の焦燥にかられ、自分を見失いがちな我々は、日頃から0距離の位置で、音速で走りぬける”おくりもの”に気付くことが出来ない。それは、当人にとっても、周囲の人にとっても他愛もないものであるかもしれない。だからこそ常識として成り立つのであり、それにより世の中が出来上がっているのは間違いない。しかしながら、その贈与による恩恵に気づくことができないかぎり、あなたの「知性」はストップする。ストップするというより、永遠に前に進むことは出来ない。先ほども述べたように、その贈与(おくりもの)は世界の常識を「知性」として携えていなければ、見えてこないモノだからである。このような贈与を見抜ける常識を数多く兼ね備えていたら、私たちはどれだけ幸せになれるのだろうか。しかしながら、この常識というのは、リベラルアーツ的な中身そのものではなく、その中身同士を繋ぐことができるような教養によって語られるものである。要するに、常識を得るには、様々な「知識」を得ること、それをもとに「想像」を挑戦していくこと、が必要となるのである。

世界は贈与でできている

新型コロナウイルスによって剥がされたのは、人間の無力さではない。それは、あまりにも想像力に欠ける結末である。
私たちは生まれながらにして無力だ。赤ん坊は、他者がいない限り生きてはいけない。無力であった私たちは、もはや今、その(赤ん坊のころの)無力ささえも、自分の常識からは外れてしまっていることに気づかなければならない。その想像を一歩前に進めてみれば、それだけで見えてくることがある。それは、「他者」の存在である。私の親類の系譜に感謝すること、それは最初の他者に感謝することと同じである。誰しも最初は他者としてかかわりを得て、関係を醸成していくのである。それは果たして、常識であり、当たり前であることなのだろうか。私は、奇跡であると思う。
新型コロナウイルスは、そのような無意識的な日常に対して通念理解されている常識を打ち破るような、強烈な力がある。その力によってできた綻びから現れたものこそ、私の周囲に存在する「サンタクロースより速く、音速で走りぬける”おくりもの”」の正体なのではないだろうか。そう感じることが出来たとき、自分が強くなれる理由を知るのかもしれない。

読み終わった後、優しい気持ちになれる1冊です。

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