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人間の気質、機械、機関。そして外力。

この本の真意を見つめるためには、対話に登場する老人と青年の2者も、まずは「気質」「機械」「機関」を体現しているのだという実感から始めなければならない。その実感を持って初めて、この2者の対話は「外力」の交差であることがわかる。

青年が老人の話に呆気にとられるのも、老人が青年を諭すのも、全ては機械同士のやりとりなのだ。そして、そのやりとりというのは決して無味乾燥なものということではなく、機械自体を形作る「外力」のすごさ、そしてそれの魅力と高い整合性を目の前に顕在化することへの意欲の表れなのだと、この本から読み取らねばならない。

神様に囚われの身になるのではなく、自分の累積した機械的心に囚われる方が、周囲へ及ぼせる「外力」がありそうだ。その「外力」が、人間を人間として支えてくれるのだろうと思う。

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