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つれづれ散歩〜東京藝術大学編〜

連日のコロナ報道による「コロナの脅威」を掻い潜りながら、久々に大都会東京へ向かいました。

どこへ行っても人、人、人。街も人も変わらず、大安心しました。

そんな中、友人と完全なる思い付きで「東京藝術大学」へ向かってみました。

私は、どこかに出かける時は、目的地だけ決めて、そこで何をするか決めないで赴くことが好きなのです。

そこで「たまたま」みつけた、作品と言葉をここに記録していこうと思います。

猫展(2020.9/19~11/15に開催)+α

「猫展」というものが催されていました。たまたま行った先でたまたま見つけたので、どういう名称の場所で開催しているのか分かりません。藝大の現役生や大学院生などの「猫」に関する作品が多く展示されていました。

今にも動き出しそうな愛らしい猫たちが展示されていました。

写真のようなリアリズム的な作品や(猫又なので厳密には違いますが)、猫をデフォルメし、とある意図を含ませたような考えさせられる作品まで、多種多様に富んでいます。

ある作品を見る際、その作品の「表題」を確認すると、「?」と思わせるようなものが多かったのが刺激的でしたね。まるでこちらに「何を表現しているかわかるか?」と挑戦状を叩きつけられているような感覚。色々考えた結果、「こうかな」と思うも、もちろん、どこにも正解は書いてありません。

私はその「回答」を自分の心にしまうことにしました。しかし、それでいいのだと思います。アートとはそういうものですよね。

滝廉太郎様です。じつは、大分にある滝廉太郎の実家へ行ったことがあります。日本的な、和の漂う落ち着いたお家であったことを覚えています。

滝廉太郎のことを全く知らないので、「日本人なんだからちゃんと勉強していこう」そう、少し反省しました。

東京藝術大学広報誌「藝える」VOL.6

猫展が開催されているスペースに、フリー冊子の東京藝術大学広報誌「藝える」VOL.6が置いてありました。そこには、非常に魅力的な言葉がたくさん並べてありました。

VOL.6のテーマは「藝大らしさについて一言で」。藝大の教員や事務局員から募った「一言」が掲載されていました。少し書いてみます。

まじめでゆるい。

→ 毎日思うんですが、何事も「ちょうどいい塩梅」って難しいですよね。この「塩梅」をつかむのって数年、数10年かかる気がします。

ゆるさがゆるされる。

→ 一本取られたなと思いました(笑)。しかし、的確な言葉なのでしょう。

いつもつくっている音がすること。

→ 放課後に公園で遊んでいる時、近所の家から「夜ご飯の支度の音が聞こえてきたこと」を思い出しました。うちの音じゃないんですけど、なぜか安心しませんか? 他の家や人の営みを音として聞くことで、「ああ、自分も生きているんだなぁ。そろそろ家に帰ろう。」と、夕暮れの中、こういう気持ちになったことは忘れられません。

いい意味での時代錯誤。

→ 時代錯誤は、時に「革命」を生み出します。

「藝大」らしくないことにチャレンジすること。

→ 藝大らしさを熟知しているからこその、「藝大錯誤」。こういう考え方が、インスピレーションを与え、世の中を元気にできるような、芸術家を輩出するポイント、なんだと思いました。

変人のあつまり。

→ ああもう最高ですね。私も変人なので分かります。

個性の尊重。異能への敬意。

→ 日本社会に足りていない「課題」ですね。人間は群れを作って発展してきたことは否定できませんが、いつの時代も世の中を便利にしてきた発明は「異質」であると忌み嫌われてきました。国家も、政治も、企業も、地方の小売店も、そして個人個人も、自分の個性、他人の個性を尊重して生きていきたいものですね。

広報誌の表紙の言葉

広報誌の言葉を最後に、締めようと思います。

藝大生らしさ、藝大らしさとは、いい意味でいえば130年以上の本学の歴史が培ってきた「文化」です。この芸術の学び舎で培われてきた、守るべきもの変わるべきものの身体感覚に基づいて直感的に見極めて、自分のとって何か大切なことをやり遂げる集中力は、未来が見えにくくなった時代を生き抜く生存戦略として、もっと評価されていいものではないでしょうか。

なんとなく生きている人へ、考えさせられる言葉です。肝に銘じて毎日新しいことにチャレンジして、自分の生きる力にしていきたいですね。

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