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夏の盛り、過ぎて暮れなずむ夕

 夏休みになると例のごとく、週の練習時間がぐんと増える。昔からそうだった。4時間以上の練習なんてザラだったが、友達と愚痴をこぼしながらも毎日顔を合わせて真剣な顔つきで練習に取り組んだ。練習中盤までは基礎練中心で多少の余裕はあっても、実戦形式の練習に差し掛かる終盤になると疲れがピークに達し、靴紐を結ぶことすらままならなくなる。靴紐を結ぼうとかがむたび筋疲労の酷さを実感するのだ。自分の疲れを実感するたび体の動きのキレが落ちていってる気がした。それでもなんとか動き続けるていると、やがて頭まで回らなくなり、動きがますます雑になった。でもそんなとき、コート内に目をやると他のやつらはまだまだ元気そうに動いてる。どこからそんな体力湧いてくるんだ、と恨めしく思いながら、その恨めしさすらエネルギーに変えようともがいた。負けてられない、とがむしゃらにコートの流れに食らいついた。僕は、そんな中学生だった。

 高校に入ってから、風向きが変わったように感じる。
 周囲の友達との関係、顧問との関係、勉強の内容、みんな中学までのそれとは別物のような感じがした。部活のメンバーも、中高一貫だからほとんど変わらないはずなのに。僕の外では否応なく時が動いていて、変われない僕はその流れに飲み込まれて溺れてしまっている感覚だった。元気だったはずの親が、長期の出張から帰ってきてしばらくすると豹変してしまい、そのまま会社に行けなくなった。僕は、家で過ごしている豹変した親に会うのが怖かった。親の様子がおかしくなると、僕は自転車であてもなくふらついた。現実の変化と向き合えず、親にも友達にもぶつけきれないモヤモヤばかりを持て余していた。

 夏休みになると例のごとく、週の練習時間がぐんと増える。今年も夏休みが来ていた。僕は高校でもまだ部活に所属していた。練習にも行っている。同じ部活だったやつらも、以前と変わらぬコートでともに練習している。俺はただ、付いていきたかっただけなのに。周りのやつらは、以前と変わらず練習を積み重ね、着実にレベルアップしている。僕は高校に入ってから足踏みを繰り返した。練習も終盤に差し掛かると、実戦形式の練習になる。ただ、思い切ったプレーが出来なかった。周りのやつらはどんどん成長している。俺は、自分のことが分からなかった。思い切ったプレーをしようとすると失敗したプレーが頭の中を渦巻くようになり、すべてから目をそらすことでそれらを強引に視野から外そうとした。はたから見ると呆然としていたであろう僕は、今思うと保身で必死だった。

 今日も練習を適当に済ませた。明るく絡もうという気にもならない。重くてムッとした汗の匂いがするバスケットシューズを雑に脱いでしまう。適当に雑に履いてきたせいで、シューズの踵のところがボロボロになっていた。見て見ぬふりをしてシューズをケースに放り込んだ。着ているウェアを見ると、染みた汗がもう冷たくなっている。脱いだウェアの重みがどうにも気に入らなくて、早くも乾きかけている汗を適当にタオルで拭いて、さっさと着替えてしまった。脱いだウェアを雑に袋に入れる。大して真剣に練習もしていないのに、袋は重かった。袋を鞄の中に投げ込み、重い鞄に荷物をまとめてしまうと、適当な話で適当に笑いながら友達と体育館を出た。靴箱から学校の外に出て空気を吸うと、いつも少しホッとする。部活終わりのささやかな緩いひと時をみんながのびやかに過ごしているのを実感するからだ。僕はそのときだけ、みんなと同じ時間を共有できている気がしていた。付いていけてる気がした。
 適当なメンバーでしゃべって歩いていると、ふとバスケットシューズを落としてしまった。シューズなんて靴箱かロッカーに置いてくれば良かったのになんで持ってきてしまったんだろう。そう思いながらゆっくり拾い上げると、部活後の緩み切ったぬるい空気から僕の気持ちが引き戻されてしまう。集団の中に戻ってきても、どこか置いて行かれたような気持ちは残った。小さな腕時計を確認する。もう5時ごろ、夕方だ。夏の一日が終わろうとしている。目に映る輪郭線たちの形ばかりが夕映えで浮かび上がって感じられた。周囲の色、声が僕を圧迫し、頭にもやがかかっている。少し苦しくて寂しい。いつでも心の中にぼんやりとした憧れがあった。僕の中での高校生の青春は、いつだって目の前のことに真剣だった。彼らは純粋さと現実の狭間においてなお、キラキラと夢を追っていた。僕もそんなキラキラが欲しかっただけなのに。みんなに置いて行って欲しくなくて、置いて行かれてるのを感じたくなくて、そしてキラキラしてない自分を認めたくなくて。

 バス停についたあとも、下らない話は僕の外側で続いている。彼らの下らない話の輪郭線が、夕映えでくっきりと輝いて見えた。彼らは僕の抱えてる悩みなんて全く知らない風だった。きっと明日も、僕は部活に行く。きっと今日と同じことが続くと分かっていても、どこかで劇的に変わる自分をやっぱり諦めきれなくて。自分に冷めた目線を送る人間なんかに負けたくなくて。秘められたポテンシャルを心のどこかで確信している僕の、間抜けさを否定したくて。そのポテンシャルをキラキラと証明する自分にあこがれる無謀さを否定したくて。それでも何もできない自分の全部を見て見ぬふりして無かったことにしてしまいたくて、現実が宙に浮いていて。何も見えなくてももがくことを辞めたくなくて。

 あんな親がいる家にも帰りたくないし、明日の部活にも行きたくない。でもきっと明日も、僕は部活に行くんだ。斜陽がやわらかに爆ぜている。何にも見えなくて、来たものから反射的に逃げてしまう僕自身に嫌気がさす。夏休み、夏盛りは過ぎてもまだ、夕日は暮れなずんでいる。

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