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移住

2014年 秋

東京の仕事部屋を後輩に託し、半年も住んでいないワンルームを引き払い(大家さんには悪いことをしたが…)トラックに荷物を任せて北海道へ飛んだ。

移住。
普通で考えると、東京在住から職場の拠点もない北海道の奥地へ引っ越すということは自動的に退職を意味する。当時契約していた会社の担当に移住の話を伝えたときは、若い社員が突然辞表を提出したかのような空気になり若干波風が立った。しかし、僕が考えていたのは例えばweb系のエンジニアが遠方の土地で在宅勤務をやるようなことで、skypeやメールなど、データのやり取りで成立する仕事に限定すれば今までの動きとさほど変化は無いのだ、と説明すると、すぐにその波は落ち着いた。現場で顔を付き合わせることが少なくなることで仕事の数が減っていく不安もあったが、ここから先も家族と離れ離れで暮らすことと天秤にかけたとき、答えは明らかだった。

作曲家、と名刺に肩書を載せるようになって6年が経とうとしていた。当時30そこそこの、典型的な売れないバンドマンがIT企業での「副業」(ほぼ本業)を抜け出し楽器レンタルの会社へ転職。3分の1まで落ち込んだ収入に半ば自暴自棄になりながら1年を過ごしたある日、ひょんなことから作曲の仕事にありついた。音楽制作の仕事はそれまでに感じたことが無いくらいに「フィット感」を覚えた。職場と関連は無いが奥さんに出会ったのもこの時で、生涯の「本業」と「伴侶」を同時に見つけた時期だった。

それからの5年はあっという間に過ぎていった。自分に迷いが無い時というのは、時間がとてもスムーズに過ぎるものだ。
子供達が生まれ、離れ離れで暮らした1年間はとてもとても、長かった。あれだけ体にフィットしていた仕事にどれだけ向かっても、虚しさしか残らない。ただただ長い一日を消化していくだけの、抜け殻のような生活。歯車が欠けて、空回りする力も尽きていた。
移住を決めた時、その歯車がまた再び噛み合って、少しずつ回り始めたような感触がした。

北海道へ着いて、奥さんと軽くお茶をする。

普通の父親なら、ここで転職を考えるのだろうか。

やはり父親である自分が、少なくともあと数年は1人で働かないと、とても家族を養えない。それにはある程度の収入が必要。あてもない転職はアダになる。ただ、自分の現職はいわゆるミュージシャン。一般的に見て、こんな不安定な職業は無いだろう。そもそもそれは仕事なのか?くらいの印象だと思う。ただ、自分にとっては長年かけて掴んだ天職だと信じて疑わなかった。おそらく、自分が最も収入を得られる職業はこれだ!とも思っていた。
親戚うちの会話では、当然のごとく転職の話が出た。ミュージシャンという、周囲のイメージ的に日本で5本の指に入りそうな不安定稼業であるので、こういうタイミングでは常に「そろそろ安定した職種に」という有り難いアドバイスが方々から飛んでくる。
僕は脊髄反射的にそれを拒んだ。

「只でさえ雇用の少ない地域で、コネも経験もやる気も何も無い40手前の中年を誰が雇うのか?」と逆に相手を問いつめた。

この世のどこにその安定した職業とやらが、あるというのだ?自分にとっては、自分の適性を使って少しずつ積み上げている今の職種こそが、あなた方の言う、もっとも安定した職業なのだ。。

と、つい啖呵を切ってしまい、引き下がれなくなってしまった。

おそらくこれは、ただのエゴである。今の自分の状況にしがみついているに過ぎない。ただ他の選択肢は、思い浮かばなかった。
とは言っても実は一度だけ、転職を考えた。まわりの親戚にこの地域で何か自分にできる仕事は無いか?と雑談まじりに聞いてみたら、帰って来た答えは「期間雇用の芋掘りアルバイト」だった。それ以来、転職を考えるのをやめた。

10月ごろ。
東京のワンルームを引き払う。2年契約のはずが半年もせずに退去を告知された大家さんはそれはもう機嫌を損ねて、現状復帰の立会いの場で色々な難癖をつけて来た。当然だ。こんな入居者は不利益極まりない。そこを穏便に交渉する気力もなく「僕はいま1日、一分一秒でも早くここを出たい。なのでこれからあなたとこの話を続ける時間が非常に勿体無い。人生で五本の指に入るクソのような時間だ。金なら払うから今ここで全て片付けましょう。さあ幾らですか?」と矢継ぎ早に問い詰めたら、結果的には敷金返却も含めて適正金額で全て収まった。呆れるようなひどい客だと今では思う。

荷物を全て引越し便に託し、僕はまた北海道へ飛ぶ。町役場からほど近い一軒家で荷物を受け取った。東京のワンルームと同じ家賃だった。6畳一間から、4LDKの一軒家。既に送っていた家具と合わせてもまだ部屋が余る。ちょうどいいって、とても難しい。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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