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「おバカキャラ」の行方

一昔前に流行った「おバカキャラ」を見なくなった。
自分がテレビをあまり見なくなったせいだろうか。
でも、「おバカキャラ」で売り出していたタレントが完全に消えてしまったわけではなさそうだ。
テレビをあまり見ない自分でも、彼らが各々活躍していることはなんとなく知っている。
彼らは既に「おバカキャラ」ではない。

一方で、新しい「おバカキャラ」は出てきていないような気がする。
彼らを持ち上げていた番組が無くなったとか、力のあったタレントが失脚したとか、そういう単純な理由や事情には思えない。
どちらかというとニーズが無くなっているのではないだろうか。


”「おバカキャラ」の行方”というテーマは、結構前から書きたかったものである。
ところが考えているうちに、自分の中でどうやって帰着させようか結論が曖昧になってしまっていた。
ここに至るまで、
見たくないものを掘り出す行為
ネットから得る情報は本当に“取捨選択した結果”なのか
という二つのノートを書いたが、その過程を経てなんとなく自分の中でも整理できた(気がする)ので、筆を取ることにした。
このノートでは“「おバカキャラ」”が消えた2つの仮説を提唱してみたい。

1.「バカ≠無知」になり、“バカ”の定義が変わった上に、人々が“バカ”に触れる機会が増えた

「おバカキャラ」は、クイズで頓珍漢な回答をすることで人気が出て、その地位を確立した。
彼らには他人を攻撃したり迷惑をかけたりする意図はなく、ただただ「知らなかっただけ」である。
別にドイツの都市の名前や歴史上の偉人の名前を知らなくても、ほとんど誰も傷つかないであろう。

清々しく堂々と無知をさらけ出すことが「おバカ」であるとされ、視聴者の嘲笑の的にされながらも癒しを提供できるキャラクターとして重宝されたわけだ。
不景気で明るい話題に乏しかったという時代背景も、もしかしたら影響しているかもしれない。
一昔前は「バカ=無知」として、コンテンツが成り立っていたと言えよう。

ところが、今は「バカ=無知」ではなくなっている。
それどころか、ものすごい頭が良くて物知りな“バカ”も散見されるのが、現代である。
しかも彼らは攻撃性を持っている。
昔もニュースや新聞などの報道で、「バカ=無知」の枠組みに当てはまらない”バカ”もある程度世間に露見していたと思うが、数はそこまで多くなかったと思う。

そこでSNS(特にTwitter)を考えてみる。
他人を攻撃して迷惑をかける“バカ”がたくさんいることに気付く。
自分に直接攻撃をしかける“バカ”に巻き込まれることもあるし、第三者に攻撃を仕掛けている“バカ”を遠巻きに見ることもできる。
また、あろうことか、公式の✔マークがついている人物ですら、“バカ”になってしまっていることがある。
もしくは本来“バカ”ではないはずなのに、140文字という枠組みに縛られて“バカ”になってしまっている人もいる。

現代に蔓延る“新型バカ”が何であるかを定義づけるのは難しい。
あえて言うのであれば、「バカ=他人を攻撃せずにいられない人」だろうか。
もしくは「バカ=自分が見たくないもの」とも言えるだろう。

こうも日常生活で”バカ”に晒されていると、娯楽であるはずのテレビやメディアに従来の「おバカ」が入り込むのは、難しいのではないかと思う。
既に“バカ”で辟易としているところに、「おバカ」がデザートのようにやってきては、1日の終わりが悲惨なものになるであろう。

“バカ”の変容、つまり「“新型バカ”の登場」が、従来の「おバカキャラ」を駆逐していったと考えることができる。
これが1つ目の仮説である。

2.人の長所や特色といった、ポジティブな面に目が向けられるようなコンテンツに変わった

2つ目の仮説はポジティブな捉え方で、「無知であることにフォーカスされるコンテンツが(少)なくなった」というものである。
一昔前は、「おバカキャラ」の無知な部分を笑っていれば、コンテンツとして成立していたかもしれない。
しかし、タレントや制作者サイドもいつまでもそれで飯が食っていけるわけではない。
そうこうしているうちに、フォーカスする部分が「その人が得意とするところ・長所となっているところ」に変わってきたのである。

例えば、「おバカキャラ」の一角であったつるの剛士さんは、将棋の有段者ということで将棋関連のコンテンツに登場するようになっていった。
さらに、持ち前の歌唱力を活かしてカバーアルバムを出した。

また、同じく一角であった里田まいさんは、田中将大選手と結婚し、アスリートの妻として様々な面でサポートしている。
彼女がいなければ、2013年のシーズンに達成した、24勝0敗というものすごい記録は生まれなかっただろうし、ニューヨーク・ヤンキースのストライプに袖を通して活躍している田中選手はいなかったと思う。
何と言っても、いつまでも「おバカキャラ」に見られたくないという反骨心から、様々なことを勉強したことは特筆に値する。

このようなプラスの面にフォーカスが当てられたからこそ、「おバカキャラ」は自然と消滅していったものと思われる。
むしろ長所や特色を活かせない人たちが、いつまでも「おバカキャラ」に固執していったとしたら、今頃過去帳入りしていたであろう。

2つ目の仮説をまとめると、「コンテンツの焦点が長所や特色になった」と言えるだろう。

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以上、「おバカキャラ」が消えた理由として2つの仮説を挙げてみた。
どちらも正しくないかもしれないし、そもそも「おバカキャラ」は消えていないかもしれない。
ただ自分が思うのは、直接「おバカキャラ」が消えた理由でないにしても、上記のように両極端な仮説を炙り出すことができるのが現代の世情の特徴ではないか、ということである。
”バカ”になって他人を攻撃する立場になるか、それとも長所や特色に目を向けられるようになるか、その境界線は限りなく脆弱である。

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