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小説:重軽石

家の呼び鈴が鳴った。重い腰を上げて玄関へと向かう。宅配のお爺さんが玄関先にいた。
「これ、かなり重いですよ。気をつけてください。」
お爺さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、荷物を重そうに抱えている。だらんと下げた腕に、雫になった汗が流れる。一歩一歩足を動かすたびに小さな呻き声をあげて玄関の中に荷物を運ぶ。腰に痛みが生じるのか、荷物を地面に置いた途端、庇うように手を腰に当てる。僕は荷物を両手で受け取った。しかし、それほど重くなくて拍子抜けした。おじいさんと僕の反応が全く違うのが可笑しくて笑みを浮かべると、おじいさんは笑い返してきた。
おじいさんは作業着に大きな跡がつくほど汗をかいていた。ベタついた手で伝票を差し出し、サインを求めてきた。ただ、僕は印鑑で応じる。ありがとうございました〜とお爺さんは言って、達成感に満ち溢れた顔をした。心地よい爽やかさだと思った。垣間見える爽やかさは、まるで夏の瞬きだ。夏は存外すぐに終わる。年々夏の期間は短くなっているようにも感じる。いやそんなこと言えば、秋もそうだろう。春もだろうか。ただ、冬はかなり長いもんな。と思っていると合間をおかず、おじいさんは次の仕事に向かった。過ぎ去るおじいさんの背中を見て、あと二、三年、それか一年くらいでガタが来てしまうのだろうなと思う。なんだか、受け取った荷物の重みが増したように感じた。

-⛩-

京都伏見稲荷神社は千本鳥居で有名である。最寄り駅を出ると目の前に神社が現れる。そして森の中に気の遠いくらい長く、そして高い鳥居が千と並んでいる。2、3年前に当時の彼女と訪れた。彼女は初めての訪問でかなり浮き立っていた。朝一番に訪れたからか、人の気は少なく涼しい風が鳥居を吹き抜け、僕たちを囲んだ。
鳥居を少し進むと「重軽石」という石灯籠がある。願い事を叶えてくれるものだが、祈り方は通常と少し違う。まず賽銭を入れて願いを心の中で唱える。次に、眼前の石の重さを心の中で予想する。最後に石を持ち上げて、予想より重ければ願いは報われない、軽ければ叶うというものだ。おそらく、「重すぎる思いは傲慢だ」とか、そんなところだろう。子供騙しだと思った。
彼女はそれを見つけると、興味津々に重軽石の案内をまじまじと読む。彼女は僕に先に祈るように言うので、僕は言われるがままに応じた。賽銭を入れ、願いを唱え、重さを予想し石を持ち上げた。予想より重い。
「重いな。」
「残念だったね。どんな願い事したの。」 
「ありきたりな事だよ。君もやりなよ。」
僕の願いはただの小さな石に素っ気なくされたようで、何だか腹が立ってきた。彼女は、僕の反応を見てかなり嬉しそうだった。
「よし。私の番。」
彼女は賽銭を入れた後、かなりの時間をかけて願い、丹念に重さを予想した。何を願っているのだろう。そして彼女は石を持ち挙げる。
「え、全然軽いよ!軽い!ヤッタァ!」
心底嬉しそうだった。
僕はその時彼女との差異を感じた。
まるで、あのおじいさんと僕と同じようだ。

その後、僕らは鳥居を潜っては進み、写真を撮る、ごく普通の観光をしたように思う。しかし千本鳥居は意外と長い。頂上までに一時間半程かかる。それに加え大変険しい山道だ。彼女は山の中腹までくると文句を言い始めて、頂上に到達する頃にはガタがきていた。もう進めないと駄々をこねた。水を飲みたいと言うので自販機を見ると、水だけで200円もした。仕方なく購入し、彼女に差し出す。彼女は200円なら麓まで我慢したのにと悪態をつく。彼女の喉が波を打つ。
若い僕らは迷いなく進む。始まった頃は、何も不安なんてなかった。自信と希望で満ち溢れていた。しかし、頑丈な岩が水流に砕かれ小さな石ころになるように、思いは徐々に砕かれる。面影もないほど僕らはもう脆くなっていたのかもしれない。いやもしかしたら、僕はそんなこと最初からわかっていた、のかもしれない。彼女と僕のひずみはもともとあって、それが段々と大きくなっていっただけなのだ。そしたら、僕らの願ったことも全く違うのだろう。
最寄り駅に着いた頃には、彼女は重軽石の存在も忘れ、ただただ長い鳥居にうんざりしていた。おそらく彼女は願ったことも忘れていたのだろう。

それから程なくして全く会わなくなった僕ら。
今頃、彼女は願ったことも忘れたように、僕のことも忘れているのだろう。とうに、僕の願いは彼女と別れた時点で叶っていないけれど。


叶わなかった僕の願いだけが、背中に重く張り付いている。

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