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ストレス問題 人間には応答が必要?

いや、それ程の話ではありませんが、つまり衝動買い等の行動へ繋がる
ストレスはいずこから来て何処へ向かうのか?…というようなものです。

まずストレスと言ってもつまりイライラをもたらすものに限らず、不安、
衝動、忍耐、我慢、無意識、落差や解放の結果など色々あると思いますが、
何もしなければストレスに襲われることはないのか?
…となれば寺にでも行け、という話になってしまうので違うんですが、
確かに精神力という点も無視出来ないとは思います。

で、今日少し考えるのは時間に追われるというストレスは
精神で回避出来るのか?
・・・ということです。

元来で言えばストレスになりそうなことから
そもそも逃げる方で、厳しい環境を避けてきたはずが、
正直人生の袋小路で如何ともし難い状態にある訳です。

まあしかし、ここに欧米ではミドルエイジクライシスなんて
有難くもないほど妙に恰好いい名前を付けて中年の危機として
年代特有の精神状況に注視しているようです。
・・・何だったかな?全年齢層で一番不幸と感じる年齢が40前後?

自分に至っては人生に結果なく、好転の兆し無しなので、
そこに不自由と介護が混ざってるので特にこの1~2年はストレスを
無意識も当然として意識上にも明確に感じて精神上明らかに
ダメな状態だということを感知することが多いように思います。

で、確かにもう後の事を考えず
買い物などすれば晴れると言えば晴れるのです。
勿論場合によってそれがその後また要因になることもある訳ですが。

今日のは衝動と言えば衝動ですが、タイミングの問題でもあったものなので
どうかという所ではありますが、少なくとも少し気持ちが晴れた訳です。
今日の場合ちょっと高い…という方が大きいですけど。
ぼったくりとまでは言わないけど、あと2割ぐらいどうにかならないのか?
…という買うか買わないかの葛藤自体はあったそれを結局振り切っただけ
なので最近の根本ストレスとはちょっと違う気もしてる訳です。

まあしかし、年齢によって感じるストレスがあるとすれば人間には避け難いストレスというものが存在してもおかしくない。また本質的に追われる
ということは生物全体でストレスの可能性が高い。

そして年齢のストレスには時間がかなり関係があると思う。
仮に永遠に死なないとすれば
中年の危機なんてことは流石に語られないのではないか?
人生に限りある中満足な成果を得られていない、認めるに至らない為に
その精神状況に陥るなら時間という見えざる、応答しない観念によって
脅迫されるような精神になっていくのではないだろうか?

つまり人間のストレスは応答があるかどうかで相当変化するのではないか。

それは必ずしも人同士である必要もなく、
或いは植物や川、風景などの自然でもここに視覚と行動によって繋がり
ストレスの流れが生じるのではないか。
これは結局の所古い話のまま「捌け口」の重要性である。

育てるという行為には成長という陽の視覚変化が多いが、
一方終わりのない状況、または枯れ行く所を助け続けるような行為に於ては
陰の視覚変化が多く、これが潜在的な精神の前進性向上性に対して
ダメージとなるのではないか?

老いは一方的な変化である。

無の境地は普通ではない以上、通常の社会生活、
人間関係を考慮していけば打てば応える…そんな関係性を構築し
反動の少ないプラスを得ることがストレス軽減の道に見える。

こうして考えると
ある意味で昭和前中期の精神論、精神を鍛えるというのは
正しかったのかもしれない
と、最近思う時がありますが、しかし先に
言ったように鍛えるとしてもその間の捌け口は必要で、さもなくば
押し潰されるということを現代社会が証明しつつあるのではないか?
社会変化もそれらの価値観の変化もまた個人にとっては一方的である。


難し気に言ったものの自分でもよく分からずで、
うつ病患者に毎日10ドル札だったかを与えると薬より症状が
良くなったという実験があったように老いと生活の不安の2つがなければ
人間かなり健康だと思うのです。
睡眠不足と経済不安とストレスは能力の低下をもたらす・・・らしいので。
睡眠不足は体感上も間違いないと思いますが、更にストレスと共に免疫にも関係しているので不調だと思うならこの3つをまず疑ってみて下さい。

もし何かあれば報奨金として頂戴します。