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「週刊文春」は、どこで間違ったのか?ー‘‘文春砲‘‘に非難殺到の理由ー

『週刊文春』と言えば、2016年の「ベッキー不倫騒動」の時に、一躍脚光を浴び、ある種の社会現象を巻き起こした。

インターネット、特に、SNSの発達により、2000年代頃より、出版メディアは、慢性的な不況に陥っている。

そのような、閉塞的な空気感に風穴を開けたのが『週刊文春』だった。
忖度や、配慮を限りなく廃し、『文春砲』と称された、自分たちしか知らない、独自で強力なスクープをぶち込む行為は、多くの話題を生み、著名人たちを恐れさせた。

週刊誌、大衆誌という、‘‘三流メディア‘‘、‘‘下世話な媒体‘‘という従来からのイメージは持たれつつも、一方では、「真実を暴く‘‘代理人‘‘」のようなポジションを確立。

もともと、業界の老舗雑誌でありながら、「ベッキー不倫騒動」以降は、他の週刊誌や、スポーツ新聞などからは、一線を画する‘‘革新的‘‘な存在となして持て囃され、ある種の支持を得たのである。

脚光を浴びてからも、優秀な記者を囲い、その努力と、卓越した手法で、多くのスクープを掴み、他社を出し抜いてきた。
テレビなどの大手メディアが報じられないことも、可能な限り、配慮や、忖度せずに報じ、その多くが事実でもあった。

しかし、最近、風向きが変わりつつある。

いくらスクープを連発しても、『週刊文春』を支持しない人々が増えてきているのである。
これには、‘‘明確な理由‘‘があった。

彼らは、どこで間違ってしまったのだろうか。

■【文春砲】の誕生 「ベッキー」破滅の衝撃■


なぜ、‘‘嘘半分の三流メディア‘‘、‘‘下世話な媒体‘‘と認識されている大衆週刊誌『週刊文春』がここまで、注目と、支持を集めることができたのか。

それは、そこに【‘‘大義‘‘】があったからである。

つまり、報道する【意義・意味・必要性】が、あったということである。

ベッキーさんの報道が、ここまで注目を集めたのは、単に彼女が有名だっただけでも、相手が人気バンド『ゲスの極み乙女。』のボーカル・川谷絵音だったからでもない。

彼女は、元気で明るく、真面目で品行方正、クリーンなキャラクターで売っており、その地位を確立した。
バラエティー番組などでも、下世話なテーマや、他のタレントや、お笑い芸人の下ネタなどにも、引き気味で、白い目を向けるような‘‘優等生‘‘的な立ち振る舞いが目立っていた。

公の場では、老若男女に愛された‘‘清純派‘‘、‘‘NHK的なタレント‘‘の彼女が、裏ではえげつないことをしており、それを暴いたからこそ、支持を得たのである。

そこには、庶民派の柔和な政治家が、実は裏金を貰っていたり、黒いコネクションがある事実をスッパ抜いた時のような、大義のある、爽快な感覚を読者、視聴者に抱かせたのである。

また、利権や忖度にまみれて、不都合なことを報じず、叩きやすいところは残酷なまでに晒し上げる「テレビ」、真偽不明で、取材もろくしないような「インターネットニュース」、取材費もなく、古い体質の同業者「週刊誌・大衆誌」が溢れる中で、その隙間から抜け出したのが『週刊文春』であった。

1980年代以前、かつて隆盛した「新聞・テレビが書かない記事を書く週刊誌」という昭和の大衆誌的スタンスが、21世紀の高度情報化社会の中で再び、脚光を浴びたのは、こういった理由があったのである。

脚光を浴びた後も、文春は、多くのスクープを生み、多くが支持されてきた。
少なくとも、大きな批判に晒させることは、あまり見られなかった。

■ 文春の‘‘お得意様‘‘  AKB48・48系グループ ■


文春の‘‘お得意様‘‘と言えば、『AKB48・48系グループ』が挙げられる。
「恋愛禁止」を掲げ、人数も非常に多い彼女たちは、‘‘誰かが何かをやらかさないか‘‘と本誌が常にマークをしている存在であり、多くのスクープをすっぱ抜いてきた‘‘お得意様‘‘である。

彼女たちは、「圧倒的なルックス」や「高い歌、ダンス、トークの能力」など、プロのアイドルとしての素養をもっていないことが多く、逆に、その‘‘親しみやすさ‘‘を売りにしている。

しかし、単に、そこらへんにいるような素人が、それで、お金を稼げるわけがない。
彼女たちは、プロフェッショナルな能力に乏しい。
本来的には、プロのアイドルタレントとして活動する‘‘資格‘‘がないのに、プロとしてやっていくために、その【対価】を差し出している

それが「恋愛禁止」なのである。
アーティストや、女優、トップモデルのような、常人離れした素養をもたない代わりに、アイドル活動に真剣に邁進し、握手会、劇場公演、ブログやファンメール、ライブ配信など、普通の芸能人がやらないような手厚いサービス、プライベートの時間を、ファンに提供・公開することで、プロの舞台に立つことを許されているのだ。

いわば、才能や能力が足らない分、「24時間アイドルでいる」という対価を支払い、それの努力をファンが認めているからこそ、‘‘プロではない‘‘彼女たちに価値が生まれ、ファンが応援するのだ。

つまり、「恋愛禁止」は、AKB48・48グループと、ファンとの【誓約】であり、【契約】でもあるのだ。

ファンは、その前提があるからこそ、‘‘本来的には、価値のない素人‘‘に会うためや、総選挙イベントで投票するために、大量のCDを購入したり、グッズを買ったり、劇場やライブ、イベントに足を運んだり、有料サービスを契約したりと、お金や、時間、労力を使うのである。

だからこそ、その‘‘誓い‘‘が破られた時に、それを白日の元に晒し、報道することは、必要性、価値、大義があることなのである

たかだか、いちアイドルグループのことに対して、大袈裟かもしれないが、本質的にはこういったことである。

こういった報道がなされた時に「メンバーが可哀想」という声がほとんど聞かれないのは、‘‘誓い‘‘を破ったという点で、「クリーンが売りの政治家の裏金がバレて可哀想」といっているのと本質的には同じだからである。

彼女たち以外にも、巨大組織、政治家、ジャニーズ、大物著名人や、紅白出場歌手などであっても関係なく、大手メディアが報じない、掴めないことを、最低限以上の配慮や忖度なく、スクープしていくからこそ、『週刊文春』は、他とは異なる地位を確立し、脚光を浴びたのだ。

今までのような、下世話で、いたずらに興味や、好奇心を煽るような記事も少なくはないが、それだけではない。

目玉記事には、法律、モラル、ルール、誠実さなど、その世界においての‘‘守るべきもの‘‘を破ってしまった人や団体、組織のことを暴露しているからこそ、そこに【大義】が生まれ、支持を得てきたのだ。

■ ‘‘勘違い‘‘の始まり 「三遊亭円楽」の不倫スクープ■


しかし、こういった流れが変わってきたのは、「ベッキー不倫騒動」から、しばらくしてからの「三遊亭円楽 不倫騒動」あたりからだ。

この騒動は、笑点での‘‘紫の着物‘‘を着る大物落語家の『三遊亭円楽』が、一般女性と不倫をしていたというもので、よくある話である。

事実、‘‘謝罪会見‘‘は、神妙な面持ちを見せながらも、噺家らしい、ウィットにとんだものとなり、当の奥様から「とにかく頑張りなさいよ」と励まされ、会見前夜に届けられたスーツの袋には、直筆の「頑張れ」が書かれているエピソードを公開するなど、しっかりと‘‘オチ‘‘がついたものとなった。

これによって、円楽さんが、特に何かのお咎めを受けたことはなく、特に世間も、それを求めてはいなかった。

ポイントは、ここにあるのである。

本人は、‘‘昔と違って、今はそういう時代ではない‘‘と否定しているが、男、しかも、芸人とくれば「飲む・打つ・買う」「浮気は芸の肥やし」という時代に育ち、笑点では‘‘社会派‘‘と‘‘腹黒‘‘の両方のキャラクターで活躍、品行方正なイメージも特にない。

不倫騒動時の年齢も66歳で、相手の女性も四十代のいい大人の関係であり、なにより、当の奥さんが「頑張りなさいよ」と激励まで送っている。

もちろん、不倫は不法行為であり、当人たちに、落ち度があったことは間違いない。

しかし、これには、報道の【大義】(意義・意味・必要性)が、どこにあるのだろうか?

円楽さんのファン、笑点のファンというのは、落語家として高い素養と実績をもつ円楽の芸が見たいのであり、その対価としてお金を払う。
その、【芸を見せること】が、円楽が行う、ファンとの【契約・誓約】である。

円楽さんは、アイドルでもなければ、公人でもなく、品行方正を求められるような職業でも、立場でも、キャラクターでもない。
「私は、品行方正な人間です。だから、応援してください。」などとは、一言も言っていない。

【落語の職人芸】を見せるという‘‘誓い‘‘以外に、どこにも【大義】はないのだ。

この点で、『ベッキー』や、『AKB48・48グループ』とは明確に異なっているのだ。

もし、大義が、あるとすれば、それは奥様になるのだが、本来、謝罪されるべき、法的に訴えることができる‘‘被害者‘‘の彼女自身が、‘‘世間‘‘に向けて謝罪する円楽を激励するといった、何とも珍妙な構図が生まれている。

つまり、そこには【大義】がないのだ。

この時期あたりから、文春の勘違いがはじまっていく。

■``差別意識``を商売に利用 「乙武洋匡」の不倫報道 ■


他の例としては『乙武洋匡』の、不倫騒動が挙げられる。

円楽さんの場合と異なり、まず、乙武さんは、真面目で聡明、清潔感のあるイメージがあった。

さらに、不倫旅行に、ダミーとして男性を同行させるなど抜け目なく、過去5人と不倫していたことを認めたり、選挙への出馬が断念されたり、何よりも、夫人と離婚をしている。

彼の場合は、スクープする大義は、多少は、あったかもしれない。

しかし、ここには「障害者は慎ましく暮らしているだろう」「障害があるくせに女とヤりまくって」という差別意識が見て取れ、文春は、そのインパクトを利用しようとしたことは否めない。

確かに、不倫は不法行為であり、落ち度は乙武さんと、相手の女性にある。

しかし、騒動自体はどこにでもあるもので、彼も、特に旬の人というわけでもない。

【大義】ではなく、単に、「えっ?あの乙武が!?」というインパクトを狙って、販売部数や、話題性を得ようとしていることは明白である。

■ スクープに非難殺到 「小室哲哉、引退」の余波 ■


そして、明確に方向性を見誤り、スクープしたことで、逆に批難されたのが、2018年に起きた、「小室哲哉の不倫・引退騒動」である。

その騒動の内容については、複数の報道があるので、分からない人は自身で調べて欲しい。

かいつまんで言うと、ミュージシャン・音楽プロデューサーの『小室哲哉』が、「高次脳機能障害を患う妻・KEIKOの看病や、仕事のストレスなどで、疲弊し、自身の身体も満身創痍。そのサポートを受けていた女性看護師と不倫関係」となった。
そして、それを、『週刊文春』が報じたことで、それを引き金にして「引退」を発表してしまったというものである。

それに対して、スクープをした『週刊文春』に、逆に、非難が殺到したのである。

「あの大天才の小室哲哉を、たかだか不倫で引退に追い込んだ」

しかも、

「介護のストレス、自身の病気など、同情の余地もあり、疲弊した状態にあった小室にトドメを刺した」と、小室を殺したのは、文春だと、小室ファンのみならず、音楽ファン、一般層までを巻き込み、公益報道のあり方の是非が問われたのである。

怒らずとも、後味の悪い感をもった視聴者たちも少なくないようである。
この報道の発端になったのが、『週刊文春』であり、「文春が、つまらないことでイジめるから、やめちゃったじゃねえか」と批判を受けたのである。

なお、この報道には、諸説あり、小室さんはKEIKOさんの面倒をあまり見ていなかったとか、引退は最初から決まっていたという報道も出た。

しかし、問題はそこではない。

このような批判がでたのは、そこに【大義】がなかった
つまり、報道の【意義・意味・必要性】がなかったからである。

『三遊亭円楽』の例と近いが、男性で、大物ミュージシャン、しかも、格好良いイメージで売っているロック系アーティストであれば、女遊びをしていても何ら不思議はないという認識がまずある。

しかも、小室さんは、59歳であり、いまさら、守るべきイメージというものも、そうないだろう。

もちろん、誰であっても、どういう事情があっても、不倫は不法行為である。

しかし、やはり、ここでも、【大義】がないのである。

小室さんの価値は、類まれなる音楽的な才能、作品であり、CDや、ライブの料金という対価として、それを、与えることが、ファンとの【契約・誓約】である

小室さんには、ファンや世間に、「品行方正でいます」という、‘‘誓い‘‘などは立てていないし、そのように売ってもいない
「NHKの歌のお兄さん」のように、品行方正を、誓約しているわけではないのだ。

良い作品をつくる、良いパフォーマンスをするということが、彼の‘‘誓い‘‘なのである。

例えば、小室さんが「盗作をした」「乱れた私生活で、ライブが中止になった」というのであれば、それは、ファンとの【契約・誓約】を破っており、報道される意義・意味・必要性がある

しかし、そうではない。

今回の件で、小室さんを糾弾する権利があるのは、病床の妻・KEIKOさんと、その親族だけだ。

しかし、一度、報道が出てしまえば、あっという間に拡散し、著名な人であればあるほど、何かしらの対応をとらざるを得ない。

犯罪行為でもなく、世間の中に、謝る対象などはいないのに、釈明会見をするという不必要な、精神的・肉体的なダメージを負わねばならなかった

だからこそ、ファンではない、一般層からも公益報道のあり方への疑問が噴出したのである。

■ 文春は、「どこで」「何を」間違ったのか? ■


スクープを連発し、世間に持て囃されてきたはずの『週刊文春』が、逆に、スクープをしたことが、非難されるようになってしまった

「文春砲」は、「どこで」「何を」間違ったのだろうか?

『ベッキー』や『AKB48・48グループ』をスクープした時に、世間の賛同を得たのは、これまで述べてきたように、そこに【大義】、つまり、報道する【意義・意味・必要性】があったからである。

特に、ベッキーさんの件に関しては、大きく世間を騒がせた。
この件が、『週刊文春』の存在を世間に知らしめるきっかけとなり、後に猛威を振るう、「文春砲」の始まりでもあった。

しかし、これは、単に「スクープのインパクトが強かった」、「皆が知らないことを暴露した」から持て囃された訳ではなかったのだ。

表で、優等生的な笑顔を振りまきながら、裏では、えげつないことをしたり、‘‘ルール‘‘や‘‘誓い‘‘を破っていた人間を断罪するからこそ、評価されたのだ。

他が掴めない、【報道の意義・意味・必要性のあるネタ】を掴んだために、結果として、それが、【強いインパクトを生み、支持もされた】のだ。

だからこそ、文春の存在感や価値が高まり、他の週刊誌から、抜け出した媒体になれたのである。

さらに、そのスクープを受けて、テレビや、インターネットが取り上げ、世間を席巻するという流れができるようになり、文春の存在感は、ただの‘‘三流メディア‘‘、‘‘下世話な媒体‘‘を超えた、特別なものとなった。

それによって、出版不況の中でも、発行部数も伸びたのである。

しかし、彼らは、ここで、勘違いを、し始めてしまった。

「インパクトの強さ」や、「誰かを断罪すること」が、【世間に受けている】のだと誤解してしまったのだ。

軽微であっても、報じる意味が薄くとも、不法行為を断罪し、インパクトの強いスクープを連発するによって、自分たちが持て囃され、評価されていると勘違いしてしまった。

ベッキーさんが、まるで、犯罪者のように扱われたのは、その行為自体よりも、表の顔と、裏の顔の落差が大きく、優等生の振りをしながら、‘‘不誠実‘‘な行動をとっていたからこそである。

単に有名であったり、相手が著名人であったというだけではないのだ。

『AKB48・48グループ』に関しても、「恋愛をせず、アイドル活動に注力し、他の芸能人がやらないくらい、ファンを第一にします。その変わり、芸能界レベルのルックスや、能力がなくても応援してください。」という‘‘誓約‘‘のうえに成り立っているものを破ったからこそ、それが、報道される意義があり、同時に、インパクトも生み、支持もされるのだ。

しかし、文春は、自分たちのスクープ「文春砲」が期待され、あっという間に世間に広がっていくことを繰り返す中で、次第に、報道の意義や必要性を省みず、単にインパクトのあるものだけを報じるようになった

世間に報じる意義があるスクープだからこそ、同時にインパクトが生まれ、支持されたということを勘違いし、インパクトさえあれば良いという、間違った思考に落ちいってしまったのだ。

だからこそ、『三遊亭円楽』や『小室哲哉』の不倫といった、‘‘報じる意義がないスクープ‘‘でも、鬼の首を取ったかのように、高々と掲げ、障害者への無意識の差別意識を利用し、『乙武洋匡』で部数を稼いだのである。

確かに、人前に出る職業であれば、明確な犯罪行為でなくとも、批判の対象になることは、受け入れていく必要はあるだろう。

しかし、世の中にたくさんの伝えるべきことがある中で、商売とは言え、どうでも良いような人の落ち度を血眼になって探し、それをスクープとして誇るのは、あまりにも下品で、低俗である。

『週刊文春』が、そういった‘‘三流メディア‘‘‘‘下世話な媒体‘‘から、頭一つ抜け出た感があるのは、意味のあるスクープを報じたからである。

こういったことを繰り返せば、‘‘ただの有名な低俗メディア‘‘に逆戻りである。

現在は、忖度にまみれ、ご都合主義で信用に値しない「テレビ」、収益目的の嘘や、低俗なコンテンツも多く出回る「インターネット」の2つが、情報メディアとして、主流の時代になった。

このような中にあっては、『週刊文春』のような、グレーで、泥臭く、骨のある、昭和的なメディアも必要となってくるだろう。

そういった面からも、「文春砲」の‘‘誤爆‘‘は避け、本来の、ターゲットにのみ、その強力な砲弾を撃ち込むことを、せつに期待したい。

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