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【ユーチューバー】こそ、現代の「とんねるず」だった!ーなぜ、若者は、‘‘素人‘‘に熱狂するのか?ー 前編

テレビ界、お笑い界の大物は誰かと聞かれれば、『とんねるず』の名前が挙げられるだろう。

一方で、近年は、「古い」「つまらない」など、【古き悪しき大物】の代表格として、否定的な見方をされることが少なくない

とんねるずについて、説明はいらないかもしれないが、少し触れておく。『石橋貴明』と『木梨憲武』のよる、お笑いコンビであり、長きに渡り、コントやバラエティー番組を中心に活躍、彼ら自身が経験者ということもあり、お笑い芸人でありながら、野球やサッカーをはじめとしたスポーツ界にも太いパイプがあることが特徴的だ。

1990年代には音楽活動も印象的で、『ガラガラヘビがやってくる』で大ヒットを飛ばしたり、とんねるずと、番組スタッフで結成したダンス&ボーカルグループ『野猿』は企画物の域を超えて本格的な活動を見せた。

近年は、「バラエティー番組」のMCを中心に活動し、シーズンオフ選手が出演する「スポーツバラエティー特番」などでメインを務めることが印象的だ。
 
このように、‘‘テレビ業界の大物‘‘であった彼らであったが、地上波放送のレギュラー番組や、冠番組が相次いで終了し、2018年4月の改編期には、ついには‘‘全滅してしまった。

『とんねるず』は、【古い・つまらない】

こう言った声が聞かれるようになり、事実、視聴率は、低迷していた。

‘‘全滅‘‘から数ヶ月、木梨は、かねてから定評のあったアーティスト活動にシフトし、石橋(のみ)は、新たな冠番組『たいむとんねる』がはじまったが、深夜に近い時間帯の番組である。
しかも、とんねるずに、特別な功労者待遇を用意してきた『フジテレビ』が、彼らの最低限の名誉を守らせるために、用意したものであることが丸わかりであり、やはり、視聴率は低迷している。

■ 「‘‘古い‘‘テレビ」の代名詞が「とんねるず」■


現在、若者の【テレビ離れ】が叫ばれて久いが、その「‘‘古い‘‘テレビ」の代名詞こそ「とんねるず」なのである。

業界ネタ、バブル的な笑い、ハチャメチャな行為や、暴力、セクハラ、パワハラ、悪ふざけ、素人イジリなど、かつての彼らは、革新的なエンタメとして、当時の若者に受け入れられた。

テレビ全盛期の主役のひとりであり、その中でも、目立つ存在であった彼らは、かつてのテレビの代名詞であり、今では、逆に、多くの視聴者から、「前時代的なタレント」の代表格と認識されている。

一方で、実績は輝かしい分、質(たち)が悪く、特に、『フジテレビ』は、数字がとれなくなっても、とんねるずを長きに渡り、特別待遇するなど、ズブズブの関係性にあった。

年齢や、芸歴、ブレイク時期が近く、同時期に、それぞれ、音楽バラエティー番組のMCを務めていたことから、かつて、〈西のダウンタウン〉〈東のとんねるず〉と言われることも多かったが、『ダウンタウン』の人気は健在ぶりを見るとそう考えると、とんねるずの凋落ぶりや、今の時代に求められていない様子が、よく分かるだろう。

■ ‘‘最先端‘‘メディア「YouTube」は、‘‘古い‘‘「テレビ」の【パクリ】だった? ■


では、「テレビ」や、「とんねるず」が“古い“として、現在、《時代の最先端を行く動画メディア》や、《影響力のある映像系のエンタメ》は何なのだろうか?

それは、言うまでなく、【YouTube】であり、【ユーチューバー】であろう。

「YouTube」は、2000年代中頃に登場した動画共有サイトであり、現在では、世界最大動画メディアにまで成長。
特に、近年は、オリジナルの動画を投稿し、収益を稼ぐ、新たな職業「ユーチューバー」が登場し、様々な面で賛否を呼んでいる。

しかし、よく見ていくと、あることが分かる。

それは、コンテンツ(動画の内容)自体は、「テレビ」とたいして変わらない。
というか、大半は、テレビで行われていることの、‘‘二番煎じ‘‘であるということである。

あなたの好きなユーチューバー、人気のユーチューバー、知っているユーチューバーや、その動画を、思い返してみてほしい。
もし、ご自身がユーチューバーであれば、自分の動画を見返して欲しい。

商品や便利グッズの紹介
おバカで、アホな検証
体を張ったロケ
街頭インタビュー
社会や、事件への提言
ハウツーや、専門分野の解説
趣味やホビー
取材や、インタビュー
お色気や、アダルト系
オシャレや、ファッション
やってみた系
潜入取材や、探索、捜索
ドキュメンタリー
○○に挑戦

など、YouTubeでよく見る人気ジャンルとして思いつくものをいくつか挙げてみたが、どうだろうか?

これらは、「YouTube」が登場し、現在のような、《世界メディア》に成長する遥か前に、「テレビ」が、やり尽くしていたことである。

さらに、最近、目立ち始めた、ユーチューバーが「金で何かを買い占める、高額なものを買う」「収入公開」「仲間のプライベートを暴露」「ドキュメント風のやらせ」などは、まさに、「とんねるず」的な、銀座をザギン、寿司をシースーと言ってしまうような【“古い“テレビ】や、最近の日和ったバラエティー番組の代名詞のような、“見飽きた“企画内容である。

テレビでは、あまり見られない「ひとり喋り」のような動画も、元はラジオの手法であり、映像つきのラジオに近い。

質の悪い悪ふざけ・迷惑行為、気狂い系など、インターネット独自発祥のものもあるが、今日、YouTubeで人気の動画の、ほとんどは、【テレビや、その他の既存メディアがやり尽くしてきた、手垢のついたジャンル、コンテンツ内容】と同じである。

つまり、「ユーチューバー」は、「テレビ」を‘‘パクって‘‘いるのだ。

「YouTube」は、【古いメディア】を駆逐し、トップメディアに成り代わった、【新しいメディア】という認識が強い。

実際は、意外にも、‘‘古い‘‘テレビで、やられてきたことの二番煎じ、真似っ子、焼き直しなのである。

しかも、同じことをすれば、絶対に「テレビ局」のほうが強いはずだ。

ユーチューバーは、どれだけ人気であってもあくまでも個人である。

テレビ局のように、豊富な制作費を使ったり、大きなセットを組んだり、大規模なロケや取材をしたり、本当はダメなことを特別に許可してもらったり、官公庁や、大企業にも顔が効くということは難しいだろう。

また、トップユーチューバーであっても、名の知れた芸能人や、著名人、スポーツのスター選手などを10人も20人も呼び、ギャラを払い、動画番組を成立させることは難しいだろう。

資金、コネクション、影響力、ノウハウ、信用度、特別な認可の取得などという、あらゆる面で、ユーチューバーは、テレビ局には、到底、及ばない。

最近は、パワーが落ちているといっても、‘‘腐ってもテレビ‘‘なのだ。

同じことをすれば、どう考えても、「ユーチューバー」は、「テレビ」には、叶わないはずなのだ。

にも、関わらず、
【古いテレビ】を、さらに、【低クオリティに、焼き直した粗悪品】のほうが、現代では、持て囃され、人気なのである。

これは、どういうことなのだろうか?

この点にこそ、
「とんねるず」と、「ユーチューバー」の間にある、【奇妙な関係性】が見えてくる。

一見すると、‘‘新旧の動画メディア‘‘の代名詞であり、《攻められる側》と《攻める側》という、敵対関係にある、「とんねるず」と、「ユーチューバー」の間に、妙な【共通点】があり、実は、【本質的には同じもの】であるという‘‘意外な事実‘‘が見えてくるのである。

■ 「テレビ」を壊した究極の‘‘素人‘‘  【新しい存在】としての「とんねるず」■


こう言っても、意味が分からない、という人が大半だろう。
しかし、これは、「とんねるず」が、どこからやってきて、どのように成り上がったという、彼らのサクセスストーリーを見れば、実によく分かる。

僕の世代からすると、「とんねるず」は、物心ついた時には、すでに大物であり、テレビ業界に太いパイプをもち、派手に遊び、他のタレントにも影響力をもつ、テレビ界の有力者のひとりといったイメージがあった。

言ってみれば、“全てを手に入れたおじさん達“であり、《権力側、既得権益側の人間》だと、認識していた。

しかし、その「とんねるず」こそ、かつてのメディア業界において、《革新派・革命軍》であり、【新しい時代の代名詞】だったのである。

いわば、【かつてのとんねるず】こそ、【現代のユーチューバー】であると言えるのだ。

「とんねるず」が、大ブレイクし、スター街道を駆け上がった1980年代半ば頃、〈テレビ史〉においては、成熟期を迎えていた時期であった。

1970年代に、国民のほぼ全てに「テレビ本体」が、行き渡ってから、しばらく経過し、テレビ番組・業界のあり方というものが確立され、しばらく経った時期であった。

成熟期といえば、聞こえは良いが、それは、同時に、停滞期、倦怠期という面も、どことなく見え始めた時代でもあった。

テレビの手法、セオリー、業界構造、ルール、不門律、力関係など、「テレビはこういうもの」というパッケージ規格、ベーシックなあり方が決められ、安定的な運営がなされるようなった。

一方で、次第に多くのコンテンツが、〈その幅の中に収まるもの、収めようとするものばかり〉になり、〈何か新しいことをしようとしても、そこから抜け出ることは難しく〉なってしまった。

「テレビ」は、メディアとして安定的な運用がなされるようになった、一方で、閉塞感が蔓延しはじめたのが、とんねるずが、ブレイクした当時の、時代背景なのである。

なぜ、「とんねるず」が、当時の若者に熱狂的に支持されたかと言えば、このような中で、彼らは、人気者だが、「従来の芸能人」ではない、何か、【新しい存在】であったからだ

彼らは、伝説のお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」の中で、《素人》でありながら、大活躍し、そこから、スターへの階段を登り始めた。

しかし、高卒で学歴も無く、特段ルックスが良いわけでも、何かの技能に秀でているわけでも、特に、コネクションもなければ、著名人の二世というわけでもないない。
また、タレントスクールや、養成所、専門学校に通ったり、弟子入りして、プロの世界や、技術を学んだわけもない。

番組の面白い素人(もしくは、それに近い)発掘コーナーへの出演から人気を得て、成りがったのが「とんねるず」なのである。

確かに、彼らに限らず、芸能人といっても、元は素人であり、素人時代に話題となり、芸能界入りしたパターンも少なからずある。

しかし、彼らが、当時の若者を熱狂的に興奮させ、強い支持を受けたのは、【素人】を貫いたからである。

時として、台本や進行を無視し、ロケでめちゃくちゃをやり、暴力、無理強い、性的発言、悪ノリや、体育会系的なノリ、素人イジリ、強引な手法などを使い、テレビのルールや、セオリー、リスクを無視して、ハチャメチャなことをすることが、当時の若者に、革新的なものとして受け入れられた。

先にも述べたとおり、「とんねるず」が売れていった時期は、テレビとはこういうものだということが、確立されたような時代であった。
番組作りのセオリー、やって良いこと、悪いこと、暗黙の了解などの枠が決められ、利権構造、力関係など業界内のしがらみも顕在化してきた。

それは、当時の若者にとって、退屈なもの、古いものであり、支持できないものであったのだ。

そこに現れたのが、「とんねるず」である。

メディアに出る仕事をしながら、【失うものはない素人】【予定調和を壊す過激な存在】として、テレビ業界や、芸能界のルール・不門律を無視し、決まりきった枠を破壊していく

「とんねるず」は、《既存のテレビ・芸能界》を、引っかき回し、風穴を開ける【新しい存在】であり、だから、支持されたのだ。

そして、《従来のテレビの人間》ではなく、【影響力のある素人】【金の稼げるノンプロ】のまま、若者を中心に支持され、成功し、いつしか登りつめたのが「とんねるず」なのである。

だからこそ、こういった【新しい存在】に、当時の若者は熱狂したのだ。

《‘‘古いテレビ‘‘の代名詞》であった「とんねるず」が、当時は、【新しい存在】であったことは、分かって貰えただろう。


では、

・なぜ、“新しい存在“である「とんねるず」は、【古く】なったのか?

そして、本著のメインテーマである

・現代の【とんねるず】こそ、【ユーチューバー】である

とは、どういった意味なのかは、後編で解説したい。

ー後編に続くー

▼この記事は、以下の自著から、抜粋して、再構成したものです。▼

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