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ゆらぷか通信 第3号 「無言の父、しゃべる母」は好みの問題?社会の要請?

「ゆらぷか通信」は、きむきむ(@cory614)とダー子(@Daako_Daako)がお届けする交換日記です。前回までの記録はこちらのマガジンからどうぞ。


23/08/04

ついに趣味Twitterと言われるようになったし、雨はしぶらないし草は削らない

2号の通信では、「わたしの紹介をして」というむちゃぶりに応えてくれてありがとうございました。面白かった。

「本州にお住まいで趣味は書道とTwitter。」ですって。

「趣味Twitter」、びっくりした~。(そして、この日記をだらだらと書いているうちにTwitterがXになったことにもびっくりした。)
実は、SNSはこれまであまりやっていなくて、就活の時に会社の人事にしきりに「facebookでつながりましょう」と言われてアカウントをしぶしぶ作っていたのと、就職してすぐのころに断捨離にハマり捨てたものをただ記録し続けるtwitterアカウントをもっていた時期が半年くらいあった程度でした(いずれもすでに削除)。だから友人とはSNSで一切つながっていなくて「SNSやらない人」で通っていたんですよね。
ところがうつ病になったらあまりに孤独で、うつ病で会社に行かなくなって3か月くらいのときに、ほぼ寝たきりだったにもかかわらずtwitterアカウントをつくりました。これがよかったんだよね。ひとりじゃないと思えたのと、140字という短文は、当時思考停止していた脳みそでもかろうじて読めたのと。もともと活字中毒のきらいがあるので文字がないと落ち着かないが読書は目が滑って思考停止してしまってできないというジレンマを解消してくれました。twitter様様です。
でもリプライを送りあって、twitterでの人間関係を楽しむようになったのは割と最近じゃないかなあ。twitterの利用目的がうつ病の情報収集→大学院・研究の情報収集→完全な趣味、と、情報収集感が抜けてきたのと、あとはtwitterスペースができたのが大きかったと思います。あれで、画面の向こうに人がいるのがリアルに感じられるようになりました。
でも、大学までの友人にはほとんどアカウントを教えていないのです。なんかうつ病になる前を知られている人にtwitterで吐露している自分やはっちゃけている自分を見せられなくて。でも、「ダー子さん」と呼ばれる自分がいることが、今の自分には救いだなと思います。

きむきむさんとの言葉の言い回しトークは、雨がしぶる話と草を削る話が印象に残っています。2号できむきむさんが書いてくれた”「渋ってる」じゃなくて「飛沫ってる」”説はおもしろいな~と思いました。ちなみに「雨がしぶしぶ」ってどんな雨ですか。「飛沫ってる」くらいだからそこそこ降っているのかな、また教えてください。
「草を削る」話も方言なんだね~なんて言って語源をしっかり考えていなかったのですが、それについて説をたててみたので書いておきます。
「草を削る」、方言かと思ってググってみたのですが、それらしい記事が出てこないのですよね。まぁインターネットに記録されていない方言なんて山ほどあると思うので、よくわからないままなのですが。そこで思ったのが「草削り」の動詞化なのでは?ということです。

「草削り」という農具があるみたいなんですよ。これを使うことを「草を削る」というようになり、雑草取り全体を「草を削る」というようになった、という説。どうでしょうか?

「無言の父、しゃべる母」は好みの問題?社会の要請?

不登校の親の会と(家族)社会学

2号の通信できむきむさんが言っていた「私は当時から不登校の親の会大好き人間だったので、家族社会学を研究している人と聞いて興味を持ってしまったのだった。」という話。前にちらっと聞かせてもらったこともあるんだけど、きむきむさんが不登校の「親の会」に関心をもったのはどこからなんだろう?そして、きむきむさんが言っていた「不登校の親の会に出てくるのは母親ばかり現象」の話をもう少し聞いてみたいです。
そして、わたしは不登校の問題について全然知らないのである……。不勉強で申し訳ない。不登校の問題は教育社会学で扱われているイメージ。家族社会学の雑誌で不登校を扱っているのは見当たらない印象(ざっと調べただけなので、あったらごめん)。ジェンダーの観点から研究している人は多少いました。
「学校に行かない」という現象について、①(みんな行っているのに行かないのだから)本人の問題、②(学校に行かない子を育てた)親の問題、③(本人が行きたくないと思う環境を作った)学校の問題、④(そもそも学校を「行かなくてはならない場所・唯一の教育を受けさせる手段」としている)社会の問題と、問題の根源をどこに求めるかは思いつく限りでもいくつかあるような気がしている。②の「親の問題」説があるのと、「1日ずっと子どもが家にいる」という状況が社会に想定されていないので、それに伴う苦労があるから、「親の会」ができるんじゃないかなという見立てをしてみました。きむきむさんの実感に基づく話が聞いてみたいです。

プレミアムモルツのCM「無言の父たち」

そしてバズったこのCMですね。

おおむね好意的?な反応が多かったのではなかろうかと思う。しかしきむきむさんはちょっと違和感をツイートしていたので、そこのところもう少し聞いてみたいのです。
きむきむさんの視点とは異なるんだろうけれど、わたしも正直違和感がありました。それは「「日常的家事の管理」を父親はやっているのか?」というツッコミです。ちょっとまた論文では云々という話をしてしまうのだけど(わたしの癖)、ご容赦ください。
山田昌弘という社会学者(パラサイトシングルという言葉を作った人です)が30年位前にもう言っているのですが、家事労働を外部化(家事を家事代行にお任せするとか、子どもを保育園に預けるとか)して人任せにしても、最後まで「日常的家事の管理」という労働が残るのです。管理。子どもを保育園に預けて終わりではなく、子どもの発達状況に気になることはないか保育園の先生と情報共有するとか、買い物をネットスーパーで済ませても注文と受け取りだけはやらなくてはいけないとか、そういうことです。この管理の労働を父親はしているのか?と。交渉事も情報交換もせず、満足しやがって、みたいな怒りも正直あるのです。

母親たちは「好きでしゃべっている」わけではない

不登校の親の会と、CM「無言の父たち」をとりあげましたが、母親たちが「好きでしゃべっている」のではないんじゃないかということをわたしは言っておきたいと思います。ママ友づきあいだって仕方なく情報収集のためにやっている人、多いと思いますよ。父親がそのあたりやってくれたらどんなに楽か、と思っている母親も多いと思います。でも父親のなかにも、好きで無言でいるわけじゃない人もいるのかもしれないね。

長くなってしまった。あくまでも日記なので、短い日があっても、長い日があってもいいのだと思います。あれこれ聞いてしまったが、無理に返事をする必要もなし。気楽にまた書いてくれるとうれしいな。ではまた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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きむきむ

ダー子


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