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誤診:医療に人格と能力を否定される"浮きこぼれ"ギフテッド

こんにちは、社会人ギフテッドです。
こちらの記事で自身について触れていますが、私は社会人経験の中でよく周りとズレてはボッコボコになり、3回の長期休職を経てなんとか立ち直った立場です。
その経験の中でメンタルをサポートしてもらうべく医療を頼ってきましたが、残念ながら適切な処方がされないだけでなく、たびたび医療にさえ人格や能力を否定されてきました。それも不思議なことに、"わたしの得意なこと、できること"がひっくりかえり、"あなたに不足していること、できないこと"として突きつけられてしまうのです。

最後の拠り所になる医療にすら見に覚えのない人格を突きつけられ、受け入れることを強いられ、それでも負けないよう自身を支える。振り返るとあまりに辛かったなぁ、よく頑張ったもんだと改めて感じます。

ただ大前提伝えないといけないのは、そもそもギフテッドは特性であり病気じゃないので、それ自体を変えたり直そうとするものではありません。HSPと呼ばれ認知されてるものと近いでしょう。ただ、それでも精神や肉体に支障が発生したら「(特性はさておき)眠れない、体が動かない」と医者にかからないといけないし、医者からすれば来た患者になにか原因を見出してあげないといけないわけで、そら引き出しから判断したらそうなるわ、というもんです。

そんな紆余曲折を経て、今は抗うつ剤の投与がなくなり、健康診断の結果も一気に回復しました。おかげでこうして、知見を残す側に回れています。
この記事をご覧になっているギフテッドご本人、あるいは保護者や関係者の方々がより適切な支援を受けられるよう、そしてネガティブな経験をしてしまわないよう、自身の経験を共有できればと思います。

おしながき
・一般的な医者や心理療法士はギフテッドを知らない
・"欠点探し"をされた結果、ギフテッドの能力が真逆に否定されることもある
・その前提で、ギフテッドは専門の知識がある機関に助けを求めましょう

医療の引き出しに"ギフテッド"は存在しない

ギフテッドのWikipediaの記載を引用すると、

日本の現状は、ギフテッドの社会認知がいまだ希薄である。
ギフテッド教育がさかんな諸国では、ギフテッドが、発達障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)や自閉症、強迫性障害、アスペルガー症候群、気分障害 の気分変調性障害、 鬱、双極性障害などに誤診され社会問題となっており、注意が呼びかけられている。
一般的なギフテッドの社会認知は進んでいても、医師や教育者のギフテッドに関する知識不足によりギフテッドが誤診されやすい傾向が指摘されている。

とあります。私自身の偏った経験というより、どうやら誤診はギフテッドで一般的に起きうることのようです。要するにお医者さんに"ギフテッド"という引き出しはなく、手持ちのカードから選ぶとしたらそれは鬱や自閉症、人格障害といった選択肢になってしまうのです(もちろん悪意があるとかそういう話ではない)。そしてそれは"日本の中で知識が浅い医師"が下す判断ではなく、"日本の一般的な医師"が下す判断なのです。
後の実体験で触れますが、私に「人格障害だ!」と即決で判断を下した医師も、多くの書籍を出版している著名な方でもありました。そんな方であろうとも、ギフテッドというマイノリティはまだ引き出しには入っていないのです。

浮きこぼれはイレギュラー案件

ギフテッドが周囲と接していて、なにか考えや行動に差があり健康に問題が生じたとしましょう。医師はそうした周囲との差をきちんと拾い上げてくれますし、そこにあたりをつけて原因を考えることになります。

ですが、この先が問題です。

医師がなにか周囲との差を見つけたとき、その差が浮きこぼれによるもの、つまりギフテッドが能力を発揮したから起きるものだという判断には至りません。周囲と差があるということは、それは本人の能力が周囲に比べて不足しているからだ、と自動的に解釈されます。周りと考えがズレればそれは思考能力の欠如であり、コミュニケーションがズレればそれは人格の欠如。どうやっても、周囲が正になってしまいます。

こうして真逆の結論を強いられるメカニズムに放り込まれてサバイバルしてきた経験を、少し具体的に紹介します。

人格障害と言われた日

4年ほど前でしょうか、会社でボコボコになり人生2度目の休職に突入し、しばらくした時のことです。しぶとい精神でなんとか前を向き始めて体調も回復し、復職OKをもらうために産業医の診断を受けた時のことです。
産業医に経緯や状況について話したところ、ぱっぱとメモを取りながら、軽くこう告げられました。

「あなたはスキゾイドパーソナリティ障害というやつでしょう。他者や社会への関心や、感情が薄い人格障害です。私は人格障害の専門家で、本も出しているから読んでみるといいでしょう。」

そんなバカな!と衝撃を受けました。

なにせ本人はOEと呼ばれる過剰な感受性や共感性のせいで、周囲に目が行き過ぎてしまうことに悩んでいる真っ只中です。なんなら今だってそういう情熱を元に人事に携わっているし、じゃあせっかくある特性なら活かしてみようと、休職も趣味の楽器を通じて演奏会やライブを開いたり、周りの人が楽しめる場を提供するのを自分の支えにしてたくらいです。それが、その特性を真っ向から否定するような、人格障害というレッテルを貼られてしまったわけです。

そんな結果をかかりつけの医師に報告しました。それまで私の話を直接長く聞いていた医師にすら「あの先生は著名な先生だから」と、同調するようにその産業医の著書を読んでみることを勧められてしまいました。

ここは推察の域を超えませんが、おそらく診断の根拠には、私と上司や先輩との間に考えの違いがあったこと、考えを改めるよう指導されていたにも関わらずこれを受け入れなかったことなどがあったのだと思います。その上、医者からすれば目の前の患者は診断結果を受け入れず拒んでいるのだから、「ますますコイツはおかしい」と感じられても仕方ないとは思います。

上司や先輩から人格を否定されるような事は色々と言われてきた中でしたが、まさか医師のオスミツキで人格ごと真っ向から否定されるとは思っていませんでした。

思考能力を否定された日

続いては人格でなく、思考能力を否定された時の話です。時系列でいえば、先述の産業医の件から後ろに続く話になります。先述の休職を乗り越えしばらく順調に過ごしていた中で、環境が変わったことで再び状況が悪化し、3度目の休職に入ったときのことです。

この時はさすがに「このまま治療を受けていても埒が明かない、ちゃんと自分を確かめないといけない」という思いから、詳細な心理検査を受けることを決意しました。この時もかかりつけの医師からは「あの時産業医の先生に診断を受けて結果が出てるのに」と後ろ向きな反応があり、それを押し切る形でのチャレンジです。

検査ではIQテスト/ロールシャッハテスト/穴埋め記述などのツール検査と並行して、カウンセリングもしていただきました。本質に深く突っ込むが故に人と考えをちょうどよく合わせられず孤独になってしまったこと、そこから飛躍して人格を疑われたこと、自分が折れずに大事にしていたこと、丁寧に話を聞いていただき、多くの経験に共感してくれました。

「あなたがしてきたのは、人と向き合い周りを大事にして能力を活かし、本質に真剣に向き合って取り組んできたこと。とても辛い中で、それでも耐えて頑張ってきた人だ」

それを聞いて、自分はその場でボロボロと涙を落としました。これからは自分の能力を疑わなくていい、やっと堂々と認められるのだ、と。その場で促され、目を閉じて深呼吸した時に血が流れる感覚を得ました。今まではそういう感情も自分には邪魔な存在で、一生懸命理性で押しつぶしてきたものでした。それが解放された体験をできたのです。あぁよかった、自分は自分でいいんだ。これは能力として大事にしていいんだ。

その日は、久々にぐっすりと寝ることができました。

ですが、その流れた血が止まったのもまたその矢先でした。一週間後に、カウンセリングや検査結果を元に、こんな最終フィードバックを受けたのです。

「あなたは人格に問題はないが、思考能力に問題がある。正しい結論を出せずに失敗している。誤りに至らないよう、自分で考えるのをやめることが解決策だ。」

持ち上げて落とされるとはこのことで、目の前が真っ暗になりました。報告書によれば、自分の図形処理能力が飛び抜けて高いことが判断材料であり、目についたものを処理するあまり大事なことを見落とすのだ、だから本質を考えるのが苦手なのだ、ということらしいです。他の検査結果も低いわけではなかったのに、です。

実際自分はIQテストが何を正しく測れるものなのか、十分に把握できてはいません。ですが、決められた制限時間で限られた絵や図形から答えを出すテストで、思考の深さや抽象的な考えが測られるようにはとても思えません(ギフテッドを測るのにIQテストが適切でないと言われているのはこういった面もあるのだろうと思います)。

なにより、カウンセリングで具体例も沿えて伝え、傾聴してもらい、目の前で一人の人間として肯定されたことが数字のあら探しで全てひっくり返されてしまったことはとても悔しい記憶です。

真逆の自分を"受け入れろ"と常に押し付けられる

自分の能力が欠点として突きつけられることは多々ありました。主に職場で起きうることですが、上記のように頼みの綱である医療の場でも同じことが起きうるのです。

この辛さの一つは、この押し付けの主体者は的ではなく味方の立場であり、善意で行われているものだということです。お医者さんは、真剣に解決に向き合ってくれますし、問題点を一生懸命探してくれます。善意と結果は切り離して考えないといけないとはいえ、心苦しいものがあります。

そしてもう一つは、その押し付けを受け入れない自分の状況を客観的に見る怖さです。傍目に見れば医者の意見を受け入れず突っぱねているのだから、一般的にはヤバいヤツです。ずっと不安がこびり付いて離れないのです。一度、精神病院に入院するよう薦められた時は、あぁもう降参して、自分が支えてきた人格や矜持は全て捨てた方がいいのかなと思ったこともあります。

これは完全な個人の意見ですが、こうして当事者に原因が帰着してしまうことには、日本の真面目な責任感が良くも悪くも影響しているだろうなと思っています。世の中でいじめがあっても被害者側の内省が促されるし、医療の現場でも「なにかあったのならそれは本人せいだ、周りと違う部分があるならそれは能力の不足だ」と傾いてしまう力学があるのでは、と感じています。

ギフテッドは専門家のお世話になりましょう

こうしてたらたら書くと「ギフテッドは日本のどこへ行っても助けてもらえない」と思われてしまうかもしれません。実のところ一般的にはそうだと思いますが、だからといって行く先がないわけではありません。

なのでギフテッドが医療にかかる時は、きちんとその専門性を持った機関を見極めましょう、という話です。

※のちに記事を記載しましたので、相談先を探してる方はご覧ください

自分がしたように、きちんとギフテッドという単語で検索するなりすれば行く先は見つかるはずです。街のお医者さんは医療のプロだから、と勝手にギフテッドが理解されると期待すると危ないことは重々把握する必要があります(そもそもギフテッドは教育用語であり医療用語ではないので、仕方ないといえば仕方ありません)。

これをご覧になった皆さまが、よりギフテッドを理解し支援してもらえる場に出会えることを祈っております。ご覧いただきありがとうございました。

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