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高校国語教員の共通テスト感想🌸二項対立の終焉

いやあ、感動したー!!

二項対立の終焉。「考える人」の育成。

複数テキスト問題の是非が問われる中で、社会の中での国語の意義を色濃く反映した、感動的な問題でした。

まず評論。
いままでは
「西洋はこうだけど、日本はこう」
とか、
「流行はこうだけど、伝統はこう」
とかいったように、二項対立に基づいて、筆者の考える"本質"を読み取る問題でした。

対して今年は
「Aという考え方と、Bという考え方があるけど、不可分だよね。」
という文章が採用されていて、
それにまず感動!!

さらに、問6ではその文章を読んだSさんのレポートが付記されています。
その内容は、

「筆者の言うこともわかるけど、そうじゃない場合もあるよね」

といったもの。

すごくないですか。

並だったら「筆者の言ってることってこういうことだよね」っていう解説だとか、「こういう場合にも当てはまるよね」っていう具体化を選ぶと思うんです。
それを、、さらに新たな視点を入れてくるか、、、、。

ア・プリオリな本質、正解なんてない。お前らが自分で考えるんだよ。

そんな激励が聞こえてきた気がします。

たしかに、「簡単神話※」がほめそやされる中で、難しい文章を自力で読み取ることには大きな意義があると思います。
だけど、「難しい文章の読み取り」に重きを置きすぎるあまり、受験生は受け身になり、あろうことか「受験のテクニック」で点を取るようになってしまった。
※「わかりやすい説明が善し」として難しい言説を嘲笑し撥ね除ける態度。

そして今、世界は自分たちの正義を押しつけ合い、あらゆる二項対立が戦争という形で顕現し、血を流し決着をつけようとしている。

それじゃいかんのです。

国語を手にした文人として、両者の意見に耳を傾け、考え、答えをださずに話しつづけること。
その力が必要とされるような、ピースフルな問題でした。まじ感動。

小説もさいこう!
牧田真有子さんの「桟橋」。
まず登場人物が魅力的です。
主人公イチナの、演劇人であるおばの話。
不透明な人物というか、枠にはまらない人物。
"普通"と遠い場所にいるキャラクターがメインにおかれることって、あんまりなかった気がするな。
そろそろ今村夏子さんとか出題されるんじゃないかしら。

今までは、"普通"の人物がちょっと変な状況におかれた小説、あるいは、"普通"の人物の"普通"な一場面を切り抜いた小説が多く出題されていたような。それはそれで素敵だけどね。

問題の構成もすばらしくて!
日本語と文脈を大事にする語彙問題。
客観的な読み取りと、誰かの視点に立って答える問題。小説ならではの技巧表現、比喩に気づかせる問題……。
小説をたのしむ意義がびんびん伝わってきました。

そしてそして、また複数テキストがいい!!

演技を題材とする小説に、演技に関する評論(太田省吾)がつけられた。それを読んで考える教師と生徒の議論。議論の締めが、

「【資料では】〜〜として演技がみなされていますが、イチナの考えているおばのあり方とは隔たりがありそうですね。」

ですよ!

どひゃー!!
隔たりがあるんかい!!
よくもってきたなあ。

たしかに、小説を補強する文章をもってくるより、「隔たりがある」関係文章を持ってきた方が、多角的多面的な視座を獲得できて物語は何倍にもふくらむよね。
はあ。すごいなあ。

評論にしろ小説にしろ、とかく独りよがりになりがちな、同じ仲間とつるみがちな、他者の意見を排斥して自分の意見を盲目に強めていきがちな、さらにフィルターバブルで無自覚になりがちな現代の僕たちの視野を啓かせようとする強い意思を感じました。

ひとつのテストでいろーんな視点にぐわんぐわん振り回されて、受験生はたいへんだけど、とてもいい経験になったとおもう。
おつかれさま。

はあ。たのしかった。

みなさんもぜひ。

最後に心配ごとをひとつ。
かつての共通一次、センター試験は「難しい文章を自力で読める」学生を育てようとするあまり、「受け身で小手先で点を取る」学生を増やした。
複数テキストもやりすぎると、「複数の視点をもとに自分で考える」学生を育てようとするあまり、「単に小手先で点を取る」学生を増やしかねない。危険性はむしろ増していると思う。正面から向き合うとたいへんすぎるから。
少なくとも評小古漢の全てでがっつりやるのは、本当に適切か疑問だな……。考えていきましょう。

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