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学生三題噺

ある日、電車に乗ってきた学生3人組についての三題噺。

スポーツ格差

ジャージ姿とラケットを持っている彼らはテニス部もしくはテニスサークルのようだ。彼らはしきりに、ナダルやフェデラーやジョコビッチのすごさについて持論を述べている。
自分のようにテニスをしたことなく、関心もない人間でも、その名前からテニスプレイヤーであることはわかる。
これがサイクルロードレースだとしたらどうか。
もし自分らがポガチャルやログリッチやファンアールトのすごさを熱く語っていたとして、周りにいる人がそのことをどれほどわかってくれるか。
実にうらやましい。

方言格差

3人の中でいちばんよく喋っていたのは関西弁の子だった。
東北の人間は他の土地では標準語になる。東北に限らず、栃木や茨城も東京で地元の言葉で話す人は見かけない。
なのに、どうして関西の人は東京でもどこでも関西弁のままなのか。
気にせずお国訛りで話せばいいじゃない、などというのはたいてい西国出身者だ。
その背景にあるのは、音やイントネーションから連想される、地域的イメージと優越性ではないだろうか。
かたや商業とお笑いと古都からなる明るく元気で洗練された雰囲気。かたや貧しい農山村の暗く垢抜けない雰囲気。
被害妄想と言ってしまえばそれまでだが、どうにもそう感じてしまう。

経済格差

次に思ったのが、大学生活においてテニスという課外スポーツを楽しむことができている彼らは、実家暮らしなのかどうかということ。
関西弁の子は違うだろうが、実家からの仕送りはそれなりにあるのだろうか。もしかすると、道具代や施設利用費、イベント参加費などは、頑張って稼いだバイト代で賄っているのかもしれない。
スポーツや音楽などに勤しむ若者に対し、親の経済状況を邪推してしまう自分も嫌だが、若者がどんどん貧しくなる今という時代、ついついそう思ってしまう。やだねぇ。


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