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”もの”には心がありますか?

~スピリチュアルケア師が持つ眼差し~

”もの”の奥に潜む物語

皆さんは「BORO Museum」をご存知でしょうか。民俗学者の田中忠三郎さんが集めた古民具、ボロと呼ばれた着物を展示していたMuseumです。今でこそ欧米の染織美術・現代美術のコレクターから高く評価されていますが、当時ボロにそんな目を向ける人はほとんどいなかったでしょう。

倉庫にあるすべての生活道具や民具には、かつてそれを使っていた人々の思いや願いが込められている。その中には亡くなった父母の「刺し子野良着」や、姉の「角巻」などの遺品もある。私が倉庫に通うことは、そこが今は亡き親族と共に、それまでに出会った古老や姥との語らいの場だからかもしれない。民具には人の温もりがあり、やさしさがあり、そして物語がある。〜物には心がある〜 田中忠三郎 著


見るものの”眼差し”によって、そこに”心”があるかどうかが違って見える

車を愛する人は車にも“心”があると思うでしょう。同じく私が大切にしている一枚のぬいぐるみの写真は、どこにでもある量販されたぬいぐるみの写真です。でもこれは私が看取らせて頂いた子にプレゼントしたぬいぐるみなのです。だから私の”眼差し”では、この一枚の中にいくつもの”心”が込められてる…。

つまり、見るものの”眼差し”によって、そこに”心”があるかどうかが違って見えるのです。


自分の持つ”眼差し”を固定させない

人生には様々な出来事があります。ただ当たり前ですが、その出来事の見え方は一人ひとり違うもの。だから私は自分の持つ ”眼差し” を見つめ、時にその人の”眼差し”に近づけないか模索し、時にその人が気がついていない”眼差し”の形はないだろうか模索します。

皆さんも、そんな風にご自身の”眼差し”について考えてみたら面白いですよ。出来事にある多層の意味を狭めずに気がつけるように。
ちなみに「BORO Museum」は残念ながら2019年に閉館されています。

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