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セクシー田中さんの件で思うところ

表題の件、騒がれていますよね。

いろんな人の意見が飛び交う中、一番しっくり来るというか、まあそうなんだよねっていうのが、鴻上さんの内容。

ドラマとかではないので、感覚はちょっと違うかもしれないですが、僕も編集者として原作者や版権元を相手に、本を作ったりしたことは多々あります。

そういう立場からすると、原作者の意向に沿うのって……語弊があるかもですが面倒なわけです。やっぱり制作サイドにも都合ってものがあって、企画段階で設けた予算や納期を途中で変えるのって都合が悪いわけです。だからこそ前もって打ち合わせをして、予算と希望納期を伝えたうえで先方の意向とのすり合わせを行なって、場合によっては妥協を汲んでもらうこともあります。

で、今回の件はそのあたりがうまくいってなかったというか、局側の立場が強いことで原作者が不当な扱いを受けていた? それが慣例化していた? というのが正しいのでしょうか。少なくとも、同じメディアの出版において原作者の声は絶対で、どんなにすり合わせを行なっててもやっぱりいやだとひっくり返されたら変えないといけません。

面倒とはいいますけど、制作サイドとしてはなるべく原作者に満足してもらえるものを作りたいと思っているんです。形として残るものですし、会社にとっては数多あるものの一つにすぎないですけど、原作者にとっては大切な一つに作品になるわけですから。結局無理にでもそうしたほうがあとあと良かったってなることのほうが多いんですよね。そのためにいろいろ根回ししたりするから変な歪が生まれたりしてややこしいことになったりもします。

で、今回渦中にある脚本家って、ようは本でいう編プロとかライターとかになるわけですよね。そこが原作者とイコールになることってあんまりないんですよね。顔合わせをして内容のイメージを共有することはありますけど、単なるイチ制作スタッフにすぎません。とはいえ、本の内容に関わる部分を考えて作ってもらう人たちなので、編プロやライターの意向を無下にもできないというか、すべきでもないんです。そこに原作者のような明確な権利がなかったにしても、です。

脚本家のお気持ちコメントを擁護したいわけではなく、原作者に手直しをさせられてしまうことは脚本家の立場からして自分の仕事を全否定されたショッキングなことで、不本意な気持ちからああいうコメントを出してしまったのかなってのは想像に難くないんですけど、そうさせて原作者VS脚本家っていう構造を作ってしまった原因は、そこをうまく取りまとめられなかったテレビ局やプロデューサーにあるし、責任の所在もそこにつきるなと思っています。

最悪な結果となり、その直近の出来事が脚本家やそれに対する原作者のコメントなので、そこばかりがピックアップされてしまっていますけど、問題の本質を見失ってしまうと、また同じようなことは繰り返されたり、今度は脚本家をはじめとする制作スタッフが不当な扱いをうけることになったり、必ず不幸な人が出てくる構造を変えることはできないのかなと思ったりしています。




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