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【書評】『墨谷渉』――芥川賞に最も近づいたM男

SMを題材にして描かれた文学作品で芥川賞候補作まで上り詰めた作家『墨谷渉』。

2007年に『パワー系181』で第31回すばる文学賞受賞して華々しくデビュー。2009年に『潰玉』で第140回芥川賞候補となりました。しかも、どちらの作品も痛みと傷を求めるどろっどろのハードなマゾヒズムが題材なのです。

『博士の愛した数式』で知られているあの小川洋子氏は「解釈ではなく、観察された暴力にこそ快楽は宿る。それを証明する一冊」という帯文を寄せています。

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小川洋子さんが絶賛するのもなんとなく分からないでもない気はしますよね笑

芥川賞の選評の時にも彼女は、

「最も興味深く読んだ。内面を表現する手段としての暴力ではなく、単なる肉体的運動としての暴力を描写している点がユニークだった」

と評しています。

どちらの作品も、暴行を好んで受ける男性と、暴力を(どちらかというと好んで)行使する女性が描かれています。もう一つの重要な要素として、数値による測定が彼の作品のキーとなっています。身長、体重、肩幅、握力……(他の作品では年収や学歴、地位なども測定の対象になっています)。そういった分かりやすく数値化された差異によってマゾヒズムが喚起されている点も興味深いです。

この執拗な観察癖と徹底した測定癖こそが、彼の作品の文学性を担保しているように感じられました。テーマの対象であるマゾヒズムを客観的に観察し、俯瞰的に描けるのは、この癖があったからこそ、だと思います。

『パワー系181』


高橋源一郎さんが困惑してる🤔

身長181.6cm、体重88.5kgの大柄で、かつ毎日ジムに通い、身体を鍛え上げているリカ。昼職を辞めた彼女がマンションの一室で一対一のSMサロンを開設するところから物語が始まる。そのサロンに訪れる、多種多様な性癖を持った男との交流が描かれます。

この話のもう一人の主人公が”瀬川”という中間管理職のサラリーマン。この瀬川という男は、強度の低身長コンプレックスを持っており、身長の高いとある女子社員に対して愛憎半ばの複雑な想いを抱いているのです。物語は“高身長”のリカと“低身長”の瀬川が出会うことでクライマックスを迎えます。

リカのSMサロンを訪れる客の一人に「測量男」と呼ばれる、リカの身体を隈なく測量して、そして帰っていく男の描写が印象的です。彼は身長や体重といった身体データをエクセルにし、横に自分のデータを並置して、その圧倒的な差異と敗北感に酔い痴れます。(実際にエクセルを模した図が掲載されているのが面白い)

この表よ🤣(性癖って面白いですよね)

「人の感情という不可解で不確定なものを拠りどころとする恋愛よりも、客観的に表すことができる数値というものにのめり込んでいった」と測量男は自分自身の癖を分析します。

そして、この客観的な観測や観察は、墨谷作品にとって重要なファクターとなっていき、他の作品でも形を変えて頻出します。

『潰玉』


グレイのスーツの似合うM男さん🥰


金玉を潰されることに惹かれてしまった男性と、金玉を潰したかった女性が出会う話。

本作のヒロインである亜佐美は高校の時の護身術の授業で、金的を食らってしまった男の先生が膝から崩れ落ちて悶絶する様子を見て以来、金玉を潰してみたいという欲望を持つようになります。

一方、不動産関係の弁護士として働く主人公の青木は、亜佐美に町で絡まれ、彼女の自宅で金玉を蹴られて以来、その痛みを欲するようになるのです。


「これだ」って思っちゃったんだから仕方ない😌

もう一度、あの痛みを味わいたくて(そしてそれ以上の痛み)、さまざまな相手とシチュエーションでもう一度あの時の痛みを得ようと画策する様子が延々と描写され、それが作品の大半を占めています。笑

体育会系の女子をナンパしてわざと挑発して怒らせ暴力を振るわせるように仕向けたり、わざわざたむろしている不良集団に絡みに行っては暴行を受けるが、亜佐美に受けた「生命力を根底から奪われるような」強烈な痛みの感覚には遠く及ばなく、傷だらけになりながらも悶々とする青木。

相手に振るわれる暴力を味わい尽くし、自身の身体に発生する痛みを冷静に分析しつつ、その痛みの本質について探ろうとするのは、まさしく痛みを求める正統のマゾヒストの姿です。

そして、マゾヒストは限界というものを超えたがります。

『まだ経験していない痛みの先や達成感があるのならば』とさらに強い未知なる痛みを求めて彼は彷徨い、その果てに片方の睾丸を喪うことになるのです。

さらなる痛みを求めて

『パワー系181』は強い男性であろうとしてそれが身体的特徴によって達成できないコンプレックスが描かれますが、『潰玉』では、より暴力に純化して、暴力を観察することによって物語が推進していきます。

とても面白く、人間存在のおかしみもあって興味深いのですが、それ以降単行本が刊行されていないところを見ると、あまり売り上げが芳しくなかったのかもしれません。

(欠点は何も見当たらないけれども理由を探すとしたら、一般的な感覚を持っている人たちに登場人物の感覚を共感してもらうだけのキャッチ―さが欠けていたからなのかな…)

『潰玉』に同時収録された、「歓び組合」という短編もさらにSM性癖についての考察が深く純化されていて面白かったです。ハードなマゾヒズムを抱えた方なら共鳴するものがあるんじゃないかなあ、と思って紹介してみました。


他にも性愛にまつわる本の書評を書いています。こちらから📖


最後まで読んでくださってありがとうございます🥺