【書評】BL/GLの本懐『割り切った関係ですから。』
あなたを、あなたとして愛したい。
百合とかBLの面白いところの本質は「男と女」というラベルを取っ払うことで、愛の本質に到達することができるところにあると思っている。
男女の関係には「男はこうあるべき」とか「女はかくあるべき」とかそういった“決まりごと”が多すぎて、その“決まりごと”を指でなぞっているだけにしか見えない時が、稀によくあったりする。
でも、百合とかBLは違う。
“決まりごと”を全て取り払った、ゼロから関係が始まる。
そうすることによって、男とか女とかじゃなくて、その人そのものを愛する、愛の本質に到達した物語を描写できるんじゃないかな、って。
それって、つまり、「あなたを、あなたとして愛する」ことなんじゃないかな。
窮屈な学校生活の気を紛らわせるためにマッチングアプリに登録した高校生の鏑木綾(AYA)。マッチしたのは別の高校で教師をする黒崎静(KURO)。
クラス内のカースト最下位の綾が、歳上の静に煽られて沼に堕ちていくのだけれど……静(KURO)は歳を重ねた分だけ経験もあるから、性欲の煽り方だって媚の売り方も心得てて、一丁前に大人のフリができる。経験が少なくて根暗な綾を沼に沈めるなんて赤子の手をひねるようなもの。
でも、そうやって大人の女のフリをして割り切ったつもりでいても、心の襞の奥には、右も左も覚束なかった頃の傷だらけで弱虫だった少女が今も生きていて、裸になって肌を重ね合わせるとその頃の自分がむき出しになってしまう。静が修羅場にあっても落ち着いて大人びて見えるのは、自分がかつてその身で傷つきながら経験してきたことだからってだけで全然大人になってなってない。
静という人物には、「オトナ」としての女性の側面と、成長してもなお殺しきれなかった「少女性」みたいなのがすごく鮮明に描けていて、愛しい。
「オトナ」ができる大人になった女性がダメになって少女になっちゃうのって、なんであんなに愛しくなっちゃうんでしょうね。
ああ、ほんとうに愛しい。愛おしい。
(けっこう序盤で明かされるのでネタバレしても問題ないかと思いますが、静は高校時代に好きだった女の子を社会人になった今も想い続けていることが明かされます。ちなみに余談も余談ですが、高校2年生の時に好きだった人を大学3年生になるまで好きだったので、静の気持ちはすごくよく分かる。めったに人を好きにならないけれど、一度好きになってしまうと長い……厄介だ🤦♀️)
綾サイドにしても、身勝手な振る舞いでいつも傷つけられるばかりなのに…もっとマトモに大事に愛してくれる人が近くにいるというのに…ワガママな歳上の女性にずぶずぶに惹かれていってしまう綾。もっともっと彼女のことが知りたくなってしまって、周囲に「やめときなよ」って言われても、そんな忠告なんて聞いてられないくらいのめりこんでいってしまう綾も可愛い。
もちろん『割り切った関係ですから。』というタイトルは、反語になっていて、初っ端からまったく割り切れない関係が展開してく。
そういった書名とか、表紙とかあらすじとかプロローグから想像できる範疇を越えて物語が飛躍して展開していきますし、なによりラストの着地点も💮
最後まで読んでくださってありがとうございます🥺