【SM小説】名前
1
「えー!今日のデートは無し!?」
愛咲はバツが悪そうに頭を掻いている。
「ええ、そうなの。ごめんね。急な打ち合わせが入っちゃって、部下だけに任せておける案件じゃないから……」
愛咲(あいさ)が手を合わせて謝っている。今日は久しぶりに愛咲とデートに出かける予定だったのだ。コストコに行って買い物をして、それから映画を見るという、何の変哲もないデートかもしれないけれども、愛咲と出掛けられるのを指折り数えてずっと楽しみにしていたのに。
この日のために今日まで頑張って生きてきたというのに……
寂しさと悲しさがこみ上げてきて、鼻の奥がツーンとしてくる。
「そんなにあからさまに落ち込んだ顔をしないでよ。仕事だけどテレワークで家にはいるから、夕飯だけでもどこかに食べに行こうよ」
あまりのことに呆然と立ち尽くしている僕を横目に、さっさと気持ちを切り替えた愛咲はリビングの食事用テーブルにノートパソコンと仕事の資料を並べ始めている。
「そ、そうだね……うん…」
駄々をこねたってどうにもならないことではあるし、愛咲だってきっと内心では残念に思っているであろうことは頭では理解しているつもりなのに、あれだけ待ち遠しかった楽しみを直前で何の前触れもなく奪われてしまった悲しみの傷は深かった。すっかりしょげてしまっている僕を見かねたのか、愛咲が、
「しょうがないなあ、まったく。ちょっと待ってて」
と言って自室に向かっていった。しばらくして部屋から戻ってくると、彼女は一冊のノートを手にしていた。
「これは、なに?」
「見ての通り。大学ノートだよ、ほら」
差し出されたノートをぱらぱらとめくって確かめてみると、学生時代に散々使ってきたB5版の大学ノートだった。表紙には普通横罫(7mm×30行)と書かれている。
「ほらほら。いつまでもそこに突っ立ってないで座って」
そう言って愛咲はテーブルを指差した。僕は言われた通りに、食事用テーブルの椅子に着席する。ちょうど愛咲とは斜向いの位置になる。
彼女はペン立てからシャープペンシルを抜き取って僕によこしてきた。
「これが今日の調教だから」
と意地の悪そうなご主人さまの目つきをしてそう言った。
「え?」
2
彼女から調教の内容を聞いてなお、いまいちピンとこない。
「その…つまり……『愛咲様』のお名前をノート一冊埋まるまでずっと書き続ける……?」
「そういうこと。何か文句あるわけ?顔に『めんどくさいなあ』って書いてあるように私には見えるんだけど?まさか奴隷の分際で、ご主人さまの調教にケチをつける気かしら?」
そう言って愛咲が僕を睨みつけた。彼女が一瞬にしてご主人さまへと変貌する。
「い、いえ……そんなことは……でも、ちょっと、その、意図が分かりかねるというか……」
「は?いちいち説明してあげなきゃいけない?奴隷なんだから自分で考えなよ。ほら、私はお前に何と命令したかしら?言ってみ?」
「ノート一冊が埋まるまで、愛咲様のお名前を書く……です」
「うむ。よろしい。分かった?じゃあごちゃごちゃ言わずに取り掛かる!」
愛咲さまはそう言うと、ノートパソコンに目を落とし、キーボードを叩き始め自らに降り掛かってきた仕事を片付け始めた。
僕は観念してノートを開き、1ページめを開く。まっさらなノートを見て学生時代の記憶が蘇ってくる。まっさらなノートの書き始めは、いつもほんの少しだけ緊張したものだった。そういえばもう長いことペンで字を書くという行為をしていない。学校を卒業してからは申請書に生年月日と名前と住所を書くくらいで、ほとんどの文字をキーボード入力に頼りっきりだった。たまにペンを握ると字を書く手がおぼつかない。日頃、どれだけ横着しているのかを痛感させられる。
左端にペン先を立てて『愛咲様』の、一文字目の愛の字を書いて驚いた。
7mm罫というのは自分が思っていたよりもはるかに行間が狭い。ということは、必然的に文字を小さく書かなければならない。こんなに小さくては、いくら文字を書いても埋めることはできないではないか……!
これは思っていたよりも大変な作業になるぞ……と怯える。でも、いつまでも怯えていたってページが埋まるわけではない。とりあえず一行を書いてみることにした。
罫線のガイドに沿って書いてみるとぴったり24文字書くことができた。つまり、一行に8回『愛咲様』と書いたことになる。ほんのたったの一行書いただけなのに手が痛くなってきた。それに普段ペンで文字を書きつけていないせいか、どうも思っていたより上手く書けない。
「ちょっとちょっと。そんな汚い字でご主人さまの字を書くの?」
愛咲さまがノートパソコンの影からちらりとノートを見てそう言った。
「申し訳ございません……」
頑張って書かなくては……そう思って気合いを入れてさらに一気に10行ほど書き進める。
「手ぇ、痛った……」
細かい字を連続で書き続けて、変に力んでしまって、さらに手が痛みだした。それに血流が滞っている気がする。血の巡りが良くなるようにブンブンと手を振った。既にたくさん文字を書いたという気分になっていたが、まだ1ページめのほんの三分の一書き終えただけだ。
「さぼっちゃダメだからね。サボったらサボった分だけいくらでも追加していったっていいんだから」
「は、はい……」
愛咲さまに脅され、再びノートに向き合う。それから一心不乱にノートを愛咲さまの文字で埋めていく。愛咲愛咲様愛咲様様愛咲様愛咲様愛咲様愛咲様愛咲様……
3
それにしたって愛咲さまは何を思ってこんな調教を僕に課したのだろう。「ノートに名前を書き続ける調教」なんて聞いたことがない。調教と言えば、それこそ鞭で身体を打ち据えたり、蝋燭を身体に垂らしたり、恥ずかしいことを強要したり、そういったことがいわゆる調教だ。いったいこれが何になるというのだろう。
「はあ…疲れた……」
僕が困惑しながら名前を書き続けている間、愛咲さまは流れるような営業トークでプロジェクトの打ち合わせをクライアントとおこなっていた。どんなに答えにくそうな質問であっても、淀みなく自信満々に返答し、会議の場の空気を支配している彼女をかっこいいな、と尊敬の耳を傾けながらそのお声を聞いていた。
愛咲さまが仕事をしている姿はこんなにもかっこいいのだ。それに部下への面倒見も良く、自分のタスクを差し置いてでも、親身になって相談に乗っているようだ。それに上司にも言うべきときに黙っているようなタイプではなく、必要であればしっかりと反論し、決して媚びへつらうような姑息な真似はしなかった。こんなにもかっこよく仕事をしているのだと思うと、僕は彼女をパートナーに選んで良かったと、心の底から思うし、彼女に選ばれた自分は世界で一番の幸せ者だと痛感する。間違いばかりを選んできた人生だけれども、「愛咲さまと一緒に生きていく」という決心をしたということだけは、間違いではなかった。
例の流行り病では散々苦労させられたが、彼女のそれまで知らなかった魅力的な一面を見られたのは、数少ない幸福のうちの一つだった。
やっと1ページを埋められたときに時計をちらりと確認すると、すでに30分以上が経過していた。
「あーっ疲れた……」
両手をぎゅっと握って天高く掲げて、伸びをする。
それを愛咲さまは見逃すはずもない。愛咲さまは流暢に営業トークを展開しながら、じとーっと睨みつける。僕は出かかったあくびを慌てて飲み込んで、再びノートに目線を落とす。
それにしても手が痛すぎる。1ページを埋めるだけでも、本当に多大な労力が掛かる。あといったいどれだけ書けばこのノートを埋められるのか頭の中で計算してみることにした。『愛咲様』という文字は1行で8回書くことができた。ということは、1行で24文字書くことになり、それが30行あるので、単純に計算してみると、1ページ毎に720文字書くことになる。
このノートは20枚綴りなので、全体で40ページある。1ページあたりにかかった時間は30分を超えているので……あらかたの終了予想時間を計算する……そんなことしなければ良かったと後悔した。とても今日中に終えることなんてできそうにないことが明らかになった。
「休んでたらいつまで経っても終わらないよ。あとさ、ご主人さまの名前をまさか流れ作業でぼーっとしながら書いてたりしないよね?一文字ずつ、私への敬意と感謝の気持ちを込めて書くんだよ?」
オンライン会議用にノートパソコンに繋いだマイクをミュートにして、愛咲さまにそう声を掛けられる。僕はこくこくと頷くが、すでに若干力が抜け、心が折れかけているのを自覚した。気を取り直して愛咲さまの言葉を反芻する。
敬意と感謝の気持ち……
そうか、これは調教であり、プレイなのだからいつもの通りに興奮して書けばいいのだ。一文字ずつじっくりと「愛咲様」の文字を見てみる。とても良い名前だと思ったし、彼女にぴったりの名前だと思う。愛咲さまをお慕いする気持ちを思いながらノートに向かった。
愛咲さまに敬意と感謝の念を常々抱いている。でも、だからと言ってこの行為に興奮できるきっかけすら訪れる気配がない。それどころか朝の9時からずっと2時間近くノートに向き合っているが、「なんでこんなことをしているんだろう」という気持ちにしかならない。本当だったら今頃、愛咲さまと肩を並べて楽しくコストコデートを楽しんでいたはずだ。それから、どの映画を見ようかと話し合っている最中だっただろう。それなのに、今、漢字の書き取りをさせられているという気分にしかならない。
いっぱい書いたと思ってもたったの5行、10行しか書き進んでいなかった。少し気を抜くと、今日あり得たかもしれなかったコストコデートに思いを馳せてしまう。ロティサリーチキンが食べたかったとか、ティラミスドルチェを勝手ドカ食いしたかったとか、ずっとそんなことばかりを考えてしまう。
昼前の11時過ぎともなると、集中力が途切れてきて、どうしても注意が散漫になってくる。この調教は想像していたより遥かに辛い。書き終えなければ終わらないし、三文字の同じ文字をずっと書き続けているだけなのに、こんなにも辛い。時間の進みは遅いし、ノートの進捗も遅かった。
愛咲さまはお昼を食べると、さらにミーティングを重ね、ひたすら仕事に打ち込んでいて、僕のことなど気にする余裕は無さそうで全く構ってくれない。てっきり、テーブルの下で股間を足先で弄ってくれるものだと思っていた。ノートを覗き込むフリをして乳首を抓ってくれるものだと思っていた。「ちゃんと集中しなきゃダメじゃない」とかなんとか言いながら。「ちょっと疲れたから」と言って、舐め奉仕を仰せつかるのだとばかり思っていたし、それを期待していた。
しかし、今日はプレイらしいプレイはまったくもって皆無だった。
一画一画、とめ・はね・はらいを意識しながら『愛咲様』と書けば興奮するのかと思っていたが、もちろん、それで興奮なんてできるわけがない。
愛咲さまは熱心に仕事に向き合い、僕のことはほとんど構ってもらえてない。たまに、「こら、サボるんじゃない」、「寝たら承知しないからね」、「手が止まってるよ」などの叱責の言葉が飛ぶが、それにしたって、それだけでこの長時間の責めに耐えられるに値するほどの興奮が得られるわけもなかった。
この調教に取り組んでから6時間が経とうとしていた時だ。自分がこの調教にのめり込み始めていることを自覚した。いわゆるランナーズハイに近い状態なのかもしれない。『愛咲様』という文字を書くこと、そのものがとても楽しいという感覚だ。昼の赤みがかった陽光に照らされながら一心不乱に、ノートに字を刻み続ける。
ただ、その状態も長く続きはしなかった。午後4時を回った頃、普段書き付けていない手が悲鳴を上げ始めた。7時間にわたってシャープペンシルを支え続けた中指が赤黒く変色していた。それにペンを握り込んでいた親指と人差し指の間の筋に耐え難い痛みが生じ始める。
それでもしくしくと痛む手をかばいながら、一文字ずつご主人さまのお名前をノートに書き続ける。『愛』の字も『咲』の字も『様』という敬称ももはや意味を持った字として認識することはできなくなっていた。とっくのとうにゲシュタルト崩壊してしまっている。自分はいったい、何のためにこんなことをしているんだろうと思う。あ、調教か……
でもなんのために……
愛咲さまへの敬意と感謝の気持ちは、1日たりとも忘れたことはない。出会ってもう何年も経つが、彼女に対する愛は増えこそすれど、1mgだって減ることはなかった。日に日に彼女から放たれる魅力は増しているし、ふとした瞬間に彼女のことが思い浮かぶ回数だって日に何度もある。愛咲さまは僕にとってかけがえのない、いなくてはならない存在だ。敬意も感謝もいくらしても足りないくらいなのに。
ただ、敬意と感謝と、目の前に課された調教はまったく別だった。窒息しそうなほどの激しいイラマチオも、皮膚が裂けるほど苛烈なスパンキングも何時間だって何回だって耐えられる。そういう激しいプレイをしている最中は脳内物質みたいなものが放出されるし、何より訳が分からなくなるほどに興奮しているからどんなに痛く苦しいプレイだって快楽になるのだ。
ただ、このノートに名前を書きつけるという行為については全くこれっぽっちも興奮などできていない。ただひたすら興奮することなく、身体的な疲労と精神的な疲労だけが溜まり続けていく。
愛咲さまはいったい何のために僕にこんな調教を課したのだろう……
未だもって僕は彼女の真意が解りかねていた。
それから2時間が経った午後6時になったとき、愛咲さまはノートパソコンをぱたりと閉じた。そして僕に話しかけてきた。
「どんぐらい進んだ?」
4
愛咲さまがノートを取り上げてぱらぱらとページをめくった。
「へえ、15ページか……全然終わってないじゃない」
凝り固まってしまった肩が重くのし掛かる。目はとうに霞んでいて、手も思うように動かなくなっていた。
「あ、あのっ、も、もう、お許しを……」
「ふーん。でもなあ、全然終わってないからなあ」
「どうか、また後日、絶対に完成させるので、今日のところはどうかお許しを……」
そう言って僕は床に土下座をしてお許しを懇願した。必死に懇願するも、
「これは許すわけにはいかないね」
と低い声で無碍に断られた。
「当たり前じゃない。全然進んでないもの」
そう言ってくるりと翻って自室に帰っていった。
僕はがっくりと項垂れて立ち上がって、椅子に座った。そして、もう一度ペンを握りしめて「愛咲様」の文字を書き始めるためにノートに向き合う。
「痛っててっ……!」
とうとう中指の第一関節の皮膚が擦りむけてピンク色の新皮相が剥き出しになってじんわりと血が滲んだ。丸一日にわたってペンを支え続けていたのだから当然といえば当然だろう。学生の頃ならいざしらず、大人になって一日ペンを握っていたことなんてなく、受験勉強ぶりに酷使された中指は悲鳴を上げていた。
悲鳴を上げているのは中指だけではない。右手も少し前から思うように力が入らなくなっていて、右腕全体が重だるい感じがする。
でも、それでも、僕は書き続けた。こんなことに何の意味があるのだろうかという思いが頭をよぎる。血を滲ませてまですることなのだろうか。こんな行為にそんな価値は無いんじゃないか……
僕はその瞬間、不埒な考えがよぎった事実に恐れおののいた。なんてことを頭に思い浮かべてしまったんだ。愛咲さまのご命令の価値を一瞬でも疑ってしまうだなんて……僕は、僕は……奴隷失格だ。
そんな自分を恥じ、さらに1時間ほど「愛咲様」のお名前をノートに刻み続ける。しかし、ペンだこが破けてしまったところをさらに酷使していることで血は一向に止まる気配がない。血液と手汗でぬめるペンを持ちながら必死の思いで「愛咲様」のお名前を書き続ける。愛咲さまの言いつけどおりこのノート一冊が埋まるまで書き続けねば。
痛い……じくじく痛むのに……楽しくなってない……いつも尻の皮膚が破けるまで叩いていただくときは早々に気持ちよくなるというのに……身を切り刻む一本鞭はあんなに興奮するというのに……
僕は己の妄想を駆使して、指先をペニスだと思い込むことにしてみる。そして、このペンは鞭なんだって。そうしたらきっと気持ちよくなるはずだ。苦痛を快楽に変えさえすればどんな痛苦にだって耐えられる。この!穢れた指を調教してくださって有難うございます!ああ、痛い、鞭がペニス(指)に食い込み、皮膚を割いていきます!
あ……えっと……
ああ、ダメだ。……嬉し……くない……っ!
いや、なんか、だって、違うな……なんで…だ…こんなに辛いのに……こんなに痛いのに……こんなに苦しいのに……気持ちよくなれないだなんて。
ということは僕は何かを間違っているんだ……
考えろ、考えるんだ。どうしてこんな調教を僕に課したのだろうか。絶対に意味があるはずだ。愛咲さまは、ただ時間潰しのためにこんな名前を書くなんて調教を課すはずがない。愛咲さまは何を思ってこの調教を言い渡したのだろう。
そこで僕ははたと気が付く。普段の調教だったらすぐに気持ち良くなる。ご主人さまの足元に土下座することも、ご主人さまに縋り付いて懇願することも、それも全ては自分が気持ちよくなるために過ぎないんだ。「ご主人さま、お慕いしています」なんて言葉すらも、ただ自分が気持ちよくなりたいがための上滑りした言葉にすぎない。いつもの調教は全部ご褒美なんだ。涙がこぼれるような激痛や、失神するような苦痛も全部僕のためでしかない。それなのにまるで自分が尽くしているかのように錯覚していた。愛咲さまはそれを見抜いていたのだ。だから、今日はご褒美には決してなりようのない、本物の調教を僕に課したのだ。
僕は愛咲さまに好かれたい。僕が愛咲さまを好いているように、愛咲さまにも僕を好いてほしいって思う。そのためには、僕はもっと必死になってノートに名前を書かなければいけなかったんだ。僕はとんだ思い違いをしていたことに気が付き、自分の不甲斐なさに恥じ入りながら、ノートに名前を刻み続けた。ご主人さまに、愛咲さまに、心からの敬意と感謝をほんの少しでも伝えられるならこの右手はどうなってもいい……愛咲愛咲様愛咲様様愛咲様愛咲様愛咲様愛咲様愛咲様……
5
部屋が突然明るくなったって顔を上げる。日が落ちて暗くなってしまったことに気が付かなかった。その光の中に愛咲さまが立っていた。
「お疲れさま」
そう言って血と汗で汚れた僕の手をぎゅっと握る。愛咲さまの綺麗な指先に僕の血がついてしまう。そんなことも気にもせずに彼女の指は、擦り剥いて血液に汚れた僕の指をそっと撫であげる。彼女の指が傷口に触れたその瞬間、指先から高圧の電流が流されたような鋭い痛みとともに強度の快楽が全身を走った。
「はっ、はうぅっ……くっ……あいさ、愛、咲さまっ!」
自然と喘ぎ声が漏れる。
「ふふ、気持ち良さそうじゃん」
「はっ……ああっ……くぅぅぅっ……」
「ふふ、はやく消毒しないとね」
そう言って、僕の隣の椅子に座って消毒液を僕の指先に垂らした。脱脂綿で血を拭い取った後に、バンドエイドを貼ってくれる。
「おつかれさま、今日は1日よく頑張ったね」
愛咲さまはそう言って僕の頭をくしゃくしゃとまるで動物にするように乱暴に撫で回した。
「そ、そんな、ああ、畏れ多いですっ、愛咲さま、はうっ」
なんて優しいご主人さまなのだろうか。僕の血を汚いとも思わず、ああ、こんな穢れきった僕の指を手当てしてくれるなんて。愛咲さま!お慕いしておりますっ…!ああああ、好き。好きだ。大好きぃ。大好き、です…っ!
こんな、もう、一生お慕いいたします。ずっと、何処までも貴方についていきます。愛咲さまをお慕いする気持ちと、溢れ出る激情と、一日の疲労が僕に重くのしかかり、力なくへなへなとへたり込んだ。
「ふふ、良い子にはご褒美をあげないとね」
そう言う彼女の手には油性のサインペンが握られている。
「その鬱陶しい前髪を上げて?」
彼女に言われた通りに、目にかかりそうなほどの長い前髪をかきあげると、サインペンのキャップを取って、僕のおでこに何やら文字を書いていった。全身が凝り固まっていて避ける気力もなかった。もちろん、端から避ける気もない。
「なんて書いたんですか?」
「ほら、見てみ?」
そう言って、スマホのインカメで僕のおでこを写して見せてくれた。そこには、黒々として猛々しい字で「愛咲」と書かれていた。
「ふふ、お前は私のものだからね。名前をきちんと書いておかないと。じゃ、夕飯でも食べに行こうか」
「えっ、このまま……」
「嫌ならこのまま名前を書き続けててもいいけど?もしかして、そんなにこのプレイが気に入った?」
「い、いや、え、い、行きます」
「何食べよっかね?何か食べたいところでもある?」
「あの、多分、見えないとは思うんですが、なるべく目立たない照明が暗い場所がいいかな……」
「じゃあそうだな、回転寿司でも行こうか?あの店内なら明るいからな。必死におでこを隠そうとするお前を見て食べる寿司はさぞかし美味しいだろうな」
そう言って愛咲さまは意地悪そうに笑った。ああ、彼女は僕の本当に大切なご主人さまだ。
僕はこんな素敵なご主人さまの物になれて心から幸せだ。
<了>
最後まで読んでくださってありがとうございます🥺