生徒手帳のシーウィー 19
ホテルの乾燥した温風によって乾かされてしまったキルフェボンのフルーツタルトを口に放り込む。ぱさぱさになったフルーツタルトを口に含んで、あれほど繊細に感じたタルトも乾いてしまえばコンビニのスイーツとたいして変わらないな、と思っていると
「狛江さん、シャワーを浴びたんだから、服を着てください」
と一丁前にたけしくんに説教をされてしまった。
「んふふ、さっきまでもっとすごいことをしていたのに」
からかいの言葉を投げかけるとたけしくんは、顔を真っ赤にして俯く。手に残ったフルーツタルトを自分の口の中に押し込んで、裸のまま、たけしくんの方へ歩いていき、背中に回って抱きしめる。
理性的な照明の下で見るたけしくんの背中は、狭くて、薄くて、綺麗で、彼氏や課長のような同年代の男性とは決定的に違うことを発見する。ボディソープの人工的な香料の狭間から、彼の体臭を嗅ぎ分けるために顔を彼のうなじにくっつけて、ぎゅっと抱きしめる。
たけしくんは、わたしにされるがままになっている。
「強く」あれ。「弱き」は翻って絶対的な正しさを手に入れると思われがちだが、彼らは「弱き」者であるがゆえに、他者を傷つける。自分の振り回している武器の威力すら分からないが故に、無意識が故に徹底的だ。だから、「弱き」者は、知らぬ間に不実で不義理を行う。
たけしくんには、そうならないでほしいと願う。いや、願いではない。これはわたし自身の要求だ。わたしは、彼の背中に願いの釘を打ち付けるように額をこすり合わせる。臆病で、何も考えていないように見える君よ、強くあれ。
その願いに呼応するように、たけしくんが振り返って、
「どうしたの? 狛江さん。泣いているの?」
と聞くので、わたしは無言で彼の額に指で弾く。そして、わたしは彼から離れて、身支度を始める。
わたしもまた、もう、彼のような若さは既に喪われたことに気がつく。それは、もはや、取り戻しようがない。永遠に私の下から去ってしまったのだ。彼のような若さ、苦悩、狭量、は似合わなくなってしまったのだった。そして、わたしもまた誰かに何かを与える側になったのだ。わたしは、たけしくんに何かをしてあげられただろうか。
洗面台で化粧を直しているとたけしくんがやってきて、鏡越しにわたしを見つめて、何かしら言おうとしているように見えた。しかし、彼はわたしにどのような言葉を投げかけたらいいのか分からないでいるようだった。
わたしがせっせと顔のパーツのあちこちを補修している間、何かを言おうと必死に言葉を探しているようだったが、とうとう何も見つけることができずに、わたしは化粧直しを終えてしまった。鏡越しにじっと見つめる。彼もまたわたしをじっと鏡越しにじっと見つめる。
数秒見つめ合ったあと、たけしくんは、口の右端をくいっとあげ、微笑みを寄越した。わたしは振り返り、彼の横を通って洗面所を抜け、ソファに置いておいたバッグを取り、ドアへと向かう。
彼は、その微笑みを維持したまま、わたしを見送ろうと後ろについてくる。わたしは、その数秒の間に思案し、ノブに手をかけたあとに、言わなければならないと思って、ノブから手を離し、振り返った。
わたしは、たけしくんの、本町たけしの眼を見て、
「どうか、不安に囚われないで。あなたは欠けてなんかいないわ。必要なものはすべて揃っているの。だから、どうか元気で。生き抜くことだけを考えてね」
彼は、わたしを引き寄せて、キスをした。とても優しく、それでいて荒々しく、十分なキスだった。
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