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毒親育ちの自分が聞いたとき、心が苦しくなった。

こんにちは、今日から3日連続で通院です。
今日のは無事に終わり、明日は呼吸器、明後日はついに骨折の精密検査の結果が出ます。
すでに寝れる自信がなくて、今日も頓服かなーって感じです\(^o^)/

さて、タイトルの話について。
充電中のカフェでこのニュースを見ました。

(スクショしたら、画像荒くなりました)
このニュースを見たとき、彼女には救われてほしいと、感じました。
自分も似たようなところがありました。
小学校に上がる前には、発達障害(知的障害?)の疑いがあるのにも関わらず、適切な対応ができたであろうところに入れなかった親(と思いたくない人たち)。
そして、ギリギリ(で高校に進学し、部活はさせてもらえましたが、怪我をしてもすぐに病院に行かせてもらえず。
見かねた知り合いが、自費で払ってくれたこともありました。
熱が出ても、「何で、それくらいで早退させるんだ!」と教員に怒鳴り散らすこともありました…。
(恩師へ、本当にすみませんでした。)
そして、高校卒業後の進路については、かなりの制限がありました。
・自宅から通学できるところ。
・専門学校以上。
これが東京などなら、そんなに縛りとしては厳しくないと思うと思います。
しかし、当時住んでいた富山では、かなり強い縛りと感じました。
クラスの半分以上が県外進学で進路希望を決める中、当時志望していた仕事を学べる短大を近場で必死で探し、見つけられましたが。
一般入試は、それなりの学力が必要でした。
そのため、致命的に数学(理科は生物ができたので…。)ができない自分には、怪我などで部活での実績を挙げられないときに、評定を必死で上げることしかできませんでした。
そして、高熱の中で受験した推薦入試。
小論文と面接後に脱水症状を起こし、病院に搬送。
急性胃炎と診断され、今も“逆流性食道炎”として、定期的な通院が必要です。
迎えに来た親(と思いたくない)に怒鳴られ、ものを投げられる中、祈る気持ちで合否結果を待った一週間。
無事に第一志望に受かったときは、教室で声を上げて泣きました。
そして、短大進学後も、「進路は公務員一本。滑り止めは認めない!」と、いう親(と思いたくない人)。
しかし、公務員試験講座は、受講を認めてくれず、授業と自学での公務員講座は両立ができず、体調を悪化。
現役時は不合格で、結果、就職浪人。
自力で勉強を重ねて、1年遅れで、志望の制服系公務員になりました。

そうして、今に至ります。
彼らと一緒にいたら、精神が死ぬ。
そう思って、東京に飛び出してきました。
今思えば、記事に出てくる彼女の母と、親(と思いたくない人たち)がダブる箇所が多いなと。
自分も「実質中卒(実際は“専修学校卒なので、一応高卒扱い”)」と変に見栄を張る父(のようなもの)。
大学を中退して、何故か日本に流れ着いた外国籍の母(のようなもの)。
そして、その縛りが一切なく、好きに進学先を決めた妹(のようなもの)。
彼女のように手をかけてやろうか。と、考えたときもあります。
もう一生、会いたくない。
だから、自分は結婚もしないし、それどころか一生ボッチでいるつもりです。
この家系を自分で最後にする。
そう、決めています。

長ったらしい文章になりましたが、最後に。
正直、毒親はもう見たくありません。
両親(と思いたくない)は一生、毒親のままでしょう。
願わくば、妹(のようなもの)には、記事のような“彼女の母”になってほしくありません。
そして、自分のことは忘れてください。
自分は、自分で幸せを探します。


では、また書きます。