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Livable Proximity:近接の経済に向けて


近接の経済に向けて

 「現代の産業社会が、これに先立つもっと単純で質素であった社会より、人間の幸福の増進により大きな貢献をするだろうと考える理由はどこにもない。他方また、昔もっとしあわせであったとかもっと人間的であったとかよくいわれるようなそういったノスタルジアも、あまり経験的な根拠があるとはいえないのである」(Simon, 1996, p193)というSimonの語りは、Covid-19の最中、本書を書いたManziniと重なる。ここでは、担当した「3章 ケアする都市」を核とし、Simonの人工物のデザインを伴奏者として、近接の経済に向け理解を深めるために、現在の実践的知見と残された研究課題を見ていこう。

規模の経済によるサービス社会の限界

 消え去ったアフリカの村で子どもが遊ぶ情景は、もとに戻すことはできないし、それができない現在が不幸ということでもない。それよりも、どの様にこうした事態になったのか、Manziniは事例を頼りに本質的な根本原理を捉える。Manzitniがこの書籍を書くきっかけとなったCovid-19は、サービス社会の本質的な問題をあぶり出した。それは、今の市場経済の下では、ケアの崩壊時にただ家に留まることしかできなかった、ということだ。さらに、この問題の要因を、戦後に生まれた「特定の個人の問題に対する、特定の個人の解決策」としてのサービスの限界と見て取る。それに追い打ちをかけるのが、人の高齢化であり、少子化であり、医療的・社会的なケアの含有する意味の拡大である。つまり、ケアを量的な観点から捉えると、必要となるすべてのサービスをすべての人に提供することが不可能であるという現実だ。この資源の限界と、今まで私たちの社会を豊かにしていたコモンズの減少が、伝統的なケアの崩壊要因である、と指摘する。
 この状況の解読の鍵となるのが、原書のタイトルにもある(本書では近接として訳した)Proximityである。近接には、サービスとそれが行われる場所の物理的距離である「機能的近接」と、アクターとの相互作用である「関係的近接」がある。ケアの崩壊は、市場経済、特に効率化を優先し規模の経済を追求するあまり、機能優先の大規模センターにまとめられたため、私たちの身近にあったケアサービスによる豊かな関係性が失われたからだ、と、Manziniは見抜く。痛快なのは、サービスデザインのリーダー的研究者である彼が、現在のサービスシステムの行き詰まりを説くことだ。つまり、規模の経済を追求する現在のサービス経済が、あらゆるサービスを市場化しケアの提供者と需要者に分断したことで、都市の砂漠化のドライバーとなった、というのだ。その解決に向けて、サービス経済の根底にあるサービスを再定義することから始める。

規模の経済によるサービス社会の限界

サービス社会の再定義

 サービスの再定義のために、有用な示唆を与えてくれるのが、ソーシャルイノベーションの事例である。Manziniは過去を振り返り、製造業の台頭の次に現れたサービス経済は、主流である極度に個別化・効率化を求める工業化された前近代的サービスと、新しい兆しとして現れつつある準工業化されたサービスに大別される、という。それらと共に現れたのが、「家で/家からすべて」のシナリオである。このManziniがディストピア的だというシナリオは、ともすれば、ケアの関係性の深遠さを軽視し、支援を遠隔放置の状態に変える。これがCovid-19で私たちが身をもって体験したことだ。ただし、ケアが必要とする触覚的な側面をロボットの様な人工物で補ったり、既存の関係性の上に遠隔支援を置くことによって、ケアなしの遠隔支援サービスを補完できる可能性もある。
 一方、ケアする都市の再生に示唆を与えてくれるモデルは、もう一つのコラボレーションサービスという。コラボレーションサービスの基礎は、サービスの提供者・需要者、さらには専門家と非専門家という区別の排除にある。本書では、ケアを、注意を向けるケア/1、責任を負うケア/2、治療としてのケア/3に分ける。ケア/1とケア/2は、個に向けられたケア/3を補う役割を負うが、市場化されたサービス社会で崩壊しつつある。そのケア/1とケア/2の仕組みを再生するためには、多くの非専門家でありかつ非職業人を巻き込む必要がある。その解決策の一つが事例『サークル(Circle)』であり、ケアするコミュニティとして呈示されている。本書ではこのような複数の欧州のソーシャルイノベーションの事例が取り上げられている。サークルは、コミュニティの構築のプロセス、一人ひとりの能力を引き出し、問題が起きたときに必要なサポートを保証し、さまざまな能力・スキルを持つアクターをネットワークに取り込むことができる、きめ細かいコラボレーションサービスの具現化である。コラボレーションサービスを成り立たせているのは、物理的・関係的な近接のケアのコミュニティと、デジタルプラットフォームのハイブリッドである。このアーキテクチャ上で、人々は信頼や共感、対話能力といった、あらゆる関わりあいの横糸と縦糸となるコモンズを織り出すことになる。
 Manziniは、「人々が受動的な顧客のように感じたり振る舞ったりさせられるサービスがある社会ではなく、人々が能動的になり、協働でき、コモンズを生み出したり、互いのため・地球のためのケアを生み出したりする能力を支える、そんなサービスがある」サービス社会の変容に期待するのだ。この再定義されたサービス社会は、地域全体にわたって協働的かつ分散的なサービスの織物だ。また、人々はそれらのサービスの起点となり、利用可能な社会資源を活性化し、活用する。サービスは、ケアのコミュニティとケアする近接を支えるのだ。

サービスの出会いのシステム化 

 サービス経済の効率化によって顧客として受け身で無力化された需要者と、工業化されたサービスシステムに主導権を取られて同様に無力化された提供者のリデザインは、どのように行われるのか?ヒントは、両者の接点である「サービスの出会い(service encounters)」と、再定義されたサービス社会のシステム化である「コラボレーションサービス」にある。
 サービスの出会いとは、「与えられた一連の、物理的・社会的資源を活用し、参加者全員が価値を認める結果、つまり、問題解決や新しい機会のアクセスにつながる結果に至る、人と人、人と物の間の相互作用」である。サービスの出会いを有効にデザインすることで、サービスの存在するところは、場所のコミュニティとなる。そして、メンバーは自分の興味のある活動を組織化する能力と自律性を持ち、必要に応じて助け合い、必要な職業的サポートを活性化させる。サービスの出会いを有効化するためには、工業化されたサービスシステムで問題となった、アクター間の強い非対称性に注意を払う必要がある。Manziniは、そのヒントを、センのケイパビリティ(Sen, 1999)に見出す。「各人がスキルを持っているのであり、サービスはその人がそれを実行するのを助けるのだ」という暗黙の前提に基づくことで、アクター間の非対称を解消する。個人のケイパビリティから出発し、人々を問題の担い手としてだけでなく、その解決策の一部として捉えるのだ。サービスの出会いには、元来この相互に対する尊重が根底にある。つまり、サービスの出会いをデザインすることによって、関与する多くのアクターが、時間、エネルギー、注意、知識、ケアを提供して結果の達成に貢献するケアのコミュニティを作ること、それがコラボレーションサービスなのだ、という。
 Manziniは、人々の関係性からつくられるソフト面と、それらの活動をシステム化するインフラ、両方の存在に言及する。ケアのコミュニティを動かすためには、そのインフラストラクチャーとしてデジタルプラットフォームが有効である。ケアコミュニティの活動のためのカレンダー、調整、サポートなどのさまざまな機能を備えたデジタルプラットフォームが、コミュニティの関与者の切り盛りを支援し、連携を助ける。このデジタルプラットフォームによって、社会資源を活性化し、人々が自助・共助できる状態にするための、新たな広範に起動できるサービスシステム化が可能になる。デジタルによるデータ共有、活動の連動と非同期化によって、直接的に影響を受ける人、さまざまな理由で関わることができる人、特定の専門的な貢献をする人などが、十分な能力と、深い動機を持ってケアのコミュニティとして稼働可能(enable)になるのだ。そのための有用な概念が、以下でみていく「ハイブリッド」だ。

デジタル・機能・役割のハイブリット

 ハイブリッドとは、物理的な次元とデジタルな次元を同時に持つもの、つまり、物理的-デジタルのハイブリットである。これは、物理的な世界での相互作用に中心を置くケア活動を、デジタル空間に拡張し、ケアの意味合いを開放する。デジタルによるデータ共有や活動の連動と非同期化によって、サービスを提供する側が、新しい需要を観察し、それに応じて提案を方向付けたり、実際の需要に合わせて供給を調整することを可能にする。
 物理的-デジタルハイブリットの応用として、人の集まるところにケアシステムを統合する、機能のハイブリットがある。従来は専用の場所で行われていた活動を、異なる活動が組み合わされた場所にする(例えば、カフェに市民サービス機能を追加する)ことだ。この機能的な近接のハイブリッド化は、ケアする都市を疎な地域で行うためのヒントともなりうる。本書では、Manziniは、ケアする都市ということからもわかる様に、ケアのコミュニティには密度の高さが必要だと語っている。ここでは、範囲の経済の効用をデザインすることの可能性を見ていこう。
 範囲の経済とは、一般的には、ある組織が複数の異なる活動一箇所で行うことで、シナジー効果による経営的な利点を得ることである。例えば、空き時間のあるカフェに、飲食とは別のケアサービス端末を置くことを考えてみる。この場合、ケアサービス事業者は、場所や広告にかける費用が少なくなるという、シナジー効果を得る。もっと大切なのは、前述の様な経営的な利点だけではなく、人を呼び込み、活動を促すサービスシステム化ではないか、と気づく。
 それを考えるために、範囲の経済的な視点に加えて、複数主体間に関する連結の経済(宮沢, 1998; 塩沢, 1999)が役に立つ。「連結の経済」は、Arthurが、デファクトスタンダードのメカニズムとして提唱した(Arthur, 1997)。ここで取り上げる「連結の経済」は、それとは異なり宮沢(1998)がサービスの中で見出した知識・技術の多重化に関するものである。経営的な組織の固定的な資源だけではなく、「人」に注目することによって、デジタルが可能にした機能のハイブリットのサービスシステムとしての有効性が明らかになる可能性がある。本書では、Manziniはこの点には触れていないが、今後の近接経済の研究アプローチとして興味深い。
 さらに、人に注目することによるもう一つのハイブリットが、役割のハイブリットだ。ケアワークは専門的なスキルを要さないため、ケア活動により多くの人々を巻き込むことが可能だ。プロのケア活動とボランティア活動や隣人、友人、知人間の活動を混ぜ合わせ、役割をハイブリッドするのだ。機能のハイブリットと役割のハイブリットによって、市民や他の社会アクターを共通の関心や共同活動の周りに地域レベルで集め、ハイブリッドでありながら同時に地域に強く根付くコミュニティが実現される。このコミュニティが基礎とするデジタルな次元により、様々な活動が共存し、異なるサービスシステムと関連することができる分散型サービスのネットワークを作り出すことが可能になる。コラボレーションサービスとは、ハイブリットを駆使したデジタルプラットフォームと織りなす、コミュニティ構築のためのシステム化の素地なのだ。

近接の都市が創り出すコラボレーションサービス

ケアする都市のデザイン

 先に見てきた通りハイブリットを駆使することによって多少緩和されるかもしれないが、近接の都市は基本的に密度の高い都市でなければならない。都市は、通り、広場、カフェ、ショップ、公共公園などで構成され、平面上の水平方向の密度が高い。そこでは人々が互いに出会うことが可能で、その出会いが会話に発展し、ひいては共同プロジェクトやケア活動に発展する可能性が高い。事例『WeMi』では、近接した公共の場という肥沃な土壌を見つけ、そこにコミュニティを作った。これらを引き合いに、Manziniは複数の事例から、再定義されたサービス経済のデザインのために、一般化可能な処方箋を導き出す。
 一つ目は、「ケア活動やその基盤となるコラボレーションサービスの地域的な組織化は、十分に密な近接システムに準拠すれば、より効果的」ということである。そして、十分に密な近接システムに向かうことは、ケアする都市のための重要なステップということだ。そのために、デジタル化と機能的なハイブリッド化を進める。カフェに設置された市民サービスは、人々の日常と関係性を持つだけでなく、共に支え合う複数の活動の共生による範囲の経済と、連結の経済を生み出す。人々はそこに巻き込まれ、役割のハイブリット化していく。そして、人々の信頼関係の相互作用というコモンズを構築し活用するのだ。
 二つ目は、「ケア活動を支援するサービスは、多様な近接システムの中で運営されれば、より存在しやすく、長続きしやすい」ということだ。その本質は、システムとしてのケア、サービスシステム化である。デ・ラ・ベラカサが語る様に、「ケアの互恵性が二者間であることは稀である。ケアという生きた組織は、相手に与え、受け取ったりする個人のおかげではなく、広くひろがった集団的な努力のおかげで維持されているのである」。ケアをシステムとして捉えるということは、個々の問題に対する具体的な解決策としてのケアから、ケアのコミュニティへの変容である。 私たちは人々に対して注意深く、共感的に行動することで、ケアの関係システムを作り出しているのだ。このシステムとして捉えることの利点は、様々なハイブリットを活用できることだ。それによって、範囲の経済、さらに、連結の経済の享受を得る。「機能的なハイブリッド化と役割のハイブリッド化を組み合わせ、デジタルハイブリッド化によって持続させることが、新しい近接の経済を実現するために進むべき道となり得る」のだ。
 三つ目として、第4章ではケアのコミュニティが起きやすくするための環境をデザインすることを強調する。Manziniは、社会化はコミュニティの創作と見なされるものであり、直接的にデザインすることができない、という。「できること、そしてしなければならないことは、関わりあいやコミュニティが生まれ、長く続くような好ましい環境を作ることである」、と。それは、バルセロナのランブラス通りの真ん中に置かれた椅子の様なものでもある。この椅子は、観光客の流れを断ち切ることで、観光客を住民との会話に誘うことができるのだ。このように、社会化するために好ましい環境をつくることで、コミュニティが地域に根づき、サービスが共創的な形に再編成され、望む新しいケアのコミュニティが実現可能になるようになる。
 四つ目として、「ソーシャルヒーロー/ ヒロイン」が始めた取り組みに人を巻き込むためには、SLOC(スモール、ローカル、オープン、コネクト)が役に立つ。小さく、ローカルでスタートし、オープンで多様性を享受し、参加しやすく繋がりやすくすることである。Manziniは、このSLOCをすでに『Design, When Everybody Designs』(2015)で使っていて、第4章でさらに発展する。
 最後に、ケアのコミュニティがずっと豊かな意味を育む場であり続けるために、「近接の中での行動」と「近接のための行動」との間の二重のつながりのデザインをあげる。Manziniは、変容的ではなくなり規範化へと向かっていく危険性を打破するために、「変容的な通常性」という概念を提唱する。これは、Simonがいう、しなやかさのあるシステムの特徴である準分解可能性(Simon, 1969)と関連がある。変容的な通常性を保持するためには、絶えず、近接システムが他の近接システムや環境に対してデザインする余裕を持っておくことだろう。そして、「デザインをしていくことから新しい目標が生まれるという考え方にきわめて近い考えは、計画作成の1つの目標はデザイン活動それ自体であるというものである」(Simon, 1969, p198)。つまり、ケアの活動がある限り、近接の都市が完成して止まることはないのだ。

ケアの評価と配分

 職業としてのケア/3とは別に、これまで金銭的な価値を持たなかったケア/1とケア/2によって、生み出された価値をどのように認識するかは、残された問題である。また、市場経済上では不鮮明なケア活動と、職業的ケア活動の間に明確な境界線を引くことはかなり難しい。ケアする都市とは、ケアワークが分散されたさまざまなコミュニティのエコシステムであり、専門家から、ボランティア、家族、友人、隣人まで、多様な人々、グループ、組織が関わっている。そして、ケアの質は、ケアを込めて行われた行為と、個々の文脈の複雑さと、それらへの対応するプロセスから生じる。ケアに関わる時間は、機能的近接によって、時間が生み出され、関係的近接によって、時間が使われる。私たちが、ケアする都市をこれからの方向性とする場合、現代の一元的で効率化を目指した時間は、ケアする都市の多様な時間に変わる必要がある。時間をかけてこそ生み出され、評価される質を求めるのか?求めるならば、それをどのように価値づけ、評価するのか?そして、結局の所、私たちはゆっくりとしたいのか?
 Manziniは、リチャード・セネットが提案した職人的な仕事という考え方を引用しつつ、ケアワークの価値は、主に、物事をうまくやった、つまり、ケアワークをした、という人の満足感にある、というのは、これは良い出発点にはなり得るが、私たちの疑問に対する満足のいく回答にはまだなっていない、という。ケアのコミュニティの現実問題としてケアワークの評価と分配を実現するためには、コラボレーションサービスと、その稼働を可能にするプラットフォームはどのように変容していくのか?そして、私たちは、どのようなケアの都市をデザインするのか?

近接経済のための問い

だれがケアの都市を創るのか?

 最後に議論したいのは、「だれがケアの都市を創るのか?」である。「近接の経済は、その機能を過去に求めてはならないだけでなく、現在までの進化の直線的な延長として想像することも避けなければならない」と、Manziniはいう。この、「出現しつつある世界の中に自らを位置づけること」をしながら、近接の経済の兆しを創り出しているのは、ソーシャルアントレプレナーである。
 ケアする都市のデザインでは、人々にケアのコミュニティの形成を促し支援するサービスを作り出すことが重要だ。現在問題を抱えている人にとっては、彼らが孤立を打破し、よりよく生きるためのつながりや関係の網を織り成す手助けをすることである。究極的には、それは、自分が人生で何ができるか、そのために、現在使える自分の資源、知識や持つ関係のネットワークを作り上げていくことになる。ネットワークを構築し、その質を上げることこそが、私たちが困難から抜け出すために必要なのだ。
 Manziniは自身のサービスデザインの研究の中で、再三、デザイナーとは何か、を自ら問うている。そこでは、従来のデザインである製品指向の設計プロセス、つまり、「オブジェクト」(製品、サービス、システム)のデザインから、「考え方と実行の方法」(方法、ツール、アプローチ、デザイン文化)へのシフトを示唆している(Manzini, 2016)。後者を、Manziniは「エマージングデザイン」、つまり、複雑で手に負えない社会的、環境的、政治的な問題に対するソリューションをデザインするプロセスだという。そして、これまでのデザインの文化の限界に対応するために、還元・機能主義的アプローチの問題解決ではなく、複雑さを受け入れる(Solution-ism)ことや多様な参加者を含むこと、そしてファシリテーターになりがち(Participation-ism)であるデザイナー自身が本来すべきことを問うている。
 本書でManziniは、デザイナーが、問題を特定し解決策を提案する役割から、人々が持つ潜在的な能力やリソースを特定しサポートする役割へ変容すべきである、と語る。それによって、サービスの出会いをデザインし、より良く生きるための関係の網を織りなす手助けをするのだ。この姿は、まさしく、ソーシャルアントレプレナーである。
 そもそも、アントレプレナーにとって、未来の見えない不確実性の高さは、得意な遊び場だ。事例『スーパーブロック』とその後のプロジェクトでは、街路を多機能公共空間とすることで、ホームケアのサービスを地域内で組織化し、サービスの地域化を都市インフラ全体に広げてきている。ソーシャルアントレプレナーであるデザイナーは、デザイン活動を通じ、その活動が「さらに将来新しい目的をつくりだす」(Simon, 1996, p196)ことを体現する実践者だ。さまざまなコミュニティが花咲く文脈としての近接システムに対する働きかけ、そこから新たなサービスやそれらを連携しながらエコシステムが創られる。つまり、Manziniの描くデザイナーは「行為の用具であると同時に理解の用具」(Simon, 1996, p198)であるデザイン手法を駆使してソーシャルイノベーションで未来を描く。よって、だれが近接の都市を創るのかは、自明となる。その創り手にたちに見えるのは、セーリングの情景だと、Manziniは描く。最後にManziniから私たちへのはなむけの言葉で終わろう。 

セーリングは複雑さを継続的に認識する訓練である。これは複雑性に打ち負かされることを意味しない。セーリングとは、漂流することを意味するのではなく、目的地を定め、予想される潮流や風を考慮してルートを想像し、それに基づいて現地の状況に適応することを意味する。

Livable Proximity翻訳版, p264

参照
Simon, Herbert A., The sciences of the artificial, The MIT Press, 1969. (邦訳 ハーバート・A・サイモン『システムの科学 第3版』秋葉元吉・吉原英樹訳、パーソナルメディア、1999)
Sen, Amartya., The Possibility of Social Choice Amartya Sen. The American Economic Review, 89(3), 349–378, 1999.
宮沢健一, 『 業際化 と情報化/産 業社会へのインパク ト』有斐閣, 1998.
塩沢由典, 収穫逓増と産業の局地的集積 産業集積の経済理論に向けて. 産業学会研究会報, 14, 1–16, 1999.
Arthur, W. Brian, 「 収穫逓増とビジネスの新世界」週刊ダイヤモンド/ダ イヤモンド・ハーバード・ ビジネス編集部共編 『複雑系の経済学』ダイヤモンド社, 第2章, 1997.
Manzini, Ezio. “Design, When Everybody Designs”, The MIT Press, 2015.
Manzini, Ezio., Design Culture and Dialogic Design. Design Issues, 32(1), 52–59. https://doi.org/10.1162/DESI, 2016.

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