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吾輩は猫である

夏目漱石、1905年のデビュー作。
俳句雑誌「ホトトギス」で発表した。

日露戦争中である。

今の東京大学英文科に在籍し、
卒業後も松山で正岡子規と親交を深める。

正岡子規は哲学科、国文科である。
今の開成高校出身だ。

1902年に亡くなっており、
漱石の文壇デビューを見てはいない。

「吾輩は猫である」の翌年、
「坊っちゃん」がまた人気を得る。

日本は日露戦争の勝利に酔いしれ、
第一次世界大戦へと向かっていく。

とにかく僕は大先輩のふたり、
正岡子規と夏目漱石との交流に憧れた。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、
いつか松山を訪れようと心に決めていた。

本郷の三四郎池のほとりで、
漱石の小説を読み漁った。

そして初めて松山を訪れた時、
自分も俳句をやろうと決心した。

1916年、第一次世界大戦中、
49歳の若さで亡くなった。
執筆期間は僅か10年ほどだった。

2020年、僕は50歳になった。
そして、新しい家族が増えた。

猫が、我が家にいる。

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