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缶チューハイと桜と涙

8

後からすぐ、たくさんのお酒が入った袋を提げてモリくんが到着した。
「さゆちゃん、どれ飲む?」
わたしはそれまで、缶のお酒を飲んだことがなかった。迷っていると、これなら飲みやすいかな、とチアキくんがピックアップして渡してくれた。
桃の味の缶チューハイだった。
ありがとう、と言うと、「いーえ」と笑ってチアキくんは緑色の瓶の栓を開けた。モリくんもビールの缶を取り、乾杯した。

居酒屋の中でも外でも、話す内容なんてたいして変わることもないが、夜の空気をじかに感じながらお酒を飲むというのは特別感があった。
大人は、花見にこういう価値を見出していたのかと知った。

チアキくんとモリくんは本当によく飲み、それにつられてわたしもたくさん飲んでいた。と言っても強いわけではないので、2本目の桃味のチューハイの缶を開ける頃には、経験したことのない心地よさと浮遊感のようなものを全身に感じていた。
たまに話を振られると、いつもよりもすらすらと長々と言葉を発しているような気がして、不思議だった。一方で、瞬きや手足の動きが緩慢になっているのがわかった。

藍色だった空は気が付けば濃紺になり、ちらほら見える灰色の雲、全然見えない星の下で、もう何時間そうしているのかわたしにはわからなかった。
買い足し行ってくる、とモリくんが公園を後にしたのは、なんとなく認識した。ベンチで横並びに座る相手はチアキくんだというのに、もはやわたしは緊張のひとつもしていなかった。

「今日はよくしゃべるね」
「そうですか?」
「うん。目すわってるけど。楽しいね」
チアキくんがなにを話しても、思考を失った頭の上にはハテナマークが浮かんでいたけど、彼の言う通りただひたすら楽しかった。そして、こんな風になっても頭の隅っこでは冷静な部分があるのもまた面白かった。
チアキくんは持っていた缶ビールを飲み干すと袋に投げ入れて、ポケットから出したタバコを吸い始めた。わたしは、初めてみんなでご飯に行った時のように、その動作を見つめた。

「俺さー、大学やめることにしたよ。専門学校決めたんだ」
「へえ」
「前にさゆちゃんがさ、応援してるって言ってくれたでしょ。あれ本当に嬉しかったんだよー。」
名前が出て、自分のことを話してくれていることに気づいた。
「バイトもやめちゃうんですか」
わたしの片隅の冷静な部分から出てきた言葉に、チアキくんは頷いた。
「そうねえ」
「いやです」
食い気味に答えたわたしに、多分チアキくんはびっくりしていた。へ?と笑いながらこちらを振り向いていた、気がする。

「チアキくんが、タバコ吸ってるところ、好きです」
「え?ありがとう、初めて言われた」
「好きです」
わたしの視界がぼやけていった。あれ、もしかして泣いてる?と気づいたのは、泣き始めて少ししてからだった。最後に発した言葉の重みには、気づいていなかった。

でもチアキくんには、伝わっていたみたいだった。
チアキくんは携帯灰皿でタバコの火を消し、わたしの体を引き寄せて「よしよし」と言いながら頭を撫でてきた。その時に、わたしの中の冷静な部分は消え去ってしまった。
わたしはチアキくんに抱きついて、というよりもしがみついて、好きです、いなくならないでください、と泣きじゃくった。チアキくんはわたしの顎を掴んで何度もキスしてきた。しゃくりあげている最中に口を塞がれて息ができなくて、わたしは「ウッ」という色気もくそもない声を出しながら、ただただ泣くばかりだった。
そうしているうちに、段々目が回ってきていることに気づいた。わたしは、チアキくんから体を離し、顔をそむけると、下に置いてあったコンビニの袋に嘔吐した。

少しして、べろべろのままお酒を買いに行っていたモリくんが戻ってきた。チアキくんは、「だいじょうぶ?」と笑いながらいつまでもわたしの背中をさすってくれていた。頭の上では、電灯に照らされる桜の白い花びらがずっと揺れていた。

意味不明な告白とキスと嘔吐で、わたしの最高な一日は終わった。


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