【メンバー紹介】日本大好き・海外志向ゼロから、マイナー地域の駐在妻へ
ドーバルデン!
駐妻カフェライターチームのチカです。
タイトル通り、日本が大好きで海外志向ゼロだった私ですが、夫の海外赴任に伴い、トルコへ引っ越し。
一旦日本に帰国し、現在は2度目の海外赴任でブルガリアという国で暮らしています。
渡航当初は不安と戸惑いで、精神的に追い詰められていました。
それが今ではそれなりに楽しく毎日過ごしています。
このように前向きに捉えられるようになったきっかけは、"私はひとりじゃないんだ"と思えたからです。
今回は自己紹介を交えつつ、どのように海外生活の壁を乗り越えたかをお話しします。
ブルガリアでの生活ってどんな感じ?
私が住むブルガリアは
・トルコの西、ギリシャの北、ヨーロッパの東の端に位置する国
・公用語はブルガリア語(ちなみに冒頭の"ドーバルデン"はブルガリア語の"こんにちは"。)
・日本人コミュニティは小規模(ブルガリアの在留邦人約150名)
・首都ソフィアに住む日本人駐在家族は一桁
という、日本人にとってかなりマイナーな国です。
日本人が少ないとはいえ、多少の付き合いはあるだろうと思っていたものの、最初の2年間は家族以外の日本人には基本的に会わない生活。
※昨年から息子が日本語補習校(当時生徒数2名)に通うようになり、ようやく送迎の時に少し先生や保護者の方と挨拶するようになりました!
そんなブルガリアに来て丸3年。
渡航当初4歳&2歳だった子ども達も成長し、小2&年長に成長しました。
日本人学校はもちろんないので、選択肢は現地校(ブルガリア語)かインターナショナルスクール。
ブルガリア語が流暢ではないため、必然的に子ども達はインターナショナルスクールに通っています。
海外旅行は好きだけど海外志向はゼロ
私は昔から東南アジアやビーチリゾートへの旅行が大好きでした。
でも海外が楽しいと思うのはあくまで旅行だから。
住むならやっぱり日本が最高だと思っていたし、仕事で海外に行きたいという思いも全くありませんでした。
ただし結婚前から夫の海外転勤があることは分かっていたため、うっすら覚悟はしていました。
充実した日本での生活
生まれてからずっと東京生まれの東京育ち。
結婚するまで実家にいたし、結婚後も実家の近くに住む事にしたので、区内から引っ越したことすらありませんでした。
両親も兄妹も友達も近くにいて、土地勘もある。
ずっと夢だった看護師としての仕事も充実していたし、できればこのまま引っ越さずに暮らしたいと思っていた新婚当初。
でも結婚1年で夫はあっさりトルコに転勤が決まってしまいました。
1ヶ国目:思った以上に楽しく快適だったトルコ生活
最初の駐在地はトルコ・イスタンブール。
アメリカやイギリス、東南アジアなどのメジャーな駐在地ではないものの、実際に渡航してみると予想以上に楽しく過ごせました。
イスタンブールには日本人が約1000人いて、日本人駐在員が多く住むエリアがあり、小さい子どもをもつご家族もいました。
日本語での情報誌の発行・メルマガ・ブログなど情報を得る手段もたくさんあり、仲良くなった日本人同士で習い事に行ったり買い物やランチをしたり。
「海外生活って困ったことや戸惑うこともあるけど、周りの人たち優しいし助けてくれるし、日本にいるより子育てしやすいかも♪」
そう思っていたものの、私の第二子妊娠と夫の帰任時期が早まったことが重なり、1年弱で本帰国。
トルコでいい思い出ができたけれど、不完全燃焼という思いがあったので、次回の駐在にも絶対についていこうと決めました。
2カ国目:予想以上にきつかったブルガリア生活
トルコから帰国して約3年。2度目の駐在がブルガリアに決まりました。
正直、どこそれ?というレベルだったし、日本人が少ないらしいと聞いて不安を抱きましたが、
まあトルコ生活は楽しかったし、ブルガリアもきっと楽しいはず!
…と思い、好きだった仕事を諦めて渡航を決めました。
でもブルガリアでの生活は想像以上にきつかったです。
子どもが大きくなったことで教育や友達付き合いも増え、やることが激増。
私がブルガリアでやってることといえば、家事・子どもの世話・子どもの学校関連の手続き・子どもの…etc
確かに家族のためにここに来たけど、
自分の時間はゼロ。
友達もゼロ。
(自分のために)やることもなし。
日本では友達もいて家族もいて仕事もあって、充実していたのに。
トルコにいた時は日本人同士の付き合いで誰かと話したりお家にお邪魔したりもしたりと、楽しかったのに。
ブルガリアに渡航してから、トルコにいた時には海外に住んでいたけれど日本人としか関わっていなかったと自覚。
海外生活と一言に行っても、住む場所や日本人の数・関わりによってこんなに生活の大変さが違うだなんて、衝撃でした。
ビザの問題もあって働く事もできない。
渡航当初は言葉も分からないし、買い物にしようにもどこに行けば何が手に入るか分からない。
家のトラブルが続くし、予定していた時間に業者がこない。
当時2歳の娘とは24時間べったりで思うように家事さえ進まない。
"…毎日忙しく過ごしている割に、自分自身のための時間が全然取れない。"
まるで自分が空っぽな存在になったような、虚無感に駆られました。
元々私の気分転換は、仲の良い友達と会っておしゃべりすること。
それが完全に絶たれ、やることに終われ、何ができるのか、何がしたいのかを見失っていました。
このままだとよくない!
とにかく行動してみよう!!
と思い立ち、
息子が通うインターナショナルスクールの親向け育児講座に参加したり、
当時家庭保育をしていた娘の習い事を始めてママ友を作ったりと活動開始。
最初は楽しく充実していたし、元気がある間は頑張れたけど、渡航後3,4ヶ月経って疲れが出たのか季節の変わり目で気持ちが落ちていたのか、ある日ぷつんと糸が切れたように
"もう何もしたくない・・・"
という感覚に襲われました。
このままだと鬱になるかもと自分でも思ったし、夫もかなり心配そうにしていました。
そこで思い切って日本にいる親や親友にLINEをし、ビデオチャットをして話を聞いてもらうことに。
最初は
"今まで強がってきたから、弱い自分を見せるのが恥ずかしい…"
"夫のお金で暮らしている私の愚痴を、日本で自立して働いている友達に言っても分かってもらえるわけない…"
と思っていたけれど、話してみるとすごく心配し、時には涙し、励ましてくれました。
離れていても、状況が違っても、ちゃんと心を寄せてくれる人がいると思えたことが心の支えになりました。
そしてエネルギーを充電して、またがむしゃらに活動して、疲れたらたまに休んで。
そうこうしている間に1年が経ち、気がついたら国は違っても心を許せる友達ができて、楽しくなってきました。
駐妻カフェとの出会い
私はブルガリアに渡航して半年ほど経った頃、Twitterをはじめました。
とにかく日本語でたわいもない話がしたかい、そんな思いでTwitterを始めると他の国の駐妻さんと仲良くなることができ、そこでも救われました。
その中の一人、特に仲良くなった駐妻さん経由で駐妻カフェの存在を知りました。
正確には駐妻カフェの名前は知っていたけれど、メジャーな地域の駐妻向けで自分とは関係ない場所だと思って寄り付きませんでした。
ですが、そのTwitter仲間との縁で駐妻カフェで育児講座を開催させてもらうことになりました。
開催にあたり、サイトを見てびっくり。
"知りたかった情報がたくさんある!!!"
もっと早く駐妻カフェを知っていれば、あんなに悩まずに、つらさを乗り越えて楽しく過ごせたのかな、とも思います。
またそこに綴られていたミチエさんの
孤独な駐妻を作らない
という思いに深く共感し、感動しました。
(↑こちらがその時の講座の開催案内です♪)
海外生活を乗り越えるのに大事なのには人とのつながり&情報
海外生活をはじめて何が一番つらかったのか、
振り返ってみると居場所がないという感覚が私を追い詰めたのではないかと思います。
ただ離れていても、状況が違っても、人種が違っても、支え合える存在にきっと出会えると気づき、気持ちが楽になりました。
一方精神的なつながりだけではなく、慣れない土地で生活するにあたって生活情報は必須だと思います。
情報を交換し、精神的に支え合える仲間がいれば、慣れない海外生活でも楽しみながら頑張れるのではないでしょうか。
私はブルガリアに来てからそんな仲間に出会うのに時間もかかったし、その間本当に「鬱になるのでは?」と思うぐらい悩んだりもしました。
だからこそ、そんなつらい思いを他の人にしてほしくない。
そう思って駐妻カフェでのボランティアを始めることに決めました。
駐妻カフェを通して情報発信をすることで、少しでもつらい思いをする人が減り、充実した海外生活を送るお手伝いができれば嬉しいです♪
これからどうぞよろしくお願いします!
生き方はひとつではありません。
海外生活は、新しい経験ができる貴重な機会でもあります。
あなたの不安がひとつでも消え、前向きに生活できるよう、駐妻カフェメンバー一同願っています。
一緒に海外生活を楽しみましょう!
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