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感染拡大してもマスクをしないアメリカ人の歴史と教育

感染拡大が止まらないアメリカで、いまだにマスクに反対する人が一定数いる。
6月27日にフロリダ州パームビーチ郡で、公共の場でのマスク着用を義務化する法案の採決の前に行われた、市民の意見を聞く会での発言がすごい。

「マスクが人々を殺している。マスク義務化は悪魔の法律だ」「共産主義の独裁命令」「自由を奪う憲法違反」「他人の口を奪うなんて」「疑似科学」「自分は銃を売る仕事をしている。マスクをした人間に銃を売るなんて馬鹿げている」

もちろん賛成派もいて、特に家族が感染した人には理解が得られているが、反対派の意見は日本人にはなかなか理解できない。

そもそも日本は義務じゃなくて、お願いベースでも皆んな協力するから、理解できないのも当然だけど、このアメリカ人の抵抗を歴史と教育の違いで考えてみよう。

よく言われるのが文化の違いで、日本人は花粉症やインフルエンザの時期にマスクをするのは当たり前で、見慣れているし自分がするのも抵抗がない。だけど、アメリカじゃ街中でマスクをしていると強盗かなにかに思われて、異様な目で見られるのが普通だったので、抵抗があるというものだ。

確かにそれも理由の一つだけど、実はもっと根が深い。
アメリカは歴史的に自由を掲げて建国した国だ。世界で一番自由が保証されているという自負があるから、たかがマスクと言えども自由を奪われることには敏感に反応する。
でも、よく考えると日本だって、世界トップクラスの自由な国じゃないか。
それなのに、「皆さんマスクをしましょう。3密を避けましょう」と言われると、実に従順に守る。

この違いがどこから来るのかというと、教育の違いにあると思っている。
アメリカの教育では、自分の考えを持つことが重要で、人と違っても自分の意見を述べるのは当たり前とされる。だから間違っていようが何だろうが、ストレートに意見をぶつけてくる。裁判と弁護士が多いのも納得だろう。

しかし日本の教育は、答えが用意された問題に、たくさん正解した者が優秀というレールに乗るのが当たり前になっている。

疑問を持って考えてみるという教育を受けていないから、国や有識者から言われることには、良くも悪くも盲目的に従ってしまう。
たまたま、パンデミックの状況下でマスクが有効ということに対しては、日本の教育が功を奏したわけで、本来的にはアメリカ型の教育であるべきと思う。

とはいえ、今回のアメリカ人のマスク反対派意見は、自分は感染していないという前提に立っていて、自分が他人に感染させて自由や生きる権利を奪ってしまうという視点に欠けている。
科学的に正しいかどうかも確認せずに感情をぶつけているようだ。

こういう人たちは、リベラルな人が多い都市部よりも、トランプ大統領を支持する保守派の田舎に多いのもうなずける。

アラバマ州タスカルーサでは、一部の若者が「新型コロナウイルス感染症パーティー」を開催したらしい。ウイルス保有者が参加して、最初に感染した人が賞金を受け取るというバカさ加減。日本なら速攻で社会的制裁を受けるだろう。

専門家の間でも意見が分かれるマスクの効果だが、無症状あるいは発症前の感染者の飛沫を抑制するためには、自分が感染しているかもしれないと思って、皆がマスクをするしかない。

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