物語を作るときの思考~キングに感謝~

こちらの記事を読んで、ほうほうなるほど、私はどうかな?と考えた、という雑記。

記事の紹介

こちらの記事で紹介されている本は、|スティーヴン・キング著『書くことについて』|

好きな作家さんだ!

『刑務所のリタヘイワース』が一番好き。
『ミザリー』も『グリーンマイル』も『幸運の25セント硬貨』も好き。
恐怖を扱うのがとても上手いイメージがあるけど、ほっこり温かいお話もあったりする。
映画になるとなぜか変な方へ向かってしまうこともあるので、映画化されたものを見るときは注意が必要。
それでも、『グリーンマイル』も『ショーシャンクの空に』(小説はリタヘイワース)も『スタンド・バイ・ミー』もとてもいい映画。
『ミザリー』はいい映画なんだけど、むちゃくちゃ痛くて怖い。

さて、今回の記事は、「あなたは物語を書くときどうしてる?」みたいな問いかけに感じられた。
なので、紹介されているキングの原文から、気に入った一節を引用して、自分はどうかな?と考えてみたいと思う。

プロットはあまり書かない

私はプロットをあまり書かない。

頭の中でなんとなく組み立てたりするけれど、たいていはその通りには動いていかない。
登場人物が頭の中で勝手に話し出すことが多い。
会話を減らそうとして悪戦苦闘することもある。
そのあたりはこちらの記事に書いた。

たいていは頭の中で繰り広げられる会話を急いで書きとめて、なんでこんな展開になったのだろうとあとから肉付けをしていく。
おしゃべりをやめてくれなくて困るときもあれば、全然しゃべってくれなくて話が書けないこともある。

会話で進む場面じゃないときは映像が出てくる。

まるで映画みたいにアップになったりカットが切りかわったり。
その映像を文字に起こすのが大変。
こんな場所で、こんな天気で、あれがあそこにあって、あっちからあのキャラが来て、こっちでこのキャラがこうしてて……みたいな場面。
語彙や表現力が足りなくて、頭の中の映像と似ても似つかないものになり、がっかりすることもある。
(きっとこれはいつもマンガを描く人が悩んでいるんだろうな、とか思ったり)

で、キングはこんなことを書いている。

プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。どんなに合理的な予防措置を講じても、どんなに周到な計画を立てても、そうは問屋がおろしてくれない。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然に生まれでるのは、相矛盾することだから。この点はよくよく念を押しておかなければならない。ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

そう、キャラクターや状況設定がしっかりしていれば、ストーリーは自然にできていく感じはある。
私はそれを書きとめる。
私の物語が面白いかどうかは別にして、キングと同じように感じていることが一個あっただけでも嬉しい。

あとは成長させたストーリーを文字にするだけ。

……それがとてつもなく難しい。
プロか、アマか、経験積んだか、才能あるか、努力したか。
そうしたいろんな要素が、文字にするときに差となって現れるんだろうな、と思う。

あるとき、私は<ニューヨーカー>のインタビューのなかで、ストーリーというのは地中に埋もれた化石のように探しあてるべきものだと答えた。聞き手のマーク・シンガーが信じられないと言うと、私は自分がそう信じているとわかってもらえたらそれでいいと答えた。
(中略)
 どれだけ腕がよく経験豊かな者でも、化石をまったくの無傷で掘りだすのはむずかしい。できるだけ傷をつけないようにするには、シャベルではなく、エアホースとかパームピックとか、ときには歯ブラシとかの繊細な道具が必要になる。プロットは削岩機のような馬鹿でかい道具だ。削岩機を使えば、固い土から化石を取りだすのは簡単だろう。それは間違いない。だが、そうすると化石が粉々になってしまう。削岩機は粗暴で、無個性で、反創造的である。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

キングは強いよね。
『削岩機は粗暴で、無個性で、反創造的である。』
ここまで言い切っちゃうのだから。

小説家になろうとか、物語を書いてみよう、とかのアレコレを読むと、よく出てくるプロットの話。
私にはしっくりこないなぁと感じていたところだったので、この一節を読んでちょっと安心した。
プロット作る大事さも十分わかってるけれど、私はエアホースと歯ブラシで頭の中のお話を取り出したいと思う。

推敲は難しい

よい会話(セリフ)が思い浮かんだとき。
よい場面が思い浮かんだとき。
登場人物たちの表情の描写、見えた景色の描写。

それらがぱっと頭に浮かんだとき、指に任せて勢いに乗って書くと、結局最後にはそのシーンが物語のキーになったりする。
感想を頂いたときも、そのシーンやセリフを気に入ってもらえたりすることも多い。
(これはとても嬉しい。私もそこ好きなのよ!と一緒に盛り上がれる)

キングはこんな風に書いている。

語彙に関しては、最初に頭に浮かんだものを使ったほうがいい(よほど的はずれだったり、精彩を欠くものではないかぎり)。ためらったり、思い悩んだりして、別の言葉を選んでも(別の言葉はいくらでも見つかる)、たいていは最初に思いついた言葉に及ばない。意図したものから遠ざかる場合もしばしばある。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

だから、推敲は苦手。
最初のきらめきが消えてしまうことがあるから。
直せば直すほど、ありきたりになって、私の物語じゃなくなってしまうことがあるから。

でも、いじりたくなってしまう。
もっといい言葉、もっといい表現ないかな、と。
「いい」は私にとってだけじゃなくて、みんなに「いい」がいいな、と。

でも、こうやって、自己満足するだけじゃなくて、誰かに見せたい伝えたいの気持ちが強くなると、不安が増幅して、手をいれたくなる。そして失敗する。

 下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。自分の楽しみのために書くなら、不安を覚えることはあまりない。そういうときには、先に言ったような臆病さが頭をもたげることはない。だが、学校のレポートや、新聞記事や、学習能力適性テストなどを書くときには、不安が表に現われる。ダンボは魔法の羽根で空を飛ぶ。われわれが受動態や副詞にすがるのは、この魔法の羽根を借りたいからだ。が、ここで忘れてならないのは、ダンボは生得のものとして魔法の力を持っており、羽根がなくても空を飛べるということである。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

不安は大敵。
推敲しすぎもよくないね。
(だからといって推敲から逃げてはいけないとも思う)

 いいものを書くためには、不安と気どりを捨てなければならない。気どりというのは、他人の目に自分の文章がどう映っているかを気にすることから始まる、それ自体が臆病者のふるまいである。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

気取らすに、ありのままに、自分をさらけ出して。
他人にどう見えるか、なんて気にせずに、私の頭の中の物語を出していく勇気が必要。

そういう意味でも、ここ(note)に来たのはよかったのかもしれない。静かな環境で思うがままに、書ける。

寝かせるのは苦手

 原稿をどれだけ寝かせたらいいかはひとによってちがうが、私は六週間を最低の目安としている。その間、原稿は机の引きだしのなかで眠っている。パン生地と同様、発酵、熟成してくれたらしめたものだ。あなたはその原稿のことが気になってならず、何度もそれを取りだしたいという衝動に駆られるだろう。我ながらうまく書けたと思う箇所をもう一度読んで、自分に作家としての才能がどれだけあるかを見たいと思うのは当然のことだ。
 だが、誘惑に負けてはならない。実際に読んでみれば、思っていたほどではなく、その場で書きなおさずにはいられなくなるかもしれない。それならまだいい。より悪いのは、読んだところが、思っていたよりもずっとよく見えたときであるーーだったら、余計なことをして時間をつぶす必要はない。いますぐ見直し作業に入ろう。機は熟している。おれはシェイクスピアだ!
 いいや、それは違う。機はまだ熟していない。新たにとりかかった仕事に没頭して(あるいは、普段のありふれた日常生活に埋没して)、かつて数ヵ月にわたって毎日数時間をあてた非現実の世界をほぼ忘れかけたときが、ようやく引きだしのなかの原稿に向きあえるときなのだ。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

ついつい「書けた!」って表に出してしまいたくなる。そして出したあとに反応を気にしてしまう。

キングが語るように、しっかり寝かせて、自分でも忘れるくらいになって読み返したら、もっと違うものが見えてくるのかもしれない。
今、一年前の作品を読み返して、あまりの下手さに愕然としたり、恥ずかしくなったりしている。手直しを始めたらちっとも終わらない。
あのときもう少し寝かせていたら、勢いでUPしなかったら、もう少し皆さんに楽しんで読んでもらえたのかな、と若干の後悔も、ある。

今度からはちゃんと寝かせよう。……1ヶ月半、長いな。

どうしてもネガティブになってしまう

一見ネガティブなものかもしれません。 頭の中に染みのように残って、振り払っても振り払っても拭えない強迫観念のように、「このことについてならこの10年くらい考えてるかも……」というものがあれば、それがあなたの個性です。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

強迫観念は、個性。
これは自信がつく言葉。勇気がもらえる言葉。
しつこく同じような話を書いてしまう。
どうして違うものが書けないのか、と悩んだりすることもあったけれど、それでいいのかもしれないと思えた。
書いてる時間は楽しい。人と比べてわざわざネガティブな気持ちになることもないんじゃないかな。好きなものは好きなんだ、と認めて少し楽になろう。
と、前向きになれる言葉だった。

応援してくれる人の存在

翌日、学校から戻ってみると、タビーがそれを手に持っていた。屑かごを空にしようとしたときに見つけたので、煙草の灰を払ってから、くしゃくしゃになった用紙を広げ、椅子にすわって読んだという。この先が知りたいから、ぜひ書きつづけてほしいとのことだった。
(スティーヴン・キング著『書くことについて』より)

読んでくれる人がいるって、なんて心強いんだろう。
続きが読みたいと言ってくれる人がいるって、なんて嬉しいんだろう。
以前、こんな詩を書いたことがある。

『終わりなき旅』
愛を込めて夢を詰めて
書いて書いてそして書きためて
世の中に出ることのない物語
いつかは知ることが出来るだろうか
誰も読まない物語を書き続ける意味を
誰も揺さぶらない物語を書き続ける意味を
書いて書いてそして書き尽くして
絞り出すものがなくなったら
探しに出掛けようか
物語を書き続ける意味を

なかなか読者が増えなくて悩んでいたときの詩。
ネガティブな感情を呟くと読者が増えないと聞いたこともあったけど、同じ悩みを抱えてる人はやっぱりいた。共感を得られて、少し自信がついた。

創作作業は孤独で辛い。
素敵ね、あなたらしいね、って言ってもらえることの喜びが、その孤独と辛さを癒してくれる。

応援を力に、また少しづつ、ステップアップしていこうと思う。

最後に

素晴らしい本を紹介してくださってありがとうございました!
記事もとても参考になりました。
これからもたくさん読んで、たくさん書いて、楽しく創作していこうと思います。

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