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『君たちはどう生きるか』のネタバレあり感想


『君たちはどう生きるか』を観てきた。
 久しぶりに書きたい気分になったので感想を書いてみる。個人的な要素を含めたおばさんの戯言、と一言のおことわりを添えて。


宣伝なしの映画


 まっさらな状態でリアルタイムでジブリ映画を見るのは何年ぶりだろう。

 不安と期待、期待のほうがちょっと大きい仕事帰りの土曜日。気合い入れすぎて映画館サービスの有料会員になってしまった。
 購入時は、中央部の座席はほぼ埋まっていたものの、側方前方はまだまだ、やっぱり宣伝なしは厳しいのかなと思っていた。それでもスクリーンに着くと300席は8割ほど埋まっていて、前方2列ほど空いてる以外はほぼ満席。前日の口コミがうまくいったのか、それともネタバレくらう前に見たい層が多かったのか。年齢層は高め、若者も子どももほとんどいなかった。

 一言で表現するならもう一回『参列』したい。
 
 以下、ネタバレありの感想羅列。


生前葬


 宮﨑駿監督の生前葬、という前評判は本当だった。走馬灯のようにジブリ作品が目の前を流れて行った。
 面影のあるキャラたちが思い出を覗かせ、ぎこちなくて逆にリアルな俳優の声が心に染みるセリフを耳に届け、記憶に残る名シーンが何度も浮かび上がった。
 うねうねと動く人物たちに精密で個性的な背景画、アップに切り取る構図、色使い、静寂と効果音と音楽、それぞれの音の使い方。
 階段を駆け上がる主人公、群衆をかき分ける、炎にゆがむ病院と消防団に圧倒される。しょっぱなから宮﨑監督だなあ、ジブリだなあと嬉しくなった。

圧倒的な鳥の群れ


 想像のはるか上を行く鳥の群れ。鼻息荒く行進をし、軟体動物のような不規則な動きをする首で奇妙にバランスをとり、ぎゃあぎゃあと叫び飛び回り、主人公たちに容赦なく糞を落とす。部屋も塔も服も顔も真っ白な糞まみれになる。鳥が苦手という人のすべてが詰まっている気がした。そして鳥好きな人のすべてもまた同じ。
 思考が読めずある意味短絡的に欲求を追求する鳥たちと、賢く理性的で野心的で嘘つきな鳥も出てくる。宮﨑監督の周囲にいる人々なのかな、とつい妄想してしまう。

王道の児童文学


 全体で見るとファンタジー、児童文学の世界。少年が自分の生い立ちを振り返り成長する物語。
 素直で天真爛漫で可愛らしい子ども時代はあっという間に過ぎ去り、嘘つきのアオサギに引きずり込まれた世界で醜さや傲慢さや自己中心性などを含めた自分の人間性に気づく。そして成長を促してくれる大人と誠実に向き合えるようになる。
 母親と継母との間で揺れ動く主人公の感情の表現がとても良かった。グリム童話にも通じる通過儀礼の世界。一番目、現在の状態からの「分離」。二番目、どの状態でもない「移行」。三番目、新しい状態に向けた「合体」。母親に守られていた主人公が別離を経験して自分は愛されていたのかいるのかを手探りし、生き場所を探し、自分で選択し信念を持って父と継母ときょうだいがいる自分の世界に戻ってきたお話。
  河合隼雄さんの『ファンタジーを読む』や『子どもの本を読む』などが参考になるかもしれない。世界の児童文学においては、真夜中に、夢の中で、疎開先で、病気療養中に不思議な体験をして成長する子どもたちが描かれているのがわかる。(参考図書は『トムは真夜中の庭で』『アルプスの少女ハイジ』『小公女』『秘密の花園』『はてしない物語』あたり)

扉扉扉

 アニメ界ともジブリともとれる下の世界の荒唐無稽さが、ハウルやポニョの世界の混沌に似ていてとても好きだった。大きな魚の内臓を食べてほわほわと空を昇っていく白い生き物たちが可愛かった。波、海、風、炎、生き物の群れ、暴力的なほどの自然。
 人の数、人生の数だけありそうなたくさんの扉。私の扉もきっとあそこにあったはずと思えた。

残されたものへのメッセージ

 アニメの世界で長い間走り続けてきた監督の最後のメッセージ。「僕はこう生きたよ、君たちはどう生きる?」

 主人公が継がないと言って下の世界が崩壊した瞬間に自然と涙が流れてきた。
 やがて私の世界が壊れてしまっても、私に関わった後輩たちや教え子たちや甥っ子姪っ子は現実の世界で鳥たちのように自由に羽ばたいていて欲しい。

 最後になるであろうメッセージ、劇場でしっかり受け取れて良かった。
 私の心の成長を促してくれたたくさんのジブリ作品にありがとうと言ってゆっくりと監督にお別れをしてきた、そんな2時間。
 私にとってもこの時間は通過儀礼だったのだ、きっと。

#君たちはどう生きるか


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