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同じ熱湯でジャガイモは柔らかく、卵は固くなる。話

"Boiling water will soften a potato but harden an egg" - "同じ熱湯でもジャガイモは柔らかくなり、卵は固くなる"

最近読んだ Atomic Habits という本の一文だこの本の著者が上記の表現で伝えたかった意味合いとは異って捉えた。私の前頭前野が「バチッ」となった。もちろん、指導者目線で捉えた。職業病だ。おそらく、ホリデーを楽しむ傍、何かと"サッカー指導者としての自分"について振り返っていたからだろう。

僕は、こう捉えた。

自分自身の指導スタイル・与える"学び"の環境(熱湯)で、αは成長し(ジャガイモは柔らかくなり)、βは衰退していないか(卵は固くなる)

「自分は熱湯だったのかもな」なんて、考えてしまった。

自分の学生時代はどうだっただろう。

「この教え方でAは理解しているのに、Bはどうして理解できない!」「何度も言ってるのに、何故お前はわからない!」なんて事を、学校・スポーツの場で先生やコーチから言われた事はないだろうか。

現在の指導者としての自分はどうだろう。

選手個人の性格・人間関係・家庭事情・気分・etc…などの内的・外的要素を含めた「学びのプロセス」を考慮した指導が出来ているだろうか。柔らかいジャガイモと柔らかい卵を活かした料理を作りたいのに、共に同じ熱湯に入れてはいないだろうか。そして、熱湯で固くなった卵に対して

「おい卵、どうして固くなったんだ。じゃがいもは柔らかくなったぞ」

なんて、馬鹿げた指摘はしていないだろうか。

卵の殻の中身が柔らかい事を事前に気付けなかったのは、卵の責任だろうか?調理をしている指導者の責任だろうか?圧倒的に後者の責任である。しかし、多くの指導者・教育者が「熱湯で固くなる卵が悪い」「自分(指導者)が与えた環境・指導スタイルで、伸びない選手が悪い」と感じた、もしくは言ったことは少なくとも一度はあるだろう。

「何をするか」なんて、正直どうでもいい。Man Cityがやってる「それ」とかフロンターレがやってる「あれ」は、役には立つが、そんなに重要ではない。それより重要なのは、それを「どう教えるか」である。そして、「そのHOWが各選手の学びのプロセスに最適化なのかどうか」を、私たちは必死に考るべきだ。指導者・教育者としての使命である。

教科書通りに1から10までのSTEPを教え込む指導が最適な選手。3のSTEPだけ教えて「後は自分でやってごらん」で、10まで習得する選手もいる。なんなら、広場での遊びのサッカーで習得する選手もいるだろう。

「俺はこう教えている・これが俺流」と自信を持っていても、そのあなたのHOWが、学ぶ側にとっては全く響いてないかもしれない。

自分自身の指導を振り返ると、今年のシーズン途中に、ある親が「桑原から熱く指導されるのが息子は嫌だった」と理由で、その息子さんがチームを退団した事があった。その時は、別の大多数の親から「桑原の指導スタイルが息子は大好きだ」なんて声かけを事後に受けたが故に、自分を正当化していた。しかし、振り返ると後悔しかない。「ほとんどの選手は"コレ"で伸びている」「あの選手は自分にベクトルが向いてなかった」なんて馬鹿げた考えを持っていた。その"当時の経験"はポジティブに捉えているが、 "その後の考え方"は、今でも恥ずべきものである。

「ベクトルが向いていなかったのは自分ではないか」「自分が嫌いだったはずの指導スタイルしてどうすんだ」と、悔しくなった。「おい卵、どうして固くなったんだ。じゃがいもは柔らかくなったぞ」と、自分が言おうとしていた事が悔しい。

この文章でさえ…

私がここで書いたことでさえ、共感を持ってくれた方々とそうでない方々がいるはずだ。口調が好きじゃない。話の構成が好きじゃない。理由はなんだってあるだろう。しかし、共感を持ってくれない方々に「何故わからないんだ」なんて馬鹿馬鹿しい事は言わない。その方々の多様な学びのプロセスを理解した記事を書けていないのは私の責任だ。

それぞれの学びのプロセスを理解した上で選手個人に応じて融通と忍耐と覚悟を持って指導をする。

「人に何かを伝える、教える、そして"響かせる"というのは、彼らの学びのプロセスに寄り添ってこそ成り立つものだ」と信じる。

数年後に、彼らと再会した時に「桑原コーチは指摘が多くてだるかったっすけど、僕の事を一番理解してくれてました」なんて言われたいものだ。



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