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【日々】みんな天才だよ|二〇二三年九月




二〇二三年九月十九日

 ちゃんと朝と呼べる時間にベッドを降りる。残りもののカレーとバナナ、ミルク。コーヒーをいれて、本の編集作業。慣れないInDesignを見様見真似。こういう時つい完成を焦ってしまって、丁寧に学びながら進むことができなくて後で苦労するのだけど、今回もそうなりそう。部屋の中はクーラーがきいていて気持ちがいい涼やかさ。

 灼熱の中を泳いで一週間ぶりにオフィスへ赴く。最寄駅を出てから到着するまで、胸のあたりが暗い不快感でどんどん重たくなっていって挫けそうになる。最低限のおあいそを撒き、デスクに腰を下ろしてしずかに日常にフェードインしてゆく。なんというか、良いとも悪いともつかない、無味無臭の手触りがする時間。どうでもいい、という投げやりなきもちすら超えて、無。こんなふうだったっけ、ここにいるときの自分。ほとんどなにも感じない。

 昨日の晩御飯の残りを詰めたお弁当を食べたら、すこし散歩に出る。ちかくの珈琲屋でアイスコーヒーをいただいて、通りに面した席でやすむ。ここの店員さんはいつも同じ女のひとで、もう何十回と来てるからむこうも顔は覚えているとおもうのだけれど、常に初めてのときと同じ対応をキープしていてすごいなと思う。嫌な意味ではなくて、余計なことはしないその在り方がいい。事実、わたしのあとにやってきた声の大きなオバサンがお天気の話をはじめたら、無難に、でもていねいにちゃあんと雑談していて、人間味を殺してマニュアルに徹しているわけじゃないことがわかる。でも世間話しているのなんて、初めて聞いたな。あんな喋り方もするんだなあ。雰囲気がちょっと、おちあいさんに似ている気がする。

 コーヒー片手に、423さんの日記を読む。今週はちょっとうれしそうというか、こころがわずかに跳ねているような気がして、うれしい。できるだけ、心穏やかに、健やかであってほしいなと願う。底の方に流れている冷たい絶望が完全に消えることはきっとないのだとおもうけれど、でも、だからこそ。そして、できうる限りでいいから、ことばを紡ぎ続けてほしい。彼女にしか語れないことばが間違いなくある。どこの誰かもわからない赤の他人に対しておかしなもんだと、我ながら思いつつ。





二〇二三年九月二十日

 へいきな顔してぼそっと真理をつくひとがすき。ひとことふたことくらいで、ことば尽くさず核心をつく。でもふだんはちょっとおもろいかんじのことを、ヘラッと言ってくれるひと。



 なにをするにも重たいわたしには、そういう人たちの在り方って憧れに近い。藤本ひかりさんのことがすきな理由も、たぶんおんなじ。



 ヤマトさんが段ボールを届けてくれる。中身はナイスなTシャツ、ロンT、トートにバゲハ。お金もないのにいっぱい買っちゃった。夏のあいだに、かっこいいやつ欲しかったんだよね。もう夏終わるけど。


最高の人生にしようぜ


 帰ると海と空と夏の陽射しの色をした便箋がとどいている。中には、七月に伊東で味わった「胸いっぱい」とおなじものがたっぷり綴じられていて、夜中にひとりふわふわする。わたしも、もっとかっちょいい便箋を探してこよう。





二〇二三年九月二十一日

 きょうはまたひとり天才を見つけてしまった。いいな、天賦の才。



 行きの電車は乗りこんだドア付近だけ蛍光灯が全部切れていて暗い。新手の演出みたいでこれはこれでいいかもしれない。暗がりで本を読む。むかしは暗いところで本を読むと眼が悪くなると言われたものだけれど、眼が悪くなる原因は暗いことではなく眼を近づけてしまうことなのだし、ふつうに読んでいれば問題はないでしょう。まあもうすでにどうしようもないくらい眼悪いからどっちでもいいけど。


 神田駅の動線の悪さにきょうもキレ散らかしながら乗り換える。こういう雑踏では自分以外みんなモブの敵だとおもって攻めていくしかない。ぶつからないように遠慮して譲って頑張ってしまうタイプなのだけれど、ほとんど誰も他人に気遣って歩いてないから永遠に譲り続けることになってクタクタになるんだよね。人混み、無数のエゴがぶつかりあう戦場。殺らないと殺られる。そっちがそう来るなら、やってやる。蹴散らせ!

 会社の最寄り駅で降りたら霧吹きみたいに雨が降っていて、またぷりぷりしながらあるく。あと五分待ってよ!

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