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ひび|2024.02.11




いつもの電車に乗って、いつものようにドア横にもたれて、いつものように文庫本をひらく。でもふいに車窓に目をやって、飛び込んできた景色はいつもよりまぶしかったし、あんな看板あったっけって、今更はじめてみたような気持ちがする。空がとにかく、蒼い。目の前に立っていたオバサンは駅に着くやいなや上り方面へ向かってピョコピョコせわしく首を動かして落ち着かない。降りるわけでもなくまた車内に戻って、しきりにまたピョコピョコやっている。白く着ぶくれたコオト姿が、巨大な白鳩のようで可笑しい。扉が閉まる。きっと、すぐスマートフォンをみるだろう。……ほうら、みた。そして数拍おいて、上り方面へ向かって車内を歩き去る。だれかと待ち合わせ、なんだろう。

踊り子号は満席。パンとコーヒーでも買ってゆっくり旅しようと思っていたけれど、東海道線のホームは人、人、人。時間も意外とつくれなくて、でもすきっ腹にコーヒーはからだに優しくないなとおもって、カフェオレを自販機で買う。あんまり甘すぎる。川崎・横浜でばかみたいに人が乗ってきて、熱海でばかみたいに降りていった。ばかだ。ヘッドフォンで鳴るのは、むらかみなぎささん。工藤将也さん。家主。Homecomings。




伊東の駅を降りたわたしの足元を、思いのほか冷えた空気がスウッと走り抜けていく。海沿いに立つ。潮の香りはわずか。テトラにぶつかる波の音。遠くでのんびり糸を垂れる釣り人の影。翼をぺろんと広げて乾かす鵜。きゃあきゃあとかしましいカモメたちは、わたしがiPhoneを構えた途端にわらわら飛び立って、でも半分くらいはまたもとの所へ帰ってきた。ヒステリイじみている。浜辺にもポジション争いがあるようで、ちょっと小競り合いをやっているのもいる。さもしいやつらめ。



「正油カルボナーラ」という突飛な名前にどきどきしていたら、思いのほかふつうにうまいものが運ばれてきたりする。けむるタバコ。やぶれをふさぐビニール・テープがてかてかするソファ。作業着姿で一服つけながら無言でくつろぐオジサンとオバサン。入口の方から、年配らしい男女の会話が聞こえてくる。「アニサキスに嚙まれたこと、ある?」「なに? 怪獣?」



会いたかった人に久しぶりにあう直前、ついもったいぶって、あっもう着いちゃうって、あわてて意味もなく遠回りしてしまうこと。たった一度顔を合わせただけなのに、わたしをすぐにわたしと認めてくれること。次々あらわれるお客さんと、オーナーがきゃっきゃとかわす会話の穏やかな温度。そこにたくさん溢れているしあわせに、聞いているだけでニコニコたのしくなってしまうこと。副作用的に、本やCDの品定めにあんまり身が入らなかったこと。でもぜったい欲しかった作品はちゃんとまっさきに、最後のひとつを抱きしめて大事にもったまますごしたこと。「読みたいリスト」であたため続けていた本をここでも見つけてしまって、観念して手にとったこと。

ほとんど途切れず賑わうお店に、それでも一瞬だけおちた静かな時間が、もうずっとずっと続けばいいのにと、ぼんやりながめる窓辺のぬくもり。わたしはほんとうに、勝手なやつだなと思う。



わたし自身のことであっても、どうしてもわたしひとりでは気がつけないことというのがたくさんあって、それはしかるべき相手とのあいだで交わし合う言葉によってはじめて姿を現したりする。よくわたしの靴にしのびこんでくる小石くらいに小さいけれど、そいつらよりずっときれいな何かをこの日は握りしめて、手を振る。屈託なく、振った。はずかしいことなんかひとつもなかった。



伊東駅17:45発・上り普通列車・宇都宮行き。いそいで買った「静岡麦酒」。うっかり海側に座るのを失念して、通路越しに眺める暮れきった伊豆の海。夜の、海。暗くぽっかりと、そこだけ空間が抜け落ちたように巨大に在る闇。地表に渦巻く宇宙。熱海で、ばかみたいに客が乗ってくる。ばかだ。ずっと、Homecomingsばかり聴いていた。急に、息が吸えるようになった。わたしの、おくすりみたいな、海の街。








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