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人生二度目のフィードバックの捉え方が変わった話


出来事やコトバにプラスもマイナスもなくて、
そのときの自分の状態によって捉え方が違うだけ。
そんなことをはっきり感じたので、
子育てについてちょっと書いてみようと思います。

子育てといっても、子どもについて、というよりも、わたし自身について、です。

そのセリフは二度目だった


「その時に必要な経験が足りていないかもね」

また言われました。
このフィードバックは、
子ちゃまめ(こども)が産まれてから今までに
二度目です。

一度目は、
小さいときに粘土遊びなどの手先を使うもの。
それが一般的な量より足りてなかったから、
ちょっと手先の動きが不器用だ、と。

二度目は、
ひらがなやらカタカナやらの
小学校にあがったときの最初の基礎。
これ、じゅうぶんにやってなかったから苦労してるかもね、と。

同じフィードバックだけれども

言ってくれたのは違う人、
違うシチュエーションでも、
わたしには「また言われた」となりました。

それでもおもしろいなと思ったのです。
捉え方が一度目と二度目と全然違った自分がいます。

ひたすら後悔した一度目

一度目は、こんな感じでした。
そうだよな、たしかに粘土とか砂場やってないよな。だって、保育園のあとまた公園連れてけないよ。粘土とかわたしもキライだしな。でも、させなきゃいけなかったのか。わたしがやらせなかったからこうなったのか。申し訳なかった。(延々・・・)

自分のせいで子ちゃまめはこうなった、
かわいそうなことをした、と
変えられない過去をいつまでも後悔してぐちぐちしてました。涙

二度目は前を向く

あれから子ちゃまめとともに成長?し、
年月が経ちました。

その時に必要な経験が足りてない
と言われなかなか字を書くことが難しい事実を目の前にしたときに、

そうかそうか、
じゃ、いまからやろう!

と思えていました。


時間がかかって今がある



ここまで来るには長い年月がかかり、
葛藤の末に、
ま、これからやればいいよね、
と思えるようになったかな、と思います。

子どもが学校に行かない、とか
みんなと同じ授業だと難しい、とか
自分がそれまであまりまえだと思って生きてきたことと違う事実があったとき、
「親が笑顔でいましょう」なんてすぐにできるわけなかったなぁ、わたしは。

それでも今のようにちょっとだけ楽に捉えられるようになるまでには、
それこそ、
必要な経験、味わい尽くす時間があったかな、
と思うのです。

渦中にいるときはわからなくても、
少しそこから出られたような気がしたとき、
こうして文字にできるのかもしれないな。


一度目と二度目で同じセリフなのに違う捉え方ができたこと。
例えるなら、
違うメガネをかけたような感じでしょうか。
かけるメガネによって見えかたも違うし、そしてそのメガネを自分でかけ替えることもできるんですよね。


白は200色あんねん

だから

子育ても、子どもも、不登校も200色あんねん

その一色として、
この先もポツポツ書いておこうと思います。

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