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賢治先生の北海道修学旅行 まとめ 全日程

賢治先生の北海道修学旅行の連載を多くの方に見ていただき、ありがとうございました。
たいへん長くなってしまいましたので、全日程をまとめます。

花巻農学校の教師だった宮沢賢治は、1924(大正13)年5月18日から5月23日まで、5泊6日の北海道への修学旅行を引率しました。
行き先は、函館、小樽、札幌、苫小牧、白老、室蘭でした。
出張報告書である復命書のうち、小樽、札幌、苫小牧の部分が現存しています。


一行は、教師2名(宮沢賢治、白藤慈秀)、保護者3名、生徒(二年生)26名の計31名でした。


残念ながら二年生全員が参加できたわけではなく、8名ほどが欠席しました。

函館

一行は、5月18日午後8時59分花巻駅発の青森行き夜行列車に乗り、車中泊して、翌日5月19日午前7時55分発の青函連絡船に乗り、昼の12時55分に函館に着きました。

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賢治は船上で詩「津軽海峡」を作りました。


函館では、リン酸肥料を作っている大日本人造肥料株式会社函館工場を見学しました。古い製造法の工場のせいか、賢治の反応は薄いものでした。

むしろ、函館公園の花見の情景に心をひかれ、詩「函館港春夜光景」を書きました。

小樽

5月19日午後11時15分函館駅発の夜行列車に乗り、小樽へ向かいました。花巻駅を出発してから約27時間、2回

目の車中泊です。一度も宿には泊まっていません。

2日前の1924(大正13)5月18日夜、花巻を出発した一行31名は、鉄道と青函連絡船を乗り継いで車中泊2回、出発から約35時間後、5月20日午前9時小樽駅に着きました。

小樽高等商業学校(現 国立小樽商科大学)を見学します。
模擬取引の実習室を見学しました。

小樽高商は、科学と商業の融合を研究教育方針としていました。
科学と、農業、文化、宗教の融合を考えた賢治には、共感するところが大きかったかもしれません。

一行は、小樽公園で休憩と見学をしました。公園のバナナの値段も教材です。


一行は、5月20日昼12時33分小樽駅発の札幌行き列車に乗ります。

札幌

出発から約40時間後、5月20日午後1時40分に札幌駅に着きました。

一行は北大植物園を見学。生徒たちは美しい芝生と樹木に感激し、故郷にもこんなに素晴らしい緑地を作りたいと叫びました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102280000/



札幌駅近くの山形屋旅館から夜の札幌見物にでかけます。「「ビュウティフル サッポロ」の真価は夜に入りて更に発揮せられたり。」と賢治先生は感激を記しました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103030000/


翌5月21日はビール工場見学です。賢治先生の農業発展のための文明論がほとばしります。校長先生が理解のある人でよかったと思います。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103070000/


製麻工場を見学したあと、北海道帝国大学に行きました。大学総長みずからお菓子と牛乳で大歓迎してくれました。総長は花巻出身でした。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103100000/


北大の温室では、花巻の温泉でもおなじような温室栽培ができないか、生徒に考えさせました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103120000/


次に中島公園の殖民館(拓殖館)に向かい開拓の歴史を学びました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103140000/


また、北海道の農産物加工に学んで、花巻の温泉の新たなお土産品開発ができないか、生徒に考えさせました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103160000/


中島公園から札幌駅に向かう途中、石灰工場を見ました。北上山地を砕いて、石灰岩で農地を改良したいと賢治は書きました。晩年に石灰工場技師となる伏線が張られました。


https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103170000/


苫小牧 白老

一行は、札幌駅午後4時過ぎの列車で、苫小牧に向かいました。

車窓から北海道の農家住宅をみて、賢治先生は農家住宅の改善について考えました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103180000/

また農村景観を改善するには美しい樹木を植える必要があると考えました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103190000/

午後6時ごろ岩見沢駅で乗り換え、午後8時に苫小牧駅に着きました。一行は、駅前旅館富士館に入りました。賢治は、詩「牛」を書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103210000/

一行は、翌日、5月22日に王子製紙苫小牧工場、白老アイヌ集落を見学しました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103220000/

室蘭

5月22日夕方、室蘭港から青森に向かいました。

一行は、1924(大正13)年5月22日午後5時室蘭港発から客船に乗り船中泊し、23日午前4時すぎ青森港に着きました。賢治は「船首マストの上に来て」という詩を書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103230000/

青森から東北本線で花巻に5月23日午後2時前に着きました。
賢治は、詩「つめたい海の水銀が」「夏」を書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103240000/

5月18日夜から23日午後まで、6日間、車中泊2回(花巻青森間、函館小樽間)、宿泊2回(札幌、苫小牧)、船中泊1回(室蘭青森間)の強行軍でした。

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