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阪神・淡路大震災29年目を迎えて|これからも「自助」「共助」のかたちを模索し、育む

令和6年能登半島地震で被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。 

こんにちは、プロジェクト・オフィサーの浜田です。

29年前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。私は当時、大阪府警で警察官をしておりました。今回は当時のことを少し振り返ってみたいと思います。

阪神・淡路大震災を契機に、「自助」「共助」「公助」の3つの柱が防災の基本に

1995年1月17日、午前5時46分。観測史上初の震度7の激震が神戸を襲い、関東大震災以来の最悪の被害をもたらしました。死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名(内閣府防災情報のホームページより抜粋)。阪神・淡路大震災は、その瞬間に多くの人々の生活を根底から揺さぶり、未曽有の被害をもたらしました。心より、震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

被害の規模は壮絶で、住家の全壊が約10万5,000棟、半壊が約14万4,000棟にものぼりました。この壊滅的な出来事を通じて「自助」「共助」「公助」の3つの柱が、防災の基本として刻まれるようになりました。 

「公助」だけでは限界がある

私自身は当時、大阪府警で警察官をしていました。震災は私たち警察官にとっても過酷な試練でした。

兵庫県警察や大阪府警察を含む14府県警察本部は災害警備本部を設置し、全国から集まった機動隊員やヘリコプター、パトカーが被災地に結集しました。父も兵庫県警の一員として、兵庫県警察から50人、県外の8都道府県警察から100人の総勢150人の婦人警察官から成る「のじぎくパトロール隊」と共に、災害警備活動に奮闘した一人でした(のじぎくは兵庫県の県花)。

震災により被災した警察官もいたのですが、市民救出を最優先に考え、自ら出動した警察官が多かったそうです。活動は多岐にわたり、被災者の救出救助、地域住民の避難誘導、行方不明者の捜索活動、緊急輸送路、復興物資輸送路の確保などの交通対策、被災地における各種犯罪防止のため、不眠不休で救援活動に従事する他府県からの応援部隊の姿がありました。

しかしながら、この困難な時期では、十分な資機材が準備できず、公助に限界があることも痛感したと多くの警察官が語っています。

2023年から開始した、「自助」「共助」の強化を目指すコミュニティ・カフェ@大久保

被災地となった阪神地区はもともと住民同士の結びつきが深く、災害時においてもその絆が大きな力を発揮しました。阪神・淡路大震災が「共助の大切さ」を再認識する契機となり、現在神戸では「福祉活動」と「防災活動」を結合させた「防災福祉コミュニティ」が小学校区を単位として拡大し、地域の強固な結束が築かれています。

阪神・淡路大震災で得られた教訓は、その後の災害時にも生かされ、首都直下地震や南海トラフ地震に備え、更なる「自助」「共助」の強化が呼びかけられています。CWS Japanが2023年から運営している東京・大久保でのコミュニティ・カフェも、世代や国籍を超えた「共助」の醸成を進めることが目的です。コミュニティ・カフェが平時から人々のつながりを深め、共に立ち上がる力を生み出す拠点となるよう、活動に取り組んでいます。

▼コミュニティ・カフェ@大久保について▼

私はCWS Japanの一員となって7カ月ですが、これからも「自助」「共助」のかたちを模索し、育む活動に積極的に参加し、未来への備えを皆さまとともに築きあげていきたいと思います。

(文:プロジェクト・オフィサー 浜田 由美子)

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